第176話 要観察認定

「う……うぅん……。……はっ!」


 呻いていたアカツキが飛び起き、心配で見守っていたアルまで驚いて体が跳ねた。

 おやつのフルーツを食べていたブランが馬鹿にするように鼻で笑ったので、とりあえず皿を取り上げてアイテムバッグに仕舞う。目も口も見開いて愕然とする表情のブランは滑稽で、アルは笑いを嚙み殺した。


「俺、いつの間に寝て……?」

『アル! 我のフルーツを返せえっ!』

「あ……」

「ぐぇっ⁉」


 跳びかかってきたブランがアカツキを踏み潰した。そんなにピンポイントでアカツキの上に下り立たなくてもよかろうと目で責めると、ブランが気まずそうに顔を背けてそろそろと移動する。ブランも狙ってやったわけではなかったらしい。


「何故俺は起きて早々ブランに踏まれたの? 俺が何をしたというのか……」


 なんとか体勢を戻して起き上がったアカツキが虚無感のある眼差しを宙に投げていて、申し訳なさが増す。アカツキが何も悪いことをしていないのは確かだ。


「アカツキさん……とりあえず、ご飯食べませんか?」

「俺がご飯で全てを誤魔化されると思ったら大間違いですからねっ⁉ それはそれとして、アルさんのご飯でしたら美味しくいただきますけど!」

『二言目には矛盾が生じているじゃないか。なんだ、頭をやられたのか?』

「ブランのせいでね」

「……俺、頭変じゃないですーっ! アルさん、なんでブランの言葉を否定してくれないんですかっ⁉」

「いや、まあ……」


 思わず口ごもる。ブランの言葉を否定しきれない感じがアカツキにあるのは確かだと思うが、それを言葉にするのは酷な気がした。


「……ふぇっ、つらっ……二人して俺をいじめるぅ……」

『泣いてたら飯食えんぞ?』

「食べます」

『立ち直り早すぎか』


 泣き伏したかと思えば、キリッとした表情で姿勢を正すアカツキに、ブランの冷たい目が向けられている。アルも言いたいことは色々あるが、これだけご飯に期待されているならさっさと準備すべきだろう。といっても、アイテムバッグから取り出すだけだが。


「おおっ! 味噌汁、白ご飯、筑前煮、茄子の煮浸し……この揚げ物は何?」

「白鶏のささみ肉にシソとチーズを挟んで揚げてます」

「絶対美味いやつじゃん……」


 アルの説明を聞いて、アカツキが真顔でテーブルの上の料理を眺めた。そろそろと伸びた手が料理を摘まみ、口に含むごとに表情が至福で緩んでいく。

 ブランがつまみ食いの隙を窺うようにうろちょろと動き回るので、胴体に腕を回して抱え上げた。無念そうに項垂れる頭を撫でながら、アカツキが嬉しそうに食べる様を見守る。


「そういえば、俺、なんで寝てたんですっけ?」


 あらかた食べ終えた頃に、アカツキが呟きながら顔を上げた。その表情は疑問に満ちている。アルは僅かに目を眇めて考えてから口を開いた。


「……覚えてないんですね。アカツキさん、この異次元回廊の管理代理人の正体に思い至って気絶しちゃったんですよ」

「は? ……管理代理人? 正体? って……なんのことです?」


 ぽかんと口を開ける表情に偽りはなく、心から不思議に思っているのが伝わってくる。記憶は再び封じられてしまったのかと、アルは些か切ない気分になった。


『……説明するのか?』

「……とりあえず、妹ってことは除いて話そう」


 見上げてきたブランにこっそり返答し、アルはこれまで分かったことをアカツキに話し出した。

 異次元回廊は神が創り、管理代理人が大部分を作り変えて管理していること。恐らくその管理代理人が奥の部屋で眠りについていること。

 細かい部分も含めて説明すると、それなりに時間がかかった。アカツキは神妙な表情で聞き入っているように見える。


「なるほど、そんなことが……。それにしても、管理代理人を起こすための合言葉が分からないとは……? 現在ある国の名でも、昔の国の名でも駄目だったんですね?」

「ええ、正直の歴史に残されていない国の可能性もあると思っています」


 答えながらアカツキの様子を窺う。わざと【この世界】と言ってみたのだが、何度かその言葉を使っていたアカツキがどう反応するか気になった。


「この世界じゃない……? はっ! つまり、俺の知識の発揮しどころというわけですね⁉」


 考え込んでいたアカツキが一転して表情を輝かせてアルを見上げてくる。誇らしげに胸を張り、拳を掲げて見せた。


「お任せください! 俺の知識を総動員して答えを見つけ出してご覧にいれましょう!」

「……頼りにしてますね」


 アカツキの様子はアルが予想していたものではなかった。大なり小なり記憶が揺さぶられて何かを思い出すかと思っていたのだが。これは【妹】という言葉を伝えても、もしかしたら何も思い出さないかもしれない。


「アカツキさん、ちょっと伺いたいんですが……ご兄弟とかいますか?」

「兄弟、ですか……? う~ん? ……分かんないですねぇ」

「妹とか」

「妹……? え、もしかして、俺、妹がいるんですか⁉」


 一切記憶が蘇る様子はなかった。やはり、気絶している間に記憶の封印が強まってしまったのかもしれない。では、本人に会わせたらどうなるのだろう。試してみたい気持ちと、それによりアカツキが再び倒れてしまう可能性を考えて躊躇う気持ちがぶつかり合う。

 悩むアルの顔をブランが静かに見上げていたが、不意にため息をつくと肉球を頬に押し付けてきた。パンチのつもりだろうか。


『アル、アカツキはそこまで守ってやらねばならんほど軟なヤツではあるまい。幾度倒れようと、アカツキ自身記憶を取り戻すことを望んでいるんだからな』

「……ブランって、アカツキさんのことすっごく評価してる時と馬鹿にしてる時が両極端だよね?」

『アカツキは馬鹿だからな。……だが、大事な時に怯まない心意気はある奴だと思っているぞ』

「そっか……」

「ねぇ、俺に聞こえる声で評価するのやめて? 俺、どういう顔で聞いてたらいいんすか? 馬鹿にされたって怒ったらいい? それとも『わぁ! 俺ってば褒められちゃってるぅ!』って照れたらいいんです?」

『鬱陶しいからやめろ』

「端的で傷つくぅ!」


 アカツキが大袈裟に身を捩らせて泣き真似をした。ブランの冷たい目が向けられようと気にせずふざけられる精神力は、多少記憶の封印を揺すぶって気絶しようと、確かに簡単にへこたれないのかもしれない。変なところで納得したアルは、潔くアカツキに情報を開示した。


「アカツキさんが気絶する前に言っていたことですが、ここの管理代理人はアカツキさんの妹らしいですよ」

「マジでいた妹! ……え、マジですか? 本気で妹がここに……?」


 即座に反応が返ってきたと思ったが、きちんと認識できるまで時差があったらしい。一瞬後には呆然とアルを見つめてくるので、頷きながら注意深く様子を観察した。


「……言われても~分からない~存在せぬ妹よ~」

『なぜ急に歌いだした……?』

「気絶以前に頭がおかしくなったのかも」


 遠い目をして歌うように呟くアカツキ。ブランさえ困惑するほどのおかしな様子なので、アルは冷静にアイテムバッグから【混乱回復薬】を取り出した。


「いやいやいやっ薬はいりませんからね⁉ ただ、ちょっと情報の処理に手間取っただけですからね⁉ 真剣な表情で瓶を傾けないでっ!」

「え、本当に大丈夫ですか?」

「大丈夫です! アカツキさんはいつだって元気いっぱいですよ~!」


 全然大丈夫そうに見えない。

 疑わしげに見るアルに慌てたのか、アカツキが「いっちにーいっちにー」と言いながら変な運動を始めた。やはり【混乱回復薬】が必要な気がする。


「マジでいらないですから! それより、妹がいるって言うんなら会いたいです! どの部屋ですか⁉」

「……その部屋です」


 アカツキが頑なに薬を拒否するので、一旦アイテムバッグに仕舞った。必要なら次のご飯にでも仕込めばいい。それまでしっかり観察していようと考えながら、アルは女性がいる部屋を指さした。


「んじゃ、会いましょう。何か思い出せるかもしれないですし」

「……そうですね」


 これまで記憶が蘇る様子が無いところから考えても、アカツキの言葉は希望的観測な気もしたが、やってみなければ分からない。

 アルはアカツキが通れるように、奥の部屋へと続く扉を開け放った。

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