第170話 否定される認識
『吾は望みを抱き、それを神に叶えてもらうために、訪れる者に試練を与えるという務めを担った。だが、その頃からこの地は変動を始めていたのだ』
「変動、ですか」
『ああ。管理代理人は神に何やら思うところがあるようでな。それにその者自身も叶えたい望みがあったらしい。元々の異次元回廊とは、強敵が次々に襲ってくるような、非常に殺意に溢れた場所だったのだが、管理代理人により大きく改変された。アルたちもこれまで見ただろう? 魔物はそれほど強くない、だがそれなりに頭を働かせなければならない。菓子が生る木や美しい庭園。本来ならばこの地に必要でない物ばかりだ』
「よく分からない環境は、神ではなく管理代理人が望んだものだったのですね」
クインの説明で一つ納得がいった。アルが抱いていた神のイメージとこれまでの道のりの雰囲気が一致しなかったのだが、そこに神の意思が反映されていないと分かればそれも不思議ではない。
『吾にかけられた呪いもまた、管理代理人が望みを叶えるためのものであろう。吾は上位者の神から役目を任されているから、管理代理人の意に沿わずとも排除できなかった。それ故、少なくとも望みの邪魔にはならぬよう、吾の行動を縛ったのだ。――アルたちも気づいているだろう? この地に漂う魔力が異質なことに』
「あ、そこに繫がるんですね。確かに、この地に漂う魔力は魔物を操る意思をのせているのだと分かってはいましたが」
『ふ~ん? 一体何を目的としているのだ。我が見るに、お前はそれほど行動が制限されているようには見えないが』
ようやく知った異質な魔力の意味に頷くアルの横で、ブランが眇めた目でクインを観察していた。
クインが苦笑して手の平を胸の上に置く。
『管理代理人の行動を妨げぬよう、反抗を禁じられているのだ。吾の命令系統の上位者は神。管理代理人からの命令は、本来聞かずともよいし、咎める権利もあった。だが、吾はあの者を憐れに思ってなぁ……。吾が大人しく見ているだけで、あの者に安寧が訪れるならばそれも良しと従っているのだ』
『それで、鬱陶しい魔力に包まれたままでいるとは、愚かだな』
「ちょっとブラン、言いすぎ……」
鋭い口調で断じたブランに苦笑し、宥めるようにポンポンと頭を撫でる。ちらりと見上げたブランが、ふんっと鼻で息をついて顔を背けた。
『吾にとっては、ここに来てからが記憶のほぼ全て。長く共にある相手にはそれなりに情が湧くだけだ。――ここ暫く、とんと顔も見ていないがな……』
クインが苦笑しつつ紅茶のカップを傾け、一口飲んだかと思うとため息のように呟きを零した。寂しげな雰囲気で俯く姿を見て、アルはその内心を察し肩をすくめる。それなり、という程度の情には思えなかったのだ。
長く一人でこの地にいることになったクインに、他に話し相手がいるようには思えない。アルと同程度に会話を交わせる魔物であるのだから、その存在が神に弄られていたとしても、感情という部分では人間と同じようなものだと考えてもいいだろう。少なくともブランと同じくらいには喜怒哀楽がある。長い時を一人で過ごす寂しさはいかばかりか。己を縛る相手であろうと、会話を交わせる相手がいることはクインにとって救いであっただろう。
クインのこれまでに思いをはせていたら、不意に上げられた視線と目が合った。アルが首を傾げると、ほのかに笑んだクインも首を傾げる。
『先に挙げられた質問には答えられたと思うのだが、他にあるか?』
「えぇっと……」
問われて頭の中を整理する。
確かにクインという存在については十分知れたと思う。異次元回廊に来るまでの記憶はほとんど無いにせよ、アルがそこを気にする必要はない。
異次元回廊を創った存在とその目的についても聞いたし、現在の管理者が別にいることも分かった。
では、他に何を聞くべきかと言うと……やはりあれだろう。
「クインは【呪い】と言っていましたが、それは魔法とは違うのですか?」
『うん? アルは【呪い】を知らぬのか? 外で使う者はいなくなったのだろうか……?』
「僕はこの地に来て初めて聞いた言葉ですが、元は外でも広く知られたものだったんですか? 僕が読んだことのある書物で、そういう記述を目にしたことはありません」
『うぅん、吾が外にいたのは遥か昔であるし、全てのことを知っているわけではないが……。【呪い】とは一部の種族が用いた技術だ。魔法とは似て非なるモノらしいが、詳しくは知らぬ。知りたいならば塀の向こうに進むと良い。あちらに知識の塔があるらしい。様々な書物が収められているはずだ』
「知識の塔!」
『うげっ……』
思わず声を張り上げたアルとは対照的に、ブランがこの上なく嫌そうに呻いた。その意味はよく分かっていたが、アルにとって今重要な事ではない。知識の塔にある書物に心を奪われているからだ。
「本当にたくさんの書物があるんですね? 魔法や【呪い】について書かれた物が?」
『う、うむ。ほんにそなたは知的欲求が高いな。そなたが求める書物はたくさんあるはずだぞ。あそこは、管理代理人が望みを叶えるために研究をしていた場でもあるからな。多くの者があの地に住んでいるらしい。吾はあいにくと直接見たことはないが、話ならば聞いたことがある』
「え、見たことがないんですか?」
『吾は【門番】である。塀の向こうはまた別の空間なれば、吾が見ること、入ること能わず』
「そうなんですね……」
役目とはアルが思っていた以上に縛りがきついらしい。クインが寂しげなのも納得だ。塀の向こうにたくさんの者が住んでいると知っていながら、クインがその輪に加わることはできないのだから。
『多くの者が住んでいる、と? それは……魔族ではないか?』
「っ、そうか。そういえば、魔族がここにいる可能性は高いんだったね」
『アル、本の魅力に憑かれて、魔族の存在を忘れ去っていたな?』
「え? そんなことないよ?」
ジト目で見つめてくるブランから目を逸らし、笑みを浮かべながら言うも信じてもらえる気配はない。嘘だから仕方ないけれど。
『魔族。……そう、あの者は魔族だ。……いや、魔族、とはなんだ……?』
「クイン? 大丈夫ですか?」
ふと見ると、クインが小声で呟きながら俯いていた。何か混乱した雰囲気だが、その理由が分からず困惑する。ブランを見ても、『分からん』と言いたげに首を振られるだけだった。
『――そうだ。あの者はそれを否定していた。吾から見れば、あの者は魔族に違いなかったのに、断じて認めなかった。それ故、吾は【呪い】をかけられたのだ。魔族と呼ばぬように、と』
クインが呆然と目を見開く。『なぜ忘れていたのだ』と呟きながら頭を抱えた。
『……記憶が乱れる。これは神の意思と【呪い】が反発しているからか。……吾の務めに反していないのだから、これ以上の神の干渉は受け入れがたい。あの者が【魔族】と呼ばれることを拒むならば、吾はその意に従うべき』
決意を籠めた声で呟き、ギュッと目を瞑ったクインは、暫くして顔を上げた。様子を窺っていたアルに気づくと、不思議そうに首を傾げる。
『どうかしたか?』
「苦しんでいたようでしたが、大丈夫ですか? 【魔族】という言葉がきっかけのようでしたが」
『魔族、とな? 初めて聞いたが、それは何だ?』
思わずぽかりと口を開けてクインを呆然と見つめてしまった。ブランが険しい表情でクインを見据える。
『なるほど。管理代理人のかけた【呪い】は【魔族】という認識をなくすことも含んでいたか。なぜそんなことをするかは分からんが、どうやらこいつ自身に【呪い】に抗うつもりはなさそうだな』
「……そうだね。あまり刺激しない方が良さそう」
クインは【魔族】という言葉の度に僅かに顔を顰めていた。そしてアルたちへの敵意すら覗かせる。クインにとって、かけられた【呪い】はアルたち以上に尊重すべき存在らしい。
それの是非をアルが述べるのもおこがましいだろう。アルにとって害がないならば、クインの意思に反する必要性もない。
クインの前で【魔族】という言葉を発しないようにと目でブランに伝えると、ブランはため息をついて頷いた。
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