第178話 舞い散る花

 大門のことは気になるものの、本から得られる情報を優先して調べる日々。

 塔に籠りきりは体に悪いというブランの主張により、アルは転移門を潜って戻った先、ガゼボがある庭で過ごしていた。


『アカツキー、そっち行ったぞー!』

「ふぎゃっ⁉ 待って待って待って、スライムたちお願いーっ!」

『自分で戦わんか!』


 風に乗って聞こえてきた声に、本から目を上げて生け垣の迷路に視線を向ける。姿は見えないが、ブランが追い込んだ魔物とアカツキが対峙しているのだろう。アルが調べ物をしている間、ブランはアカツキを鍛えてやると意気込んでいたから。良い暇つぶしを見つけられたようで、アルとしては喜ばしいことである。アカツキには災難かもしれないが。


「……後はこれだけ、か……」


 読み終わった本をアイテムバッグに仕舞い、最後の本を取り出す。塔にあった本を全て網羅したわけではなく、題名から役に立ちそうな物を選んだとはいえ、だいぶ時間がかかってしまった。


「結局、サクラ・ホンドウの生まれた国のこととか、魔族のこととか、呪いについてとか、全然分かんなかったな……。これに書いてあればいいけど――」


 臙脂の装丁の本の表紙にはピンク色の花が描かれ実に美しい見た目だ。これだけやけに装丁が凝っていたので読むことにした一冊。題名は――。


「【アサジバラ】ってどういう意味なんだろう?」

「――浅茅原あさじばらつばらつばらにものへばりにし里し思ほゆるかも」


 独り言に言葉が返ってきて視線を上げると、疲れた様子のアカツキがブランにくわえられてガゼボに帰ってきていた。魔物は無事に倒せたらしく、ブランが満足げだ。

 アカツキをペッとテーブルに下ろしたブランが、嬉々とした様子で菓子に食いつくのを横目で見ながら、本の表紙を指でなぞる。


「それは何かの呪文ですか?」

「いえ……どこかで聞いた気がする、歌? です……?」


 アカツキ自身何も考えずに口にしていたようで、尋ねても首を傾げるだけだった。だが、体勢を起こしてアルが持っている本を見た瞬間、愛おしげな光が目に宿る。どこか遠くを見る眼差しだった。


「それは……桜……?」

「サクラ、ですか? 妹さんの名前?」

「いえ、そうではなくて、花の名前です」

「ああ、このピンクの花のことですか……。僕は見たことがない花ですが、アカツキさんは知っているんですね」


 植物図鑑さえも愛読書にしているアルですら見たことがない花だ。それをアカツキが知っているというなら、アカツキやサクラの生まれた国に繫がる情報が書かれている本なのかもしれない。


「えぇっと、アカツキさん、さっきなんて言いましたっけ?」

「え……浅茅原――」


 呪文のような言葉を聞き逃してしまったので改めて聞くが、アカツキは首を捻るばかりだった。どうやら分からなくってしまったらしい。手がかりになりそうな情報だったのに、不意を突かれて記憶できなかったのが口惜しい。


『アサジバラ、ツバラツバラニ、モノモヘバ、フリニシサトシ、オモホユルカモ……だろう?』


 記憶を呼び起こそうと頑張っていたら、思いもよらないところから答えが齎された。アル謹製のクッキーを食べてご満悦そうにしているブランを凝視する。


「……よく覚えていたね?」

『うむ。もっと褒めてくれても良いのだぞ!』


 ブランが偉そうに胸を張るので、その様を生温かい眼差しで見つめた。手元にあった手巾で、汚れた口元を拭ってやる。途端に気まずそうに自分で口元を擦り始めたブランをよそに、アルは紙にブランが言った言葉を書きつけた。


「アサジバラ……どっかの原っぱのことかな? ツバラツバラニ……? 茨とか? モノモヘバ……物思いって感じな気がする。フリニシサトシ……これはそのまま里の地名? もしかしてこれがサクラさんの生まれたところかな。でも里だったら国の名前じゃなさそう。オモホユルカモは、まあ思います的な言葉か。……読み解いてもよく分からない」


 アルが今まで蓄えてきた知識が全く通用しないのが悔しい。そう思いながら何度も口ずさんでいると、不思議とその語感やリズムは馴染み深く感じられた。


「意味は分からないけど、魔法の呪文とかよりリズムが良くて覚えやすいね。適当に訳してみると、物思いに耽っているとふりにし里のことが思い出されるって感じかな」

「そうですねぇ。俺もそんな感じだと思いますよ」


 手を伸ばしサクラの絵を撫でたアカツキが愛おしげに呟いた。


「一緒に読みますか?」

「いいんですか?」


 あまりに情が籠った撫で方だったので、それを無視して表紙を開く気になれず問いかけた。アカツキは一気に表情を輝かせ、いそいそとアルの腕の中に潜り込んでくる。まるで絵本を読み聞かせするような体勢に、アルは子どもの頃の母との記憶を思い出した。


「――サクラはどこにあろうか」

「求め続けて遥かなる地。見つけた手がかりは蜘蛛の糸。希望と絶望を内包し、希望を選んだのは私だけ」


 アルが最初の一文を読むと、アカツキの真剣な声が続いた。前文として書かれているのは著者の心情を詠った詩のようだ。そういえばこの本には著者名が書かれていなかった。だが、表紙に書かれていた絵のことを考えれば、その推測はできる。


「――死を求める者。それも希望の光であったのかもしれないけれど」


 アカツキの声が暗く沈んだ。死を求める者という言葉が酷く重く感じられた。

 小さな門を潜った先にあった光景を思い出す。

 少なくない数の人が暮らしていただろう村。その奥に聳え立つ塔にも残されていた人の暮らしの跡。

 だが、生きている人の気配は一つだけ。


「……彼女はどういう思いで眠りについたんだろう。たった一人だけで……」


 読み進めていくと、サクラの昔の幸せな記憶が書かれていた。両親と兄との四人家族。平凡で穏やかな日々がこの先も続くと、根拠もなく信じられていた幸福。

 だが、それは突如として失われた。見知らぬ土地で生き続けることを余儀なくされた苦痛。故郷を共にする者たちとの出会いと結束、そして……別れ。


「どうして、故郷を離れて【流離人】と自称したのかな。もしかして国が滅亡して帰れなかった?」

『どうも書かれている雰囲気が違いそうだが……。我はどうも嫌な予感がする……』


 いつの間にか横から本を覗き込んでいたブランが、鼻面に皺を寄せていた。


「嫌な予感?」

『こう……毛が逆立つ感じだ。我はこの感覚に覚えがあるぞ――』


 言葉通り、ブランの柔らかな白い毛がブワッと膨らんでいた。それを宥めるように撫でると少し落ち着いたようだ。

 薄い本だったので、いつの間にか最後のページになっていた。そこに書かれていた文章に目を落としたアカツキの体が一瞬強張る。


「同胞が眠る場所を守るため。罪を背負わされたあなたを待つため。――私は墓守にして管理者。そして……」


 躊躇いがちにアカツキの言葉が止まる。




「――神を名乗る悪魔に復讐せし者。本堂桜」


 強い筆圧で書かれた言葉だった。書いた者の思いの強さが伝わってくる。


『ほぉら、やっぱりあれじゃないか! 我は遥か昔から分かっていたぞ! 神なんてヤツはロクなもんじゃないってなっ!』


 ブランが大きな声で叫び、静かな空間が破られる。

 アルはそれに苦笑しながら内心で同意していた。詳しいことは分からないものの、サクラがこれまで苦しんで生きてきたことは文章で伝わってきた。その原因が神だというなら、復讐を望む気持ちに共感する。


「アルさん、これあの門の絵ですよね」


 アカツキが裏表紙に書かれていた絵を示した。だいぶデフォルメされているが、確かに門のように見える。


「言われてみればそうですね」

「俺、嫌なこと思い浮かんじゃいました……」

「嫌なこと?」

「……あの大きな門の先にあるのは――」


 アカツキが硬い表情で振り仰いでくる。アルも真剣な表情で見下ろした。アカツキが言いたいことは予想がついていた。


「――――お墓、なんじゃないですか?」


 震える声で放たれた言葉に、アルは目を細めて無言を返した。それはアルが考えていたことと同じだったから。


 高い空に雲が流れる。

 アルたちの間の重い沈黙とは裏腹に、今日もこの地には暖かな日差しが降り注ぎ、穏やかな空気が満たしていた。



――――――

この章はここまで!

次章はアカツキの記憶と再会の話になる予定です。

アルがこの地に関わる意味(リアムがそう望んだ意味)についても書けたら……。

引き続きよろしくお願いいたします。

次章タイトルは『影の流離う地』です。

……グルメもありますよ(小声)

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