第169話 語られる歴史

『まず言っておくことがある』


 クインの語りは、真剣な表情での言葉から始まった。口を付けていた紅茶のカップをテーブルに置きながら、僅かに首を傾げてクインを見つめる。

 ブランは目を眇めてクインを眺めてから、くわりと欠伸をして毛繕いを始めた。もうちょっと話に興味を持ってほしいと言いたげな目がクインから向けられていても、全く気にしていない。


『――この空間はそなたたちがいた場所とは少々次元がずれている。故に、時間の流れも異なっているのだ』

「異次元回廊と聞いてはいましたが……なるほど、時間のズレ……。もしや、今すぐ外に出たら時間が経過していない可能性もありますか?」

『今すぐ外に、か? それができるならば確かめられるだろうが、正直そのためだけに外に出ることは勧めないぞ? 時間のズレも一定ではない。再びそなたがここに戻ってきた時、時間は遥か先に進んでいる可能性もある。普通の人間がそう何度も時間の負荷に耐えられるとも思えぬし』

「時間の負荷……」


 思っていた以上に難しい場所だと分かり、顔を顰めてしまう。時間の負荷というのがどういうものか分からないが、嫌な予感が湧いてきて、外への転移は非常時だけにしようと心に決めた。


『……あの若作り爺が寄越した物、結局役に立たないんじゃないか』

「リアム様のこと、若作り爺って呼ぶのやめよ? 確かにコンペイトウを使って外に出ない方が良いっていうのは予想外だったけど。これまでに試さなくて良かったね」

『あいつ、我らを罠に嵌めようとしたんじゃなかろうな……?』

「それは何とも答えようがないけど……僕たちをここに送り込みたかったみたいだし、導く餌に使ったのは間違いないだろうね」

『あいつ、外に出たら食ってやる……』


 ブランが殺意を籠めた目で呟いた。アルは苦笑してその頭を撫でる。その怒りには共感できたので、ほどほどのところで止めようと思う。正直、ブランとドラゴンが戦ったらどうなるのか興味もあった。


『ふむ……。コンペイトウか。懐かしい名を聞いたな』


 アルとブランのやり取りを不思議そうに聞いていたクインが、何かを思い出したように呟いた。コンペイトウはクインにも馴染みがある物だったらしい。リアムが魔族から渡された物なので、魔族と関わりがあると思われる場所にいるクインが知っていても不思議ではないけれど。


「もしかして、ここでコンペイトウを入手できるんですか?」

『ここでは無理だな。得たいならば先に進むがいい』


 言葉少なだったが、塀の先を進めばコンペイトウを得られると分かった。魔族がそこにいる可能性も高まったということだ。アカツキが聞いていればさぞ喜んだことだろう。


『話が脱線したな。とりあえず時間の流れが異なっていることを理解してもらえればそれでいい。故に吾はここにいつからいるかという問いに、正確な答えを返すことができぬのだから』

「ああ……そういうことですか」


 クインが何故前置きをしたかが分かり、アルは軽く頷いた。


『吾は恐らく遥か昔にここにやって来たのだ』

「やって来た?」

『そうだ。吾は元はそなたたちと同じように、外で生きていたが故に』


 懐かしむようにクインの目が細まった。アルは予想だにしなかった言葉に目を見開き、その様子をじっと見つめる。クインが外で生きる魔物だったとは知らなかった。

 ブランも予想外だったのか、目を見開きクインを凝視している。だが、すぐに首を傾げて疑わしげに目を眇めた。


『外で生きていた? お前のような生態の魔物、我は知らぬが』

『世界の全てを知っているわけではあるまい。……それに、吾が今の吾になったのは、ここに吞み込まれてからだ』

『……それが異様さの原因か』


 気になる言葉ばかりだ。クインとブランを見比べながら首を傾げる。ブランは何か理解したようだが、アルにはまだ情報が足りなかった。


「今の吾、とはどういうことですか?」

『ああ。吾は外からここに来た。それは恐らく強い望みを持ってなのだが……その辺の記憶はぼやけていて分からぬ。何せ、吾は試練を越えることができなかったのだから。その結果、吾は存在を取り込まれ改変され、今の吾が生まれた』

「恐ろしいことを言いますね……」


 顔を引き攣らせるアルに、クインが肩をすくめた。存在を改変されるなんてアルの理解が及ばないし、聞いていただけで忌避感が生まれるのだが、クインはアルほど気にしていないようだ。軽く説明を続けてくれる。


 強い望みを持ってこの地にやって来たクイン。熾烈な戦闘を繰り返したが、試練を突破できずに倒れることになった。その時、クインは問われたと言う。『数千の時、務めを果たしたならば望みを叶えてやろう。この役目、引き受けるか否か』と。


『吾はこの問いに諾と答えた』

「それは……ちゃんと履行されるかも分からない、なんとも不平等な約束ですよね。よく承諾できますね……。相手は一体誰なんですか?」

『不平等、か。だが、吾はそれに縋るほど、望みを叶えたかったのだろうな。もうその望みは覚えていないが』


 苦笑したクインが一拍おいて再び口を開いた。


『吾にそう問うたのは、この地を生み出し管理する絶対者。きっとそなたも知っている存在のはずだ』

「僕たちも知っている?」


 言われた瞬間は思い浮かぶ存在がなかった。だが、ブランが不機嫌そうに顔を顰めるのが見えて、ふと頭を過る言葉がある。


「まさか――神……?」


 呆然と呟いたアルに、クインが重々しく頷いた。


『いかにも。この地は神が生み出した。人間に試練を与えるために。外に広がる魔の森を含めて、世界を管理するために』

「魔の森も、ですか」


 急に【魔の森】という言葉が聞こえて、理解しきれず瞬きを繰り返していると、クインが苦笑して紅茶を勧めてきた。冷めた紅茶で口を潤わせながらジッとクインを見つめる。


『魔の森にも管理者がいるだろうとは思っていたが……神だったのか』

『今はほぼ放置しているが。管理を実質的に担っているのは代理人だ』

『代理人? なるほど、神らしい無責任さだ』


 ブランがやけに刺々しい。神に担いたくもない役割を押し付けられ、望んでもいない永遠を与えられたのだから、神に対して抱く感情は良いものではないと分かっていたが。

 アルもあまり神に対して良い印象はない。神を奉じる場は金集めの場所、という認識が強いのだ。


「最初から、詳しく教えてください」

『うむ。話が進まぬと吾も思っていた。そなたたちが知らぬ歴史を語ろう。質問はその後に受け付ける』


 クインの提案に頷くと、滔々と語りだした。


 世界を生み出した神は、暫くただそこに生きる者たちを見ていた。だが、いつからか【人間】が世界を占拠し始める。神が役目を与えた者たちを押しのけるように勢力を広げる【人間】は、神の管理下から外れるようになった。それは神が許せぬ暴挙である。神は【人間】を戒めるために、勢力をこれ以上広げさせぬために、【魔物】を生み出し【人間】の敵と定めた。そして、神が指示せずとも【魔物】を生み出す【魔の森】を創り出したのだ。


「人間への戒め……」


 ドラゴンが傲慢に振る舞いだしたからと、その敵としての役割をブランに担わせたという話を思い出した。神は敵対する者を生み出して統制を図るのが常套じょうとう手段のようだ。


 アルをちらりと見やったクインはそのまま語りを続ける。


 神が創った【魔の森】だが、神は次第にこれの管理を面倒がるようになった。その頃ちょうど神の元を訪ねる者がいた。その者は神に望みを叶えてくれと懇願したのだ。

 神はその者に【魔の森】の管理を押し付けた。そして、神の元に容易く辿り着く者がいるのは許容できぬと【異次元回廊】を創り、その管理もその者に押し付けたのだ。

 【異次元回廊】とは文字通り、次元を異にする神の御許に続く回廊。


「つまり、その管理を押し付けられた者というのがクインですか?」


 質問は最後と言われたが、思わず尋ねてしまった。苦笑したクインが僅かに首を振る。


『違う。吾は【異次元回廊】ができてから、神に望みを叶えてもらうために挑戦しにきた者にすぎんからな』


 そうなのか、と首を傾げていると、クインが不意に外に視線を向けた。憐れむような目が向けられたのがどこなのか、アルには分からない。


『――あの者に出会った時、吾は呪いをかけられた。吾を信用できなかったのだろうなぁ……』


 クインが言っていることの意味が分からない。目を眇めたアルはティーポットを手に取り傾けた。話はまだまだ続きそうである。


「……それはそれとして、このティーポット、注いでも重さが変わらないんだけど、もしかしてこの中で紅茶が生み出されている?」


 魔道具らしいティーポットに意識が奪われた瞬間、ブランに手を嚙まれる。呆れた目がアルを無言で咎めていて、アルは咳ばらいをして再びクインの話に意識を集中させた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る