第180話 警戒は心外
アカツキの回復を待つこと暫し。
傍に石のベンチらしき物があったので腰かけていると、ようやくアカツキが正気を取り戻した。別に発狂していたわけではないが、声を掛けても揺さぶっても反応しなかったので、言い方は間違っていないと思う。
「はっ! 俺は何を……」
辺りを見回した後、アルたちを見て瞬きを繰り返す。何かに驚いているようだ。
首を傾げてアカツキを見ていると、半眼になって迫ってきた。
「よく分かんないですけど、俺、パニック状態でしたよね!? そんな状況で、アルさんたちは、なにゆえ優雅なお茶会を楽しんでいるんですかっ!?」
言われて手元を見下ろす。食べかけのクッキーがあと一口分なのを見て、ついでに口に放り込んだ。練り込んだチョコレートとバターの豊かな香りがして美味しい。
残り少なくなっていた紅茶も飲んで口を潤わせ、ようやくアカツキに視線を向ける。
「時間がかかりそうだったので?」
『更に言うなら、特段危機的な状況とも思えなかったのでな。自然に落ち着くまで待とうということになったのだ』
アルに続いて、フルーツの蜂蜜漬けを飲み込んだブランがあっけらかんと言う。手や口元に付いた蜂蜜を拭おうと、しきりに舌を動かしているのだが、一向に終わりが見えない。
アイテムバッグから取り出した布を濡らして拭ってやると、満足げに尻尾を揺らした。
「俺が言うことじゃないかもしれませんが、呑気すぎませんか!? そして、もうちょっと心配してほしかった!」
大げさに嘆くアカツキを抱き上げてベンチに下ろす。残っていたクッキーを差し出し、紅茶もカップに入れて渡すと、なんともいえない表情で礼を述べた。
「だから、それほど心配する状況じゃないと判断しただけですって。周囲に危険はなさそうでしたし、待つのに十分なお菓子の準備もありましたし」
「お菓子の準備はいいかって聞いたのは俺ですけどー! ここで食べなくても良かったのではー!? バリムシャアッ!」
わざわざ擬態語を発してクッキーを食べるアカツキは相変わらず愉快だ。観察した結果、混乱による悪い影響も出ていないようだと判断し、アルはそっと安堵の吐息をする。
『それで、混乱の原因はなんだったのだ? また忘れたか?』
「物忘れ激しいみたいに言わないでくださいー! 覚え……覚えて……います……よ……?」
意気込んでブランに訴え始めるも、すぐに消え入りそうな声になっていては信用できない。冷静に見つめるアルたちの視線に負けたように、アカツキが視線を逸らした。
「……では、覚えていることだけ教えてください」
「覚えていること……」
改めて姿勢を正して尋ねると、アカツキも真剣な表情になって記憶を辿り始めた。
「最初、この街に見覚えがある気がしたんです」
「見覚え……」
周囲をぐるりと見渡す。相変わらず灰色の建物と道を走る乗り物、彷徨く影しかない。アルにとっては見たことがない景色だし、こんなに不思議な街があると聞いたこともない。
だから、アカツキの生まれた国に近い風景なのだろうと思った。
「まあ……ああいう影なんかは、正直全く分からないんですけど。……凄く懐かしい気がするんです」
アカツキが目を細め、建物や乗り物に視線を向けた。
「――ああいう建物はビル。道路を走ってるのは自動車。あの看板は……コンビニ、かな」
指された物を順に目で追う。名称を言われたところで、アルの知識に合致する物はなく興味深い。
「コンビニというのはどういう物なんですか?」
影が度々出入りしている場所には元々興味があった。アカツキが回復したら確かめようと思っていたのだ。
「コンビニは……色んな物が売ってる店です。食べ物とか、ちょっとした日用品とか」
「お店。……この場所でも、ちゃんと商品があるんでしょうか」
ちょうどコンビニから出てきた影が、白い袋を手にしているのに目を止める。明らかに買い物帰りだが、果たしてあの袋の中に品物はあるのか。
「どうでしょう? 気になりますね……」
「気になりますよね」
『我も気になるぞ! 旨い飯があるのか!?』
アカツキもこの地の店事情はさすがに分からないらしく、思わず三人で顔を見合わせた。誰もが期待に満ちた表情で、この後とる行動は決まったも同然だった。
「……行ってみましょう」
報告することももうなさそうだったので、ベンチの上を片付けたアルたちは意気揚々とコンビニに向かった。
「あ、涼しい……?」
『快適だな! 温度調整の魔道具が使われているのか?』
店の前に立った途端、自動で透明な扉が開く。中に入ると不思議な音楽が流れた。目的は不明だが、なにやら歓迎されている雰囲気がしていい。魔物に追われ隠れている状況だったら致命的だが、今は問題ない。
「ふおっ!? マジ、再現率やば……。一体誰が創ったの……? ってか、ここ、本当に創られた場所なんだよな……? うん、普通はあんな影いないし、少なくとも俺がいた場所じゃないな」
動揺していたアカツキが、店内を彷徨く影を見てスンッと表情を無にした。
「見慣れない物がたくさんありますね。袋もなんかツルツルしてる……」
「ビニールの親戚です」
「ああ、前にこんな感じの物をアカツキさんが持ってきたこともありましたね」
歩きながら手近にあった小さな袋を手に取ると、アカツキが解説をいれてくれた。記憶はあやふやのようだが、なかなか頼りになる。
『それはなんだ? 旨そうな絵が書いてあるぞ!』
「うーん、クッキーの絵に見えるけど……」
「チョコチップクッキーですね! 絵じゃなくて写真ですし」
「写真……」
気になることを片っ端から聞いていたら、あっという間に時間が過ぎそうだ。自重しなくてはと思いながら、チョコチップクッキーを手に持ったまま店内を歩く。
「それ、買うんですか?」
「買ってみたいですけど、お金、通用すると思います?」
「……それは難しい問題ですね」
『むむっ……物々交換というわけにはいかんのか』
アカツキとブランが考え込むのをよそに、気になった品をどんどん手に取る。通貨が使えなければ交渉してみればいい。それでも駄目なら諦めるだけだ。
「アルさん、そこにカゴありますよ」
「カゴ? ああ、ここに入れておけばいいんですね」
アカツキが途中で教えてくれたので、抱える苦労から解消された。代わりにブランが勝手に品を放り込むようになったが、多少は許そう。まだ買えるかも分からないし。
「これは……薬かな?」
歩いた末に、小さな容器を見つけた。鮮やかな色合いで何か書かれているが、アルには理解できない文字だ。
「こ、これは……社畜の嗜み、エナジードリンク様……!」
「シャチク……? エナジードリンク……?」
アカツキが涙目になって震えている。それほど懐かしいのかと渡そうとしたら、「今は必要ないので!」と大声で拒否された。
意味が分からず手の行き場を失ったが、改めて品物を眺めることにした。
「エナジー……確か、昔の言葉で体力とか魔力のことを指すんですよね」
「そうなんですか? 寝不足の時とかにいい飲み物なんすよ……」
何故か暗い口調になるアカツキに首を傾げるが、体力や魔力を回復する薬だと納得してカゴに入れてみた。
「え、飲むの……? 味は美味いけど、アルさんに必要かな……?」
アカツキがブツブツと呟いているが、気にせず会計に行く。まだ気になる物もあるが、一度で全て買う必要もないだろう。
一応店員らしい姿の影が立っていることには気づいていたので、カウンターになっている所に行ってみた。台の上にカゴを置くと、流れるように品物が袋に詰められていく。
「お会計って、このお金使えますか?」
手持ちの硬貨を数枚台に置くが、影が首を振った。スッとカウンターの端に置かれた魔道具を指し示す。もごもごと音が聞こえた。
「……魔力で支払うらしいっす」
「え、アカツキさん、何言ってるか分かるんですか?」
「はい、何故か……」
アルは驚いてアカツキを見下ろしたが、不思議そうな表情をしていることから、尋ねても意味がないと悟った。
「アカツキさんが通訳してくれるならありがたいですし、魔力で支払えるというのも嬉しい情報だったのでいいんですけどね」
『魔力で買えるなら、店の物買い占められるな!』
「そこまで買う気はないからね?」
アイテムバッグを圧迫する提案をするブランをジトリと見てから、アルは魔力で支払った。
魔力の会計システムが興味深いのだが、この魔道具を解体して調べるのは許されるだろうか。
「……いや、解体しませんよ?」
心なしか影が警戒している気がして、アルは一応主張しておいた。
この影、まさか心が読めるのだろうかと新たな興味が生まれたが、更に警戒されたので、アカツキとブランからもジト目を向けられた。非常に心外である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます