第175話 知識の共有

『アカツキはどうしたんだ?』

「……ブランってさぁ――」

『なんだ?』


 アカツキを抱えて帰ってきたアルを、ブランが寛いだ体勢で迎えた。皿いっぱいの料理は全て食べ尽くされ、そればかりかアカツキの皿まで空になっている。辛うじてアルの分は残されていた。いい加減、アカツキの物なら横取りしてもいいという意識を改善させなくてはならないだろう。あまりにアカツキが哀れだ。

 色々な言葉が頭を巡って口ごもってしまったアルを、ブランが不思議そうに眺めながら欠伸をする。アカツキのことを尋ねたわりに、さほど興味はなさそうだ。思わずため息が零れる。


「あの部屋で眠っている女性、アカツキさんの妹かもしれないんだって」

『……ほう。なんでまた、そんなことに?』

「さあね。アカツキさんはここに寝かせておくから、邪魔はしないように」


 ブランケットで包んだアカツキをクッションに下す。ちらりと見やったブランが、首を傾げながら体を起こした。

 アルは冷めた料理を口に運ぶ。考えることが多すぎて、温める手間さえ億劫だった。


『アル。本を読んだ成果はあったのか?』


 一旦アカツキと女性の関係については端に置いておくことにしたらしい。問いかけてくるブランに合わせて、アルも思考を切り替える。


「――正直、女性のことは何も分かってない。でも、本を読んでいて、異次元回廊については多少分かったよ」

『この地について? 何が分かったというのだ?』


 ブランの尻尾がゆらりと揺れる。それを目で追いながら、アルは説明を続けた。


「まず、異次元回廊が最初は神の管理下だったのは、クインに聞いた通り。その管理を引き継いだのが、【流離人さすらいびと】と呼ばれる人たち」

『……また、新しい名称が出てきたな』


 面倒くさそうに吐き捨てられて、アルは同感と頷きながら苦笑した。


「僕の予想では【流離人】と【魔族】は同じ種族を指していると思う。ソフィア様も言っていたでしょ? 【魔族】は遠い地からドラグーンに来て、異次元回廊に去っていったって」

『そうだな。アルの予想は外れていなかろう。あの偽狐が【魔族】という言葉を拒んでいたことを考えるに、【流離人】は【魔族】という呼称を気に入らなくてつけた物だろうな』

「クインのこと偽狐って言うのはやめてあげて……」


 ブランを咎めるが、『何か悪いことを言ったか?』と言いたげな表情を返されてため息をつくしかなかった。


「――どうやら【流離人】は何か望みがあったらしい。研究していた内容から考えると、空間とか時間に関わることかな? やけに転移魔法や時間を操る魔法が研究されているみたいなんだよねぇ」

『空間はともかく、時間だと? そんなことできるわけがあるまい』

「それがそうとも言えなくて」

『は?』


 ブランがポカンと口を開けるのを見ながら、アルは説明を続ける。時間を操るという概念は昔からあるが、それを実現させたというのは聞いたことがない。ブランができるわけがないと断言するのも当然と言えた。


「異次元回廊と外とは時間の流れが違うってクインが言っていたでしょ? つまり、神は異なる時間の空間に干渉できる。それを人間、あるいは【流離人】ができないって、断言できる?」

『……神とその他の生き物は違う』


 苦々しい言葉が返ってきた。神に思うところがあるブランでも、絶対的な力の違いは理解しているのだ。アルだって本来ならそれに同意するだろう。


「でも、【流離人】はそう考えなかったみたいだね。あらゆる視点から考察、検証がされていたよ。……一体、その魔法を使って何をしたかったんだろうね」

『……分からんが、神に異次元回廊の管理を任されてでもしたいことだったんだろうな』

「そうだね。……あと、これも、その研究過程で生まれた物みたい」


 アルが取り出して示したのは赤い石だ。魔物に埋められていたり、転移用の魔法陣にセットされていたり、様々な所で目にして謎めいた存在。本で調べる前に鑑定眼で見てみたのだが、【謎】の一言が返されて脱力したことを思い出す。


「これは、魔法の効果を増幅させる物らしい。魔力を増幅させるとも言い換えられるかな? これのおかげで、転移用の魔法陣は少ない魔力量で発動したし、魔物は小さな魔石で動き続けた」

『普通の石っぽいのに、凄い物だったんだな……?』

「そうだよね。外に持ち出したら、この技術を巡って争いが起きること間違いなしだ。……特に、マギとかグリンデルとか」

『ああ、ただでさえ面倒くさい奴らなのに、わざわざ誘き寄せることはしてくれるなよ?』

「もちろん」


 ブランが念のためと言いたげに確認してくるので、アルは力強く頷いた。アルとて、この技術を外に出してはいけないと判断できる程度の分別はある。


「後は……試練前に襲ってきた魔物、っていうか、あれは正確に言うと魔物じゃなかったらしいんだけど」

『何を言いたい?』

「あの再生力がある石像とかの魔物ね。あれは人造魔物? 【流離人】が研究の途中で作った物らしい。なんか世界観を完璧にするため、とか書かれていたけど、よく分からない。あの空中城も同様で、研究の中で作られた物らしいね」

『……意味が分からん。なんのためにそんなもんを』

「僕も分からない」


 本を読んでわかったのは、異次元回廊は本来の姿からだいぶ形を変えているということだった。サクラ・ホンドウが書いた本に、【異次元回廊改造計画書】という物があり、大好きな物語の世界観を反映させたとあった。それはただの遊びだとも。


「転移する槍もあったでしょ? あれも鑑定眼だと【謎】としか示されなかったんだけど、魔道具の一種らしい。衝撃を受けて一瞬後に手元に戻ってくるようになってるみたいだ。……凄いよねぇ。正直、まだその魔法陣を理解しきれてなくて、もっと研究したいんだけど」

『後にしろ』


 素気無く却下されて秘かに落ち込む。アルにとって魔道具の研究は最早アイデンティティと言えるくらいなのに、ブランは冷たい。


「――まあ、とりあえず、今分かっていることはそれくらいかな? 【呪い】についてはまだ本を見つけられてなくて」

『あるかも分からんしな』

「あってほしいんだけどなぁ」


 最後の一口のコメを飲み込み、皿の片づけを始めた。何か話忘れていることはないかと考えるも、詳しい研究内容が思い浮かぶだけだ。ブランはその情報に興味を抱かないと断言できるので、あえて口には出さなかった。


「う、うぅん……」


 アカツキの呻き声が聞こえて視線を投げる。暫く様子を窺ったが、まだ起きる気配はなかった。


『こいつ、さっきまで眠っていたくせに、まだ寝るとか寝すぎだろう』

「そう言わず……アカツキさんだって寝たくて寝てるんじゃないだろうし」


 アルは苦笑しながらブランの言葉を咎めた。アカツキに掛けられた記憶の封印は手強いものに感じられた。起きた時揺らぎがどうなっているかは分からない。でも、妹だというサクラ・ホンドウについて、少しでも覚えていたらいいなと思う。また忘れてしまったらあまりに可哀想だ。


「さて、ブランがアカツキさんの分まで食べ尽くしちゃったし。いつ起きても食事を摂れるように、また作っておこう」


 チクゼンニを好んでいるようだったし、あの料理本に載っている料理は大好きな物ばかりだと言っていた。せめて好きだと言っていた料理を口にできるようにと調理を始めたアルの背中に、ブランの声が飛んでくる。


『アル、我は肉の塊を食いたいぞ! なんなら良さそうな魔物を狩ってこようか? 良い狩場を見つけたのだ!』

「……良い狩場?」


 言いたいことは色々あったが、とりあえず飲み込んで、アルは気になる言葉を反復した。


『ああ。この地は面白い仕掛けがあるみたいだぞ!』

「あ、もしかして、【食肉牧場】のことかな」

『……なんで知っているんだ』

「僕言ったよね? 【異次元回廊改造計画書】を読んだって。そこに説明があったよ」

『むぅ……我の、とっておきの発見だったのに』


 拗ねるブランを狩りに送り出す。このままここにいられて、逐一料理の味見を強請られたら面倒だからだ。

 ちなみに計画書に書かれていた【食肉牧場】とは、食肉に適した魔物が次々に襲いかかってくる空間で、この塔の地下から行けるらしい。【流離人】の食料源として用意したと書いてあった。

 塔の地下には他にも【菜園】や異次元回廊内各地へ転移するための【転移門】と呼ばれる物があるらしいので、後で確認に行こうと思う。

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