影の流離う地

第179話 新たなる地

 無数の本を横目に階段を下りる。まだ目を通していない本を見かける度に、思わず手を伸ばしそうになる衝動をこらえた。


「お菓子は持ちました~? ハンカチ、ティッシュもお忘れなく~」

「お菓子って必需品ですか?」

『必需品だな』


 背後から聞こえるアカツキの声に返すと、肩口から返事が来た。じとりと見やると、当然だと言いたげにブランが頷いている。

 アカツキが楽しげに笑い声を上げた。空元気な様子だったが、これから向かう先を考えれば仕方ないだろう。

 アルたちは大門の先へ進むことを決めたのだ。そこは、アカツキと同郷の者が眠る、墓場かもしれない場所だ。アカツキの心の内は計り知れない。


「……お菓子はともかく、何が起きても大丈夫なように、ちゃんと準備してますよ」


 そのために先に進む足を止めてまで読書に時間を費やしたのだ。

 あいにく大門の先の情報は得られなかったが、この地を現在管理している者が使う魔法技術については学べた。何か罠があっても対応できるよう、魔道具も準備した。


「クインさんに聞いても何も情報がもらえなかったし、未知の場所ってのは怖いですけどねぇ」

「なんとかなりますよ」

「なんとかするの間違いでは?」

「そうですね」


 根拠のない自信だが、アカツキはアルのことを信頼してくれていて、「頼りがいのある言葉ですねぇ」と笑み混じりの呟きを溢した。


『我もいるのだから、万が一もあるまい』

「ブランは俺にスパルタだから、いまいち信用できないんですけど」

『なんだと!? 言うに事欠いて我を愚弄するか。我ほど頼りがいのある者はおるまい!』

「ブランってほんと自信家だよね」


 堂々と言い放つブランに苦笑する。普段のアカツキへの対応を思い出せと言いたいが、ブランならそれでも同じように言うのかもしれない。いざという場面では、ブランが頼りになる存在なことは間違いではないし。

 アカツキも不満を籠めた視線をブランに向けているが、それ以上苦言を述べることはなかった。


 知識の塔から出て寂れた村を歩く。ひと気がなく空虚な場所では自然と口数が減った。

 村を囲む塀にある小さな門を潜ると、そこは見慣れた広場。正面には生垣の迷路があり、無数の魔物の気配が蠢いていた。


「……この先にあるんですね」


 ポツリと溢された呟きの主を見てから、アルも視線を移す。小さな門の隣に大きな門が並んでいた。


「進もうかと思うんですが、ここの鍵、どう使えばいいと思います?」

「……えっ、今言うことですか!?」

『……準備、できておらんではないか』


 驚くアカツキと呆れた目のブランを見て笑みを噛み殺す。二人がこう反応すると分かっていて言ったのだ。


「冗談です。予想はついてますよ」

「……アルさん、冗談のセンスないと思います。控えた方がいいですよ」

「酷い言いぐさですね」


 憮然と呟くアカツキに揶揄い混じりに返しながら、アイテムバッグから取り出した鍵を大門に向けた。

 途端に魔力の光が宙を駆ける。光は複雑な模様を描いていた。


「ふおおっ! これぞ魔法って感じ。イッツ、ファンタジー!」

『綺麗なものだな。アルはこうなると知っていたのか?』

「そうだね。塔にあった魔法技術書に、鍵を使った魔法の仕掛けについて書いてあったから」

『時間をかけた読書も無駄ではなかったのだな』


 感嘆の声を上げるアカツキをよそに、ブランに仕組みを解説する。とはいえ、魔法の詳細には興味ないのか、早く鍵を開けるよう促され、アルは少し残念な気持ちで肩をすくめた。

 魔力の光が描いた模様は、とある魔法技術書に書かれていた【錠の魔法陣】と一致している。そうなればこの次にすることは決まっていた。


「鍵をここに――」


 アルは光の合間に現れた鍵穴の模様に、そっと鍵を差し込んだ。途端に鍵穴の周囲から蔓が伸び、魔法陣に光の花を添えて改変していく。


「ほわ……おとぎ話みたい……」

「だいぶ凝った演出ですね」

『演出?』

「本来は花が咲く見た目は必要ないし、わざわざ付け足したものだと思うよ」

『なるほど。この地の世界観といい、随所に遊びが組み込まれているようだな』


 呆れ気味に呟くブランだが、目の前の光景に美しさを感じてはいるらしい。魔法陣を眺める目を眩しげに細めていた。


「たぶんもう少ししたら――」


 アルがそう口にした頃には、魔法陣の向こう側にある門に変化が生じていた。固く閉ざされた門扉が蜃気楼のように歪む。


『……ふむ、もしやこの見た目はまやかしか』

「そうみたいだね」


 音もなく扉が開かれる。その先の様子は白い光で窺えなかった。手のひらを翳して光を避けながら目を細める。


「じゃあ行こうか」

『うむ。油断なく進むぞ』


 軽く頷いたブランから、足元でじっと光を見つめているアカツキへと視線を移す。

 スライムとラビが気遣うようにアカツキを窺っていた。


「アカツキさん?」

「……はい。虎穴には入らずんば虎子を得ず! 行きましょう!」


 自分に言い聞かせるように何事か唱えると、アカツキは決意を籠めた目で見上げてきた。その思いに応えるように、アルは頷きを返して光へと足を進める。

 近づくごとに光は強まり、目を開けていることすら難しい。思わず目を閉じた一瞬で周囲の空気が如実に変化したのを肌で感じた。




『――ほう?』


 感嘆と疑問が籠った声が聞こえて、アルは急いで目を開けた。光の残像でぼやける視界に瞬きを繰り返す。


 どこからか、聞き慣れない音が聞こえてきた。楽器よりも無機質な音。

 ようやく見えてきたのは、灰色の街だった。大きな道沿いに高い建物が並び、鮮やかな色の看板が随所に見られる。

 道には馬のない馬車らしき乗り物が行き交っていた。

 どこを見ても、墓のような印象は受けない。


「影……」


 人の姿はないが、代わりに黒い靄のような影が人形をとって動いていた。

 乗り物の中、道端、建物の中。ここから窺えるあらゆる場所に影はあり、まるで人のように動いている。


『魔物の気配はないな』

「そうだね。僕たちに近づいてくる様子も……いや、気づいてない……?」

『……アル、そいつに腕を突っ込んでみろ』

「嫌だよ」


 アルは真顔になってブランを見つめた。とんでもない提案をする狐だ。影に攻撃するような真似をして、襲ってくるようになったらどうするつもりか。戦うことはやぶさかではないが、敵意を持たない相手に喧嘩を売る必要はなかろう。

 アルたちの横を影が通る。


『こいつらを理解するためにちょうど良い手かと思ったんだがな』


 ブランが尻尾を揺らし、影に触れさせる。影はするりと避けて、そのまま歩き去った。


『――避けたということは、認識されてはいるのか』

「でも、干渉は拒んでる?」


 ブランの分析に続き、アルも考察する。背後を振り返ると門があった。少なくとも帰る道は残されていると考えていいだろう。

 周囲を観察しながらブランと話していて、ふと引っ掛かりを感じた。ここに来てからアカツキの声を聞いていない。

 影を怖がっているにしても何か反応があってもいいだろうにと思って視線を落とすと、呆然と視線を移ろわせる姿があった。


「アカツキさん、大丈夫ですか?」

「……ぁ……でも……ぅ……」


 アルの声も聞こえていない様子で、アカツキが口を動かしている。耳を澄ましても何を言っているか分からなかった。


『何か記憶に引っ掛かるものがあったのか?』

「そうかもね。……でも、どうしよう。揺さぶってみるべき?」

『それで折角の記憶が失われたら勿体無いが……』


 とるべき手を迷うアルと同様に、ブランも難しい顔でアカツキを見下ろす。

 新たな場所に突入した途端、アルたちは立ち往生することになった。

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