第172話 門の先には
そこは普通の農村のように見えた。どこからか鳥の囀りが聞こえ、ヒツジかヤギらしき鳴き声も聞こえる。遠くで鳴いているのはウシだろうか。
「え、予想外……」
『なんだ、この辺鄙な村は……。もっと魔道具に溢れた場所か、もしくは最初の白い空間のように厳かな雰囲気の場所かと思っていたが……』
目の前をネコが歩いていった。まったく予想しなかった長閑な風情である。
門の先に続く道の両側に家と思しき物が点在している。とりあえず歩いて観察してみるも、人の気配が全くない。
「……たくさんの人が住んでいるんじゃなかったの?」
『いないな。……だが、昔はいたんだろう。人が生活していたような痕跡がある』
「ああ、確かに……随分と劣化しているようだけど」
家は施錠されていなかった。声を掛けても返事がない。アルは扉を開けて中を観察し、家の中の埃に顔を顰めてしまった。外観からも予想していたが、現在人が暮らしているとは思えなかった。
「もしかして、廃村……?」
『そうだな。生きているのは家畜くらい、か……? いや、あっちの塔に人の気配があるな』
「え、ほんと?」
ブランが指す方に視線を向けると、天を突くように巨大な塔が村の最奥にあった。なぜ今まで気づかなかったのかと思うほど存在感がある。
「――突然現れた?」
『ああ? 最初からあっただろう?』
「……うっかり見落としてたかな」
『お前の目は節穴か』
「馬鹿にするのはやめて」
鼻で笑うブランに文句を言う。どこか腑に落ちない。ブラン曰く、巨大な塔は最初からあったらしいが、アルには突然見えるようになったとしか思えなかったのだ。
「――あ、やっぱり」
『あ? 消えた……?』
ブランが気味悪そうに呟く。その気持ちにはアルも共感した。
塔は消えたり現れたりを繰り返しているようである。ブランは偶然現れている時だけを見ていたようだ。
「この辺の家を覗いても収穫はなさそうだし、さっさと塔を目指そうか」
『塔に入ったら、我らごと存在が消える、なんてことがなければいいな?』
「そういう嫌な予想はやめてよ……」
げっそりと呟きながらも、近くに転移の【印】を設置する。これでコンペイトウを使えばこの場所に帰ってこられるはずだ。
塔に歩いていきながら周囲を観察して、アルは奇妙な物を見つけた。
「これは――魔道具?」
『なんの魔道具だ?』
塔から少し離れたところに、石碑のような物がある。魔法陣が刻まれたそれは、赤い石と魔石がはめ込まれていた。魔物の気配はないし、魔道具だろうと思うのだが、その機能を知るには時間が必要だ。だが、予想はできる。
「たぶん、塔の姿を隠す魔道具だね。魔石がもう消えかかってる。魔力が足りないから、塔を隠す力が足りなくて、消えたり現れたりを繰り返してるんだろう」
『では、この塔は存在ごと消えているわけではなく、その魔道具で一時的に姿が見えなくなっているだけということか』
「うん、その可能性が高い」
魔法陣をこのまま解析したいという欲を抑え、アルは塔に向かった。今は塔の中にあるという人の気配を確認するのが先だろう。
「――鍵はかかってないね」
『隠している割には無用心だな』
「そうだね。あの魔道具が鍵の役割を担っていたのかもしれないけど」
軽く押すだけでギギッと音を立てて開いた木製の扉。隙間から中を覗くと、明かりがなく先を見通せなかった。
魔法で生み出した明かりで中を照らすと、円形の塔の壁を覆うように本棚があり、所狭しと書物が並べられていた。その傍には階段があり、塔を螺旋状に上れるようになっている。本を取るにも便利そうだ。
「――すごいっ!」
『アルが大好きな本ばっかりだな……』
興奮の声を上げるアルを横目で見たブランが嫌そうにため息をついているのも気にせず、アルは中へと足を踏み入れた。その瞬間、本棚についていた明かりが一斉に灯る。
「人を感知して明かりがつくようになっていたのか。あ、あの本、【魔法の秩序 著:サクラ・ホンドウ】って書いてある! 古代魔法大国時代の有名な魔法研究者の本だよ!」
『うおっ! 急に走るな!』
本棚を眺めていたら一際興味を惹かれる名が見えて、アルが思わず走り出すとその肩に乗っていたブランがバランスを崩した。すぐに体勢を整えたようだが、苦々しい表情で怒られて足を止める。
『警戒心を持てと何度も言っているだろうが!』
「うん……ごめん。でも、危険があるような感じもしないでしょ?」
本に気を取られてそぞろな返事をするアルを、ブランがキッと睨んだ。
『だからと言って、無用心に駆け寄る奴がいるか! 馬鹿者!』
「ごめんってば……」
ブランが心配する気持ちは理解できる。だが、憧れの本を目にしたアルの思いも理解してもらいたいものだ。
そう思いながら、周囲を警戒しつつ目当ての本に近づいた。
ここまで言ってもその本を優先するか、と冷たい目を向けられているのには気づいていたが、アルにも譲れないものがある。
「凄いな……こんな綺麗に残っているのか。全然劣化が見られない。そもそもこの空間には埃が無いし、状態を保存させるような魔法がかかってるのかな」
『知らん。その本より先にすることがあるのを忘れてないか?』
「……うん、そうだね」
大変名残惜しい。そう思いながらも、手にしていた本を本棚に戻す。本は逃げないのだ。本来の目的を達成した後にゆっくり読めばいいだろう。……そう分かっていても、後ろ髪を引かれながら、アルはゆっくり階段を上って行った。
ブランが感じたという人の気配には、既にアルも気づいていた。その人はどうやら長い階段を上った先、塔の最上部付近にいるようだ。
◇◆◇
階段を上り、次々と目に入る本の題名に心を奪われ足を止めそうになりながらも、なんとか最後の段に辿り着く。ここまで四十分ほどかかっただろうか。ブランが度々尻尾で叩いてくれなかったら、この倍以上の時間がかかっていただろう。それを喜ぶべきか悲しむべきかと思いながら、階上に現れた扉に目を向ける。
「屋根裏部屋かな」
『階段がないな』
天井に突起があり、そこが扉になっていることは分かる。だが、アルの身長では全く手が届きそうにない。
開けるための手がかりがないかと周囲を観察するアルをよそに、ブランが面倒くさそうに『まだるっこしい』と呟き、宙を駆けた。天井の突起は取っ手になっていたらしく、それに手を引っ掛けたブランがグイッと引く。
扉は一切の抵抗なく開かれた。
「おお、階段が現れた」
『ここまで手を加えるならば、開けやすくしておけばいいものを』
扉の内側に階段が折りたたまれていたようだ。手を伸ばして広げ、その強度を確認する。上っても問題なさそうだ。
足を乗せた途端ギギッと音を立てるのにドキッとして、慎重に上っていく。落ちそうになったところでブランが助けてくれるだろうとは分かっていても、怖いものは怖い。
「上は……家、かな?」
『気配は動かんな』
階段を上りきってみると、床にはつるつるとした石が敷かれていた。右手側には木製の棚らしき物。
勝手に家捜しするのも気が咎めて、アルはとりあえず声を掛けてみることにした。
「こんにちはー、誰かいらっしゃいますかー!」
『……動かんな。生きてはいるようだが』
ブランと顔を見合わせる。人はいるようだが、アルの声は空しく空間に消えるだけで、返ってくる反応は全くなかった。
「う~ん、勝手に上がっていいものかな」
『別に構わんだろう。我らが相手に配慮する必要もなし』
「……そうかな?」
とりあえず住んでいる人の情報を得ようと、傍の棚を開けてみると、三足の靴が仕舞われていた。サイズを考えると、女性か子どもだろう。
「目ぼしい物もないし、進もうか」
『うむ』
石が敷き詰められた床の先は一段高くなっていて、その先は木製の床が続いているようだ。なぜこんな段差を設けているのか分からないが、とりあえず先に進もうとすると、足先が何かにぶつかる。
「――え? 壁がある……?」
『ここまで来て、入れんというのか?』
木製の床にどうあっても足を乗せられない。それなのに、手で触れることはできるのだ。ブランは手も足も先に進められないようだが。
「どうしろと……?」
困惑したアルの視界に入ったのは、先ほど確認したばかりの棚に収納された靴だった。
「あ、もしかして――」
アルは不意に閃いた考えに従い動き出した。
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