第171話 門の意味

 クインとの会話が途切れてしまった。【魔族】という言葉に触れずにどう話を続けるかと、気まずげに彷徨わせた視線が傍の椅子に落ちる。


「――アカツキさん、起きないね」

『とびっきりの寝坊助だな』


 くるりと丸まって僅かに上下する黒い体は、ただ眠りの中にいるように思える。ブランもアカツキをちらりと見たが、呆れたようにため息をついて文句を呟くだけだった。

 そっと手を伸ばして揺すってみても、起きる気配は微塵もない。そういえば、スライムとラビはどうしたのだろうか。気になって気配を探ると、二体はテーブルの下にいた。

 行儀が悪いと分かっていたが、テーブルクロスをめくって覗き込む。


「あ、随分楽しんでいる様子で……」

『こいつら主人の心配をする気が微塵もないな』


 ラビとスライムが嬉々とした様子で様々な菓子や軽食に食いついていた。思わず苦笑するアルとジト目で睨むブランも気にせず、至極幸福そうに過ごしている。その様子を見るに、アカツキが試練を受けている間でも、スライムたちとの間の魔力的繫がりに障害はないようだ。


『質問はもういいのか? まあ、先に進んでもここにはいつでも来られる。その黒き者を残して、そなたが興味を抱いていた知識の塔を見に行ってはどうだ?』

「え、ここにはいつでも帰ってこられるんですか?」


 意外な言葉を受けて、クインに視線を戻す。クインが首を傾げて不思議そうにしていた。


『そうだ。説明していなかったか? 既に【資格】を得ているのだから、そなたたちの道行みちゆきを阻むモノはない。あの門を潜れるのは一度きりだが、塀の向こうからこちら側へは転移の仕組みがあるそうだ。ここはもちろん、これまでにそなたたちが通ってきた場所も自由に行き来できるはずだぞ』

「それは便利ですね……」


 いつか見た転移魔法陣を使った仕掛けがあるのだろうか。実に便利な仕組みが作られているようである。それは、塀の向こうに住むという管理代理人が利便性を求めた結果なのかもしれない。

 思えば、アカツキのダンジョンも、アカツキの居室からダンジョン内のどの場所にも行き来できるようになっていた。こういう不可思議な場所ではそういう仕組みが当たり前なのだろうか。


「――でも、アカツキさんを置いていくのか……」


 今すぐにでも知識の塔に赴きたいアルの足を止めるのは、未だ起きる気配のないアカツキの存在だった。まだ試練を突破できていない彼を、一緒に連れて行くことはできない。


『その者は吾が責任をもって見守っておくぞ? それが吾の務めでもあるしな。試練を受けている最中の者を、あらゆる害から守るのは当然のことだ。何人も試練を妨げてはならんのだから』

「……そうですか」


 どこまで信じていい言葉だろうか。返答に迷ったアルは、曖昧な言葉で誤魔化した。

 それに、試練を妨げられることをクインが拒むというならば、アルがこちら側からアカツキの試練に干渉しようとすれば、クインが敵になるということでもある。その手段がそもそも現時点で分からないとはいえ、決して喜べる情報ではなかった。

 悩んでいたアルを静かに見守っていたブランが、ため息をついて尻尾を揺らす。その動きに視線を引き寄せられると、尻尾がアルの膝を打つのが見えた。


『こいつの言葉に嘘はなさそうだ。……先に進んで、干渉の術を探すという手もある。ここを現在管理している者が集めた知識の宝庫ならば、何か手がかりがあるかもしれんぞ』

「……そうだね。ここで立ち止まっていても仕方ないか。よし、行こう!」


 ブランの言葉で踏ん切りがついた。アカツキを残していくことに不安はあるが、日に一度は様子を見に来てもいい。

 先に進みたいとクインに告げようと顔を上げた時、クインのどこか楽しげな眼差しが目に入る。何が楽しいのかと首を傾げると、クインから聞いたことのない言葉が飛び出した。


『――そなた、携帯通信機スマホというのは持っていないのか?』

「は? なんですって?」


 思わず聞き返したアルに、クインの方が驚いたようにパチリと瞬きをした。



 ◇◆◇



 アルの前で白い子狐が駆けている。時折振り返ってはちゃんとついてきているかと確認するその子狐は、クインの眷属の一つだという。ここまで何度かアルたちを導いてきた存在と同一と考えていいだろう。

 この子狐が門を通るために必要らしい。てっきりクインと一緒に門に行くのだと思っていたのだが、軽く肩をすくめたクイン曰く、彼女自身は【試練の間】から遠く離れられないらしい。それもまた【呪い】の効果だという。


「それにしても携帯通信機スマホなんて存在があるなんて……どういう仕組み何だろう?」

『転移箱より便利なのか? 声だけを伝えるよりも、物を送れる方が良さそうだが』

「状況によりけりじゃない? 遠くの人に報告だけするなら、わざわざ手紙を書くより簡単だしね」

『ふ~ん? そんなもんか……』


 門まで向かいながらブランと話すのは、クインが漏らした携帯通信機スマホという存在についてだ。

 そんな物は持っていないと答えたアルに、クインはあからさまにがっかりした様子を見せた。どうやら携帯通信機スマホをアルからもらって、久しぶりの話し相手を確保しようとしていたようだ。

 アカツキと似ているな、と思いながら、アルは転移箱を渡した。アカツキに変化があれば教えると確約してくれたので、渡して損はないだろう。


 ちなみに、現在アルたちはお互いの存在と先を行く白い狐の姿しか見えない真っ暗な空間を延々と歩いている。ここは【試練の間】から門に向う直通の道らしい。

 普通の人間ならば、どれほど続くかも分からない暗闇に発狂しそうだが、アルは魔力の流れを読んで門までの距離をなんとなく把握できたのでそんな心配はない。


「魔族の独特の技術で作られているのかな?」

『あいつの口ぶりでは、それなりに広く知られた技術だと思っていたようだが』

「昔は外でも一般的な物だったっていうこと? 確かに古代魔法大国時代ならありえるな。あの時代の技術は戦争でほとんど散逸しているし、僕が知らなかったとしても不思議じゃない」


 クインの言葉と態度を思い出しながら考察していると、暗闇の先に白い光が見えた。


「着いたみたいだね」


 次第に大きくなる光に近づいていくと、パアッと弾けるように光が溢れだした。思わず手で目を覆い隠す。

 数瞬後に手を下ろした時には、既に暗闇の道はどこにもなく、大きな門が眼前に聳え立っていた。


「どうして暗闇の道を通る必要があったんだろう。転移魔法陣を使えば良くない?」

『演出じゃないか? アカツキも好きだろう、そういうの』

「……身も蓋もない」


 真剣に考えていたのに、ブランのあっけらかんとした言葉で気が削がれてしまった。内心でブランの言葉に納得してしまったというのもある。

 管理代理人がアカツキみたいに無駄な演出を好む可能性はなくもない。クインが必要ないと断じた庭園や菓子の木のことを考えると、むしろ得心がいく。


「きゃん?」

「あ、ごめん。なんでもないよ。――それで、この門はどうやって開けるの?」


 子狐が首を傾げてアルを見上げているのに気づき、ポンポンとその頭を撫でながら聞いた。その途端、肩に乗っていたブランが、ムッとした様子で頬に頭を押し付けてくる。……まさか、アルが子狐を可愛がったことに嫉妬しているのだろうか。

 子狐から手を離し、ブランの頭を撫で始めたところで、子狐がトコトコと門に歩いていく。そのまま門を通り過ぎ、塀の前に座った。


「きゃんっ!」

「え、門は……?」


 クインはこの子狐が門を開けるのだと言っていた。それなのに、子狐は門に見向きもせず、こっちに来いと言いたげに鳴いている。

 意味が分からないまま傍に寄ると、満足げに頷いた子狐が片手を上げて塀をポチリと押した。

 その途端、塀の一部が波打つように姿を揺らす。暫くした後には、目を凝らしていたアルの前に、小さな門が現れていた。アルがくぐるのにちょうど良さそうな大きさだ。


「……大きな門の存在意義……」

『演出だ』

「いや、だから、それ、身も蓋もない……」


 半眼で隣の大きな門を見据えてしまったアルに、子狐が不思議そうに首を傾げている。そして行かないのか、と言いたげにちょいちょいと門を指さしていた。


「はあ……気にしないことにする。管理代理人に会ったら絶対聞くけど」

『演出以外の言葉が返ってくるといいな?』

「……そうだね」


 脱力してしまったアルを揶揄うようにブランが笑うので、軽くその頭を叩いておいた。そして門の方に歩き出す。

 門の先は黒い水面のように揺れていた。どうやら外から中を窺うことはできないらしい。クインと同様に子狐はこの先に進むことができないようなので、ちらりと見下ろしてから笑みかける。


「案内ありがとう、子狐君」

「きゃんっ!」

『達者で暮らせよ、だと』

「え、そんな話し方⁉ もっと可愛い感じかと思ってた……。というか、ブランはこの子狐の言葉が分かってるんだね?」

『む……。確かに、何故か分かったな。思念ではなさそうだが……?』


 首を傾げて考え込むブランのことは気になったものの、アルは自分が考えても仕方がないと、そのまま門の向こうに一歩足を踏み出した。

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