第165話 絶望的な差

 扉を開けた先。謁見の間のような空間の奥、一段高くなった壇上に、巨大な白い魔物の姿があった。


「聖魔狐……?」

『む……だが、魔力の気配がおかしいぞ。あれは同族ではない』


 悠然と伏せた体勢で、静かにアルたちを見据えているのは、一見するとブランと同じ聖魔狐のようだった。だが、僅かな違和感がある。ブランも同族とは認められないようだ。


「ブランに似てる感じですけどねー?」


 アカツキはアルたちが感じているような違和感がないのか、不思議そうに首を傾げる。スライムとラビは、魔物の威容に怖気づいたように、アルの後ろに隠れた。


「よく分からないけど、聖魔狐に似た魔物を倒せばいいのかな? 能力も似ているなら、凄く強敵だと思うんだけど」


 話しながら、いつでも戦闘に入れるように構える。魔物から感じる魔力からも、強敵の気配がした。

 ブランも警戒感も露わに床に下り立ち、一瞬で本来の姿に変化する。本物の聖魔狐と偽物の聖魔狐が相対しても少しも狭く感じない部屋は、戦闘するのに十分な広さだ。

 こちらを見つめるばかりで、襲いかかってくる様子がない魔物から目を逸らさぬまま、ブランたちと会話を続けた。


『我の敵として十分だろう。油断するなよ、アル』

「うん。アカツキさんは、結界の魔道具で隠れていていいですから」

「ぐぬぬ……隙を見て、【解呪】とかの魔法を使いますから!」


 アカツキが自身の能力を考え呻きながらも、ただ隠れ潜むことはしないと宣言する。魔物との戦いを始めた当初とは比べ物にならないほど、精神的に強くなった。

 その成長を感じて僅かに微笑むアルに、不意に強い眼差しが向けられる。


『よく来たな、試練の道を歩む者たちよ』

「っ……念話、か」


 偽物の聖魔狐がアルたちに向けて口を歪めた。どこか嘲笑っているようにも見える。


われは試練を与える王である。白きいざないで深淵に辿り着きし探求者の資格を見極める門番である。――試練に挑む用意はいいな?』


 白き誘いとか、深淵とか、よく分からない言い回しをする魔物だ。だが、門番と言っているのだから、この魔物を倒せばあの塀の先に進めるのだろう。


「なんかもったいぶった話し方ですね……」

「それは確かに気になりますが。それより、ここをクリアすれば漸く塀の先に進めるようですし、気合いを入れて頑張りましょう」

『あの魔物一匹、我にかかればすぐに――』


 不快そうに言いながら大きく口を開いたブランが、ボアッと巨大な炎を放つ。だが、その炎はすぐに消失した。


「えっ⁉ 防御用の魔法なんて使ってなかったはずだけど……」

「うっそー⁉ ブランの攻撃、通用しないんすか⁉」


 予想外な展開に目を見張るアルたちの前で、魔物が口の端を吊り上げる。愉快げに尻尾が揺れていた。


『……あの魔物じゃない。この空間自体が特殊なんだ。魔法を封じられている……?』

『その通り。吾が座す空間で、魔法を使うこと能わず。試練は避けられぬものなり』


 魔法を使えない空間で魔物と戦う。その困難を思って、アルは眉を顰めた。

 アカツキが結界の魔道具を発動しようとするも、うんともすんとも動かない。魔道具も封じられているようだ。

 アルも試しに魔力を剣に籠めてみたが、すぐに霧散していくのが感じられた。これでは魔力波を放つことも、剣の強度を高めて斬撃を与えることも難しい。


「やばいやばいやばい……! これ、絶体絶命ってやつですよ!」

「試練とは、これほど……」


 慌てだすアカツキを宥める言葉も出てこない。誰も帰らぬ試練の場というフォリオの言葉が、実感を伴って思い出された。


『我が魔法を使えぬならば、あの魔物も使えぬはず』

「コンペイトウみたいに、魔法封じから逃れる術があるのかもしれないよ」

『……なるほど、その可能性もあったか』


 ブランの希望的観測に肩をすくめて返すと、苦々しくため息をつかれた。アルの言葉に笑みを深めた魔物の姿を見ても、この予想は外れていないのだろう。

 もしかしたら、これまでの道中にここで役立つアイテムが得られる可能性があったのかもしれないが、残念ながら後戻りして確かめることはできない。


『用意はいいな? では、試練の始まりである!』


 威厳ある声で有無を言わさず宣言した瞬間に、魔物の姿が搔き消えた。剣を構える手が汗で湿る。魔物との戦闘にこれほど緊張感を抱いたのは、冒険者を始めた頃しかない。


「ふぎゃ! 問答無用はやめて!」

「……どこから……っ」


 忙しなく周囲に視線を向けて震えるアカツキを背後に隠すように動いた時、ふと空気が揺らぐ気配がした。その気配に剣を向けるより先に、ブランが勢いよく駆ける。

 一瞬姿を現した魔物に向けた爪での攻撃は容易く避けられ、強烈な尻尾の一撃がブランを打ち据えた。弾き飛ばされたブランの巨体が壁に激突する。


「ブランッ!」

『っ……大丈夫だ!』


 心配で駆け寄るより先に、苛立たしげなブランの声が聞こえた。忌々しげに周囲を睥睨するブランの目に魔物の姿は映らない。再び姿を隠したのだ。


「やばやばすぎる! 扉、開かないですか⁉」


 撤退を願うアカツキの言葉を聞いて扉に手を伸ばすも、それは動く気配がなかった。


「これは、さすがに……」


 正直打開策を見つからない。先ほどの感じだと一切気づかぬうちに攻撃されるということはなさそうだが、ブランの攻撃さえ容易く避けられたのだ。魔力による補助も望めないまま、アルの攻撃が通用するものだろうか。


「……死ぬかな」

『諦めが早い! これだから、あれの血は――』

「なに?」

『……なんでもない』


 怒りを滲ませたまま途切れたブランの言葉の先を促すと、不服そうに押し黙った。


『会話を楽しむ余裕があるのか?』


 いつの間にか、再び壇上に魔物がいた。首を傾げ、欠伸までしている。傍に寄ってきていたブランの怒りが再び燃え上がる気配がした。

 アルが止めるより先に、ブランの姿が疾風のように駆け、魔物に襲い掛かる。だが、当たり前のように弾き飛ばされ、再び壁に激突しそうになっていた。直前で体勢を整えていたようなので先ほどより衝撃はなかっただろうが、短時間で二度も撃退される姿を見ていると不安が募る。


『くそっ!』

「ブラン、無理に動くのは――」


 再び駆けようとするブランを制止したとき、魔物の顔がニヤリと歪んだ。その不気味さに思わず足が止まる。


『これでは弱き者をなぶっているようではないか。吾はそんなに悪趣味ではない。吾と対等に戦うことができないならば、別の試練を与えてやろうか?』

『魔法を封じている時点で、少しも対等ではなかろうが! 姑息な手段をとりおって!』


 吠えるブランを意に介さず、魔物は悠然とアルに視線を向けていた。判断すべきはアルであると、その視線が物語っている。

 どうするのが正解か分からない。だが、このままこの魔物と戦闘を続けたところで、勝つ道筋が全く見えていないのは事実だった。

 アルの足元にアカツキがそっと寄り添う。スライムとラビがぴたりとアカツキにくっついていた。そう言えば、あの魔物は彼らに攻撃を与える様子を見せなかった。それはアルに対しても、だ。最初アルを狙うように動いたのも、ブランが反応するのを前提にした動きだったように思える。


「アルさん、少しでも可能性があるなら、あいつの提案を吞むべきだと思います……」


 覚悟を決めた声だった。その言葉を聞いて、思考を切り替える。今はあの魔物の不自然な行動を考える余裕はないだろう。


 顔を上げ見据えた先の魔物は、口を歪めながらも静かな眼差しをしていた。馬鹿にするような言葉とは対照的で、年経た者の賢さが窺える目に、アルが抱いた違和感は大きくなる。だが、それを解消する術は今のところない。魔物は問いへの答えしか求めていないように見えた。


『……我はアルの判断に従う』


 悔しそうに言うブランも現状の困難さは身に染みて分かっているのだろう。戦いの継続を望むことはなかった。

 アルは緊張で乾いた唇を舐める。


「――別の試練をお願いします」


 硬い声で言い放った直後、魔物の目が満足げに細められた。


『良かろう――』


 言祝ことほぐように、うたうように。魔物が一呼吸おいて言葉を続ける。


『望みを忘れることなかれ。欲に溺れることなかれ。――自らに挑む試練の始まりである!』


 魔物の言葉と共に、ふつりと意識が途切れた。

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