第161話 浮沈の記憶
魔物を倒した後に現れていた扉を開けると、見慣れた廊下があった。暫く先で左に曲がっているので、廊下の先は窺えない。これまでの廊下も全て左に曲がっていたので、この調子だと元の場所に戻ってしまうのではないだろうか。
「――廊下自体、長さが違うのかもしれないけど」
今更になって、大体の長さを測りながら来れば良かったと思うが、戻ってまですることではない。肩をすくめて歩を進めると、カツンと靴が石を打つ音が響いた。
「ここの廊下はやけに音が響くね」
『うむ。石の質がこれまでと違うな。廊下の幅と高さも違うようだ』
「言われてみればそうかも」
『……質の悪い魔力が一層濃い。アカツキ、スライムたちは一度魔石に戻した方が良いんじゃないか?』
ブランの言葉に眉を顰める。アルは相変わらず感知できないのだが、なかなか厳しい状況らしい。
アカツキが迷った様子でスライムとラビに視線を
「一度戻すと、これまで育ててきた成果がリセットされるかもしれないんですよね……」
「魔石に戻すのは、先ほどの【解呪】の魔法でできそうですが……アカツキさんの判断に任せますよ」
アルが見る限り、スライムとラビに異常行動は今のところないように思える。だが、マスターであるアカツキの方が、二体の状態をより正確に理解できるだろう。
「スライムとラビ、大丈夫そうか?」
問いかけたアカツキに、スライムが暫く迷った様子で体を震わせた後、ぽよんと跳ねた。ラビは周囲の匂いを嗅ぐように鼻を動かし手で顔を洗うだけで、アカツキに何かを訴える様子はない。
「――今はまだ大丈夫そうなので、このまま行かせてください」
「分かりました。何かあれば、すぐに報告をお願いします」
『……ふん、仕方ない奴らめ』
ブランは『甘っちょろいな』と言いたげな目を向けてきたが、アルは笑顔で黙殺した。スライムとラビに関することは、アカツキに判断を一任すると決めたのだ。
とにかく早くこの場から抜けてしまおうと廊下を進む足を速める。廊下を曲がってすぐに、奥の方に扉があるのが見えた。これまであった扉よりもやけに煌びやかな装飾がされている。
描かれているのは絵本の一幕のような風景だった。扉の上部に描かれているのは城だろうか。下部には街が描かれている。
「空に浮いた城? どこの空想物語の絵かな」
『ふぅん? こんな空飛ぶ城なんてありえるのか?』
「古代魔法大国時代に、空を支配する、なんて思想はあったらしいけどねぇ。実現させたなんて話は聞いたことないな」
『空を支配する、か。なんとも傲慢なことを考えるものだ……』
呆れたように呟くブランに軽く頷いて同意を示す。だが、人間とは飽くなき欲望を抱くものだと神の教えにもあった気がするので、さしておかしな思想ではないのだろう。
「空に城……。ファンタジーだな……。そういえば、誰かがそんな物語を好んでいた気がする……。ティーパーティーに、懐中時計を持つ白い生き物も……何かの物語で……」
誰に聞かせるつもりもないだろう呟き声に、ふと視線を落とす。アカツキが何かに憑かれたように一心に、扉に描かれた絵を見つめていた。
ほとんどの記憶を失っているアカツキ。そんな彼の琴線に触れるものが、この絵にあったのだろう。それは彼の過去に結び付くものかもしれない。そうなると、この扉を設置した者とアカツキに関係がある可能性が高まるのだが――。
『こやつ、大丈夫か?』
心配そうに放たれた言葉に苦笑して、ブランの頭を撫でる。
「異常はなさそうだよ。何か思い出すことがあったんだろうね」
『……ふん。スライムたちより、アカツキに注意を払わんとならんとは』
不甲斐ない奴め、と言いたげな言葉だが、ブランはやはり心配そうな顔だった。暫くアカツキを観察した後、フイッと逸らされた目が扉に向かう。続いて軽く尻尾がアルの頭にぶつけられた。さっさと扉を開けろと言いたいのだろう。
「アカツキさん、先に進みますよ?」
「っ、はい! 俺も、すぐ【解呪】を使えるよう構えておきますね!」
「そう気負わなくてもいいんですけどね」
声をかけると、アカツキの顔にパッと表情が戻った。気合いを入れるように杖を構える姿はいつも通りの様子だ。
『珍しく魔物の情報はなかったようだが、問題はないな?』
「うん。出たとこ勝負ってことだね」
「なんとなく、石タイプの魔物かな~って思いますけどね」
「どうしてですか?」
予想外なことを言いだしたアカツキを見ると、首を傾げながら「なんとなくです」と繰り返すだけだった。その言葉通り、アカツキも何か確信を持って言ったことではなかったのだろう。アルは、失くした記憶の中から得られた情報かと予想して、それ以上アカツキに問うことはしなかった。
扉に手を添えると、スゥッと扉が開かれていく。
眩しい日差しがアルたちの目を刺した。
「――急に、外」
『明らかに今までと違うな』
「ふえー、空が近い!」
燦々と降り注ぐ日差しの下、鮮やかな緑の大地が広がっていた。芝生の先には、扉に描かれていたような城が建っている。その城の周囲に五体の苔むした石像が並んでいた。先ほどの魔物のことを考えると、この石像が魔物の可能性が高い。
地面を踏みしめると、柔らかい感触が伝わってくる。
『……扉がないな』
ブランの言葉に背後を振り返ると、通ったはずの扉が消えていた。こういう現象には馴染みがあったのでそう驚くことはないが、それより異常な光景に思わず心臓が跳ねる。
「扉どころか地面もないよ!」
「ひええっ! 崖っぷち!」
すぐさま歩を進めて、大地の端から離れた。アカツキがスライムたちを連れて慌ててついてくる。
ヒョイッと肩から下りたブランが、恐れた様子もなく大地の端に歩いていった。
『ふ~む?』
下を覗くと、面白げに鼻を鳴らす。不意に本来の大きな姿に変化したかと思うと、ふわりと浮かび上がって宙を駆けた。
「ちょっと、何やってるの⁉」
何が起きるかも分からない状況で、あまりに迂闊な行動に思えて咎めると、軽く首を傾げられた。
『確認だ。ここは、あの迷路の上に位置しているみたいだぞ? 大して危険はない。こんな場所は下から見えなかったが、隠されていたのかもしれんな。我ならお前たちを連れて下りられそうだが、どうする?』
「迷路の上……?」
ブランの言葉から、危険はないと判断してアルも大地の端に近寄った。膝と手を地面に着けて下を覗き込むと、確かに迷路の中心に塀が円状に連なっているのが見える。塀の内側は
アカツキが恐る恐る近づいてきて、アルの腕にしがみつくようにしながら下を窺う。感心したような吐息が聞こえてきた。
「ふへぇ、たけ~」
「ここは本当に空に浮かんでいる城なんだ。あの絵の通りだったとは、正直驚いた……」
「ってことは、もしかして、あの塀の内側は街なんですかね?」
「そうかもしれませんね」
あの絵の通りだとするなら、アカツキが言う通り塀の中には街があるのだろう。もしかすると、魔族が住む街かもしれない。
「さて……魔物は待ってくれているみたいだけど――」
立ち上がり膝についた草と土を払う。ブランに下に戻るかと問われたが、ここまで来てそんなことをするつもりはなかった。まだ、塀の中に入る方法は見つかっていないのだから。
「ブラン、あの城に向かうよ」
『先に進むなら、あれしか目的地はないからな』
「あの石像、絶対動きますよね……?」
未だ動く気配を見せない石像だが、それが魔物だとはアカツキでさえ気づいていた。アルは肩をすくめて歩き出す。
「動くでしょうね。……それにしても、大きな石像だ」
直立した石像は、ブランの本来の姿を軽く超える巨大さだった。高さは十メートルを超えるだろうか。人間を模したような姿で、至る所を苔が覆っている。
観察をしながらゆっくりと距離を詰めたアルたちに、不意に石像たちの赤い目が向けられた。
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