第177話 求め続ける存在
部屋に入ろうとしたアカツキが立ち止まった。なんとか進もうとしているのに、足が動かないようだ。
「……大丈夫ですか?」
「大丈夫……じゃないかもしれないです……」
アカツキがしょんぼりと項垂れる。アルは首を傾げてその様子を眺めてから、アカツキに手を伸ばし抱き上げた。肩に乗ったブランがパンチを繰り出すのを見ながら部屋の中に進む。
「のおぉおっ! 俺の頭が、この先に進んではならぬと言っているぅっ!」
『気合いだ、気合い。いけるという心持ちで乗り切れ』
「精神論は嫌いぃいっ! でもがんばる、いける、いける、おれはいけるぅ!」
『いけるいける』
アカツキの気合いに満ちた声とブランの投げやりな掛け声の対比が激しい。その騒がしさに苦笑しながらアルはどんどん中に進んだ。入り口と違って、強制的にアカツキを拒む結界はなかったのか、問題なく女性が眠る容器に近づくことができた。
「いける、いける、いけた……いけたっ⁉ ……おお? 妹……? 言われてみれば、似てるかも……?」
「やっぱり何も思い出せませんか」
『無駄足だったな』
騒いでいたアカツキが女性を見て固まった。記憶が蘇る様子はない。
「ちなみに、サクラ・ホンドウという名前らしいですよ」
「サクラ・ホンドウ……なるほど……?」
記憶の取っ掛かりにならないかと情報を足してみたが、効果はなかったようだ。アルはため息をつきながらアカツキをベッドに下ろす。近づくことを拒む意思も消えたのか、アカツキは不思議そうに首を傾げながら容器の周囲を歩き出した。
「結局、アカツキさんはサクラさんの生まれた国には思い当たらないんですか? アカツキさんが生まれた国と同じだと思うんですけど」
「俺が生まれた国は……ほら、あれですよ、あれ……あれ?」
尋ねた瞬間は得意げに何かを話そうとしたものの、すぐに固まった。衝撃を受けた表情で頭を抱え、懸命に記憶を掘り起こそうとしている。
アルはすぐに諦めて、部屋を眺め始めた。研究室や塔にある本に集中していたが、もしかしたらこの部屋にこそ、手がかりがある可能性に思い至ったのだ。
「――といっても、何もないけどなぁ」
部屋にあるのはベッドと空の本棚と机。机には引き出しもないから、探しようがない。ブランもベッドの下を覗き込んで調べてくれているが、新たな発見は何もなさそうだ。
記憶を思い出すのを諦めたのか、アカツキもきょろきょろと周囲を見渡し不意に口を開いた。
「その机、天板が厚くないですか?」
「天板?」
言われて気づいたが、確かに簡易な作りの机にしては、やけに立派な天板な気がする。こういう作りなんだと言われれば納得するくらいの違和感だが、アカツキが難しい表情で机を凝視しているので、アルは表情を引き締めて机に近づいた。
記憶になくとも妹が隠しているかもしれない手がかりだ。アカツキが無意識のうちに気づく可能性は低くないだろう。
「――なんか、魔法で封がされてる?」
机に潜り込んで天板を見上げると、魔法陣が描かれた手のひら大の扉があった。これは急いで調べるべきだと判断し、鑑定眼を使う。金の果実の量が少なくなってきた。
「【神の干渉を拒む封印。解呪には同郷の血が必要】……血生臭い解除方法だなぁ」
『ふむ。アカツキの血を捧げれば良いということだな?』
「……ふぎゃっ⁉」
アルの横から覗き込んでいたブランが納得したように頷くと、すぐさまアカツキの首根っこを嚙んで連れてきた。死んだ目で揺れるアカツキに苦笑して受け取る。
「血ってどのくらい必要かな?」
『とりあえず切り落としてみたらどうだ?』
「ふおっ⁉ なんかめっちゃ恐ろしいこと言ってない? 切り落とすってどこを⁉」
「というか……アカツキさんって切れるんでしたっけ?」
逃げ出そうと暴れるアカツキを見下ろした。アカツキがピタリと止まる。ゆっくり首を傾げながら、口を開いた。
「俺、怪我とかしないはず……? 少なくとも、包丁では切れなかった……」
「剣ならいけますか?」
「命まで刈られそうなのでやめていいただけますと幸いです」
一息で拒否の言葉を放ったアカツキに苦笑しながら、再び魔法陣を見上げる。
「それならどうしたら……」
「というかですね、同郷の血って、そのまま血液を捧げなくてもいいんじゃないですか? 同郷の血を持つ者が何かしろってことなんじゃ? 解呪といえば【解呪】の魔法を使ってみる手もあると思うんですけど」
「あ、確かに【解呪】って書いてありますね。同郷の血を持つ者の魔力でもいけるかもしれない……? よし、アカツキさん、魔法をお願いします」
「はーい!」
アカツキの言葉も一理あると促すと、気合いが入った様子で杖を構えた。それが動き出す前に、ブランが揶揄い混じりの表情で余計な口を挟む。
『それで上手くいかなかったら、なんとかアカツキを切り刻む方法を見つけねばならんな』
「ブランはその発想から抜け出るべきだと思います」
真顔で言い切ったかと思うと、アカツキが【解呪】と唱えた。放たれた魔法が魔法陣にぶつかる。
「あ……歪みが……? 魔法陣が改変されてる……?」
魔法陣の線が蠢き、全く違う形に変わっていく。その変化が止まったと思った瞬間にあっさりと扉が開かれた。
「……成功しました?」
「しましたね。……鍵があります」
『鍵?』
扉に入っていたのは古風な形をした手のひら大の鍵だった。上部にくっついている鍵に触れると容易に取り出せる。
眺めていても正体が分からないので、アルは潔く金の果実を口にして鑑定眼を発動させた。
「【大門の通行許可証】……大門、ってまさか?」
「あれですか?」
『あれしかないな。……演出じゃなかったのか」
思わず三人で顔を見合わせる。まさかここにきてあの大きな門が意味を持つとは思わなかったのだ。
「さすがに合言葉がそのまま隠されているわけではなかったかぁ……」
『その大門の先に合言葉の答えがあるとも限らんがな』
呟きながら机の下から這い出る。狭い空間で座り込む体勢をとり続けるのもきついのだ。
「うぅん……こう、ここまで出かかってるですけどねぇ……」
アカツキが呻きながら喉を指さす。それに苦笑しながら部屋を出るために歩き出した。
「思い出したら教えてください」
「……はーい」
『あまり当てにならなそうだな。……あの門に向かうのか?』
隣をとぼとぼ歩くアカツキにため息をついてから、ブランがアルを見上げてくる。その問いかけにアルはどう答えるべきか迷った。大門の先についての情報は一切ない。その状態で飛び込むのは少々向こう見ずな気がした。
「……まだこの塔の本を読み終わってないし、とりあえず情報を探そうかな」
『それは知識欲に負けて言っているわけじゃないだろうな?』
「ち、違うよ……?」
『怪しい! 絶対本の魅力に負けてるだろう⁉ それで我をまた放っとくつもりだろう⁉』
思わず控えめな否定をしてしまったら、半眼になったブランに鋭く指摘され、何度も足を叩かれることになった。
「痛い痛い痛い、違うから、僕たちの安全第一で言ってるだけだから!」
『ふんっ! どうだか!』
本格的に機嫌を損ねたようだが、顔を背けたブランが手を止めてくれたので、その隙を狙って抱き上げる。これで再び叩かれる心配は無くなった。
「……仲いいですねー」
何故かアカツキまで機嫌を悪くして半眼になっていたので、両手で二匹を抱えることになる。それだけで機嫌を直したところを見るに、除け者のように感じていただけだったらしい。
『アル、毎食デザート付きで手を打とうではないか!』
「それは食べ過ぎじゃない?」
『デザートなしならば、今度こそ読書の邪魔をしてやる!』
「ただ時間を無駄にさせるだけの行為……はいはい、分かりました。何か甘い物を付ければいいんだね」
ブランの妨害宣言に負けて、アルは面倒な約束をすることになった。とはいえアイテムバッグの中にはこのダンジョンで得られた甘味がたくさん入っている。それほど手間はかからないだろう。
「――大門かぁ……その先には何があるんでしょうねぇ……」
部屋を出る間際、アカツキがベッドの方を振り向いてポツリと呟いた。そのどこか恐れと期待が窺える響きに、アルは目を細めてアカツキを見下ろす。
なんと返すべきか分からず無言で扉を閉じたが、アカツキの目はずっとサクラに向けられているように感じられた。名残惜しげな雰囲気が切なくて仕方なかった。
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