第156話 呆ける狐

 宙を駆けるブランに乗って迷路の観察をする。生け垣の迷路は複雑に入り組み、事前情報無しで踏破するのは骨が折れそうだった。

 ところどころで魔物たちがアルたちを見上げて立ち尽くしているのを見て、思わず吹きだして笑ってしまう。迷路にいるのは、木や石を組んだ人型の魔物のようだったが、その立ち姿が呆然としているように見えたのだ。

 地上から追ってこようとする魔物もいるのだが、宙と違って入り組んだ道は魔物たちの行動を妨げている。


「特に目立つ物はないね」

『だから見回りなんぞ必要なかろうと言ったのだ』

「でも、わざわざ迷路にしている意味があると思うんだけどなぁ……」


 呆れたように呟くブランの言葉に未だ得心がいかないまま、一通り迷路を観察した後は門に向かってもらった。

 次第に近づく巨大な門は石造りで精緻な彫刻が施されている。扉は木製で、恐らく中央から押し開かれるのだろう。


 門の手前にある広場に下りてぐるっと周囲を見渡す。背後には生け垣迷路、左右には深い堀がある。堀の底を覗いてみると、水の中に泳ぐ魔物の姿が見えた。たまに飛び跳ねるのは魚型の魔物だろう。

 場所の把握を終えて門に向き合い歩き出すと、ブランが欠伸をしながらのそのそとついてきた。その背中にはまだアカツキやスライム、ラビが乗っている。アカツキはなんだか眠たげだ。空中からの観察に時間が暇すぎて昼寝気分らしい。


「ここ、一応危険性がある未知の場所なんだけどなぁ……」


 状況にそぐわない様子に苦笑しながら近づいた門には、門番もなく、扉はビクともしなかった。ブランが押しても駄目なのだから、開ける方法は別にあるのだろう。全く手がかりがなくて困ってしまうのだが。


「どうやって開けるのかな。前みたいに、魔力を注ぐ感じでもないし……」


 とりあえず注いでみた魔力はすぐに霧散する。

 じっくりと眺めた門柱の彫刻にも気になる物はなく、アルは腕を組んで考えながら固まってしまった。鑑定眼は金の果実を食べたら使えるはずだが、数に限りがある。ここで使うべきか悩みどころだ。


「……必要な場面で使わないのも意味がないか」


 先に進む手掛かりがない状態で、立ち止まっているのは時間の無駄であろう。そう結論付けたアルは、バッグから取り出した金の果実を八等分にして一切れ食べた。


「……【門:開けるには門番の許可がいる】?」


 鑑定した結果を呟きながら首を傾げる。念入りに周囲も鑑定してみたが、門番と思しき者は見当たらなかった。


「結局、手掛かりなしじゃないか……。ブラン、この塀の向こう側は見えなかったんだよね?」

『ああ。上空に結界がある感じだな』


 アルとブランが首を傾げている横で、アカツキが眠たげに細まった目をこすりながら門を見上げた。


「そういえば、あの白い狐さんはどこ行ったんですかね~?」

「ああ、あの案内役みたいな白い狐。……もしかして、迷路を駆けてるのかもしれないですね」

「大変そう……。こういう迷路系って、案内役を無視するのは駄目だった気がするんですが」

「そうなんですか?」


 ぽつりと呟いたアカツキに首を傾げる。正直、そういう法則は聞いたことがない。そもそも案内人がいる場所を探索すること自体が初めてなのだから当然だが。


「うぅん……たぶん? なんかそういう話を誰かに聞いたことがあるような、ないような……?」


 またアカツキの曖昧な記憶からの情報だったらしい。体ごと首を傾げて考え込んでいるのを見ながら更なる情報を待ってみたが、続く言葉はなかった。


「では、白い狐を上空から探してみますか」


 さっきは目立つ建造物がないかと探していたので、白い狐がどこかにいても見落としていた可能性が高い。そう思って提案したアルに、ブランが顰めた顔を向けた。


『また我が駆け回るのか』

「うん、よろしくね」

『……夕飯、肉増量』

「分かった」

『……仕方あるまい』


 肉で釣れるブランは安いのか高いのか。

 ともかく不承不承ながら頷いたブランに乗り、再び宙からの探索を開始した。


「白い狐、白い狐……」


 呟きながら迷路に目を凝らす。前回よりも低いところを飛んでくれているので、魔物の観察はしやすくなった。その代わり矢や石が飛んでくるのが鬱陶しくなる。

 どうやら木や石の人型魔物は、その手に持っている槍や剣だけでなく飛び道具を使うらしい。魔力が籠められてスピードや威力が増しているようで、避けるのが大変だ。


『うわっと……鬱陶しい!』

「ちょっ、白い狐が巻き込まれたらどうするの⁉」


 避け損ねた矢を尻尾で叩き落としたブランが、地上にブワッと火を吹く。一帯を包んだ火は、慌てたアルが魔法で消すより先に自然に消火した。魔物の姿はなくなったが、生け垣の迷路は先ほどと変わらない姿だ。


「ここも迷路自体は攻撃への耐性が強いのか、再生力が強いのか……そもそも傷一つないように見えるね」

『ふんっ、さっさとあれを探すぞ』


 考え込みながら呟くアルに対し、ブランは不機嫌そうに鼻を鳴らした。この状況に飽きているようだ。アルは苦笑して、その首元を軽く叩いて宥めた。


 ビュンビュンと駆ける速度は変わらず、地上に目を凝らすのも疲れてきた頃に、不意にアカツキが声を上げる。


「あっ! あれ、白い狐じゃないですか⁉」

「え……ほんとだ。駆けてますね」

『……ご苦労なことだ』


 アカツキが指さす方に小さな白い姿が見える。人型の魔物の足元を駆けて、どこかに向かっているようだ。入り口からここまで、正しい道順を知っていても長い道程だっただろう。同情気味なブランの言葉に内心同意した。


「あれは門に向かっているのかな?」

『まだまだ時間がかかりそうだな』


 白い狐を宙から追いながら話していると、こちらの気配に気づいたのか、白い狐が空を見上げた。ポカンと開いた口から、何かが零れ落ちる。


「部屋にあったのって、時計だったのか」

「懐中時計ってやつですね」

『……あいつの心情を慮ってやった方が良いんじゃないか?』


 珍しくブランが真っ当なことを言うので、まじまじと後頭部を見つめてしまった。ブランからは見えないはずの視線だったが、敏感に察したらしく尻尾が襲ってくる。甘んじて受け入れながら、避ける場所もない状況でそれは酷いと呟くと鼻で笑われる。


「俺まで被害にあってるんですけどー!」

『知らん。落ちなかっただけいいだろう』

「それより、白い狐は……」


 ブランとのやり取りで目を離してしまった隙に、白い狐の姿が見えなくなっていた。慌てて地上を見渡すと、少し進んだ先を必死に駆けている姿が目に入る。その必死さがなんだか憐れだった。


「……うん、なんか、僕たちがズルをしてるみたいで、ちょっと申し訳なくなるね」

「白狐さん……がんばれー」

『……あやつも、我らに憐れまれたくはないだろうが』


 何度もこちらを振り仰ぎつつも走り続ける白い狐を宙からのんびりと追いかける。この状況がいつまで続くのだろうと思っていると、どこかから矢が飛んできた。


「うおっ⁉」

「おっと……」


 反射的に剣で叩き落とす。突然のことに驚いたアカツキがブランの毛に埋もれるように抱きついているのを見て苦笑し、周囲を見渡してすぐに発射位置を見つけ出した。

 何体もの石の人型魔物が集まり、塔のように積み上がっている。その頂上付近に弓を構えている魔物がいた。


「なかなか考えるね」

『鬱陶しい!』


 ブランが吹いた火が魔物たちに直撃する。だが、木の魔物と違って効果は薄いようて、次々と矢が放たれてきた。四方八方から向かってくるので、一旦高度を上げて避難する。魔物で作られた塔が至る所にできていた。


「これは面倒くさいね」

『結界を張るか?』

「物理攻撃だから魔力消費が激しそうだな……」


 自力で張る分には気にしなくて良いくらいの消費量だろうが、他に良い手がないか考えながら地上に目を凝らす。辛うじて点のような白い狐の姿を確認できた。


「……あ」

「どうしました?」


 矢の脅威が今のところなくなったことを察したアカツキが、にゅっと首を伸ばして地上を覗く。その視線を誘導するように、アルは迷宮の一部を指さした。


「あの生け垣の下に潜り込んでから、あの狐の姿が見えなくなったんですけど……どう思います?」

「え……それは、そこに抜け道があるってことでは?」

「やっぱりそうですよね? よし、確かめに行きましょう」


 アカツキの同意を貰えたところで決断する。ブランの首を軽く叩くと、嫌そうに眇められた目が振り返った。


「あそこに着陸、お願いね」

『……あの、大量の矢をかいくぐってか……』

「しょうがないから、そこまでは結界を張る」

『……ならば、良かろう』


 地上が見えにくくなるほど大量に放たれるようになった矢の中を、ブランだけの力で突き進めとは流石に言えなかった。ここは魔力消費を気にせず結界に頼るに限る。

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