第152話 甘い森

 鬱蒼とした森の中。木々や草花が生い茂るそこは、一見すると慣れ親しんだ場所のように見えた。だが、一点だけ、目を疑うような物があり、アルは暫く思考を止めてしまう。


『あれは、クッキーか⁉ 食べ放題じゃないか!』


 歓声を上げたブランが、肩から跳び下りて一目散に木へと駆けていく。

 その言葉通り、その木には甘い匂いを放つクッキーが生っていた。


「……意味が分からない」


 ぽつりと零れた言葉を聞いたのはアカツキだけだ。ちらりと向けられた視線に気づいたが、アルは情報の整理に忙しくてアカツキに気を回せなかった。


 ごく普通に見える森には所々に金銀の木があった。その木々には、クッキーや飴など様々な菓子が生っている。早速食いついているブランの様子を見るに、きちんと食べられる物らしい。

 周囲を警戒しながらブランの所へと歩く途中、スライムがつまみ食いしていたのは草花に紛れた花型の飴だった。木だけでなく地面からも菓子が生えているようだ。なんとなく、食べるには不衛生のように思える。


「俺の所と似たような仕組みですかね? 昆布とかかつお節とかより凄いけど。醬油や味噌の実の方がイメージ的には近いのかな?」


 首を傾げているアカツキは、この状況に然程驚いていないようだ。ダンジョンマスターの感覚では、おかしなことではないのだろうか。


「……こういうことができるのなら、アカツキさんも僕にご飯をねだらなくても、食べたい物を生み出せるのでは?」


 よく分からない現象への考察を一度棚上げして、アカツキに聞く。だが、その途端にアカツキが項垂れたので、ここまでのことは難しいらしい。


「できる物とできない物があるんすよぉ。俺だって、できたらいいなと思うんですけど、無理な物は無理……」

「なるほど、その基準は分からないんですか?」

「分からないですねー。正直、海からとった状態の昆布はともかく、加工品のかつお節とか醬油とかできるし、他のもいけるかなーって思うじゃないですか。ところがどっこい、難しいんですよー。チョコレートの実とか、マジでできたとき奇跡だなって思いましたし」

「カツオブシって加工品だったのか……」


 新たな事実が判明し、思わず小声で呟いた。そういう作物なのだろうと思っていたカツオブシなども本来人が手を掛けて作る物だったらしい。チョコレートの実に関しては、鑑定眼で示された説明で、なんとなく普通ではありえないのだろうとは思っていたけど。


『アル、このクッキー、ナッツ入りでサクサクだぞ。上に何か甘いもんもかかってる。今度真似して作ってくれ!』


 銀の木の下まで来たところで、枝に上ってクッキーを貪り食っていたブランに、何か言われた。その言葉の意味は分かるが、つい半眼になってしまう。既に好き放題食べているのに、手作りまでねだるとは強欲ではないだろうか。

 参考にしろ、ということなのか、ブランが投げ落としてきたクッキーをキャッチして、ジッと観察した。相変わらず鑑定眼が意味を成さないので、これに害があるのかどうかすら分からない。少なくとも匂いに危険はなさそうだし、食べ続けているブランにも異常はなさそうだ。


「フロランタンっぽいですね」


 アルの体を駆け上ってきたアカツキが、肩から手元を覗いて呟く。アルには見覚えのない菓子も、アカツキにとっては見知った物だったようだ。

 クッキー生地の上にスライスされたナッツが載せられ、茶色っぽいソースで固められている。ミルクっぽい香りがするので、ソースは乳製品を煮詰めた物かもしれない。


「――よし」


 もう一度ブランを観察して、覚悟を決めた。たとえこのクッキーに毒があったとしても、アイテムバッグに仕舞いこまれている解毒薬が役に立つだけだ。……その薬が効くという保証はないけれど、気にしていても始まらない。何より、アルもこの菓子の味が気になっていた。

 ブランが寄越したということはきっと安全なのだ、と心の中で言い聞かせて、フロランタンというクッキーの端の方を齧ってみる。


「どうですか?」


 顔を窺ってくるアカツキをよそに、慎重に咀嚼する。

 クッキー生地は口の中でホロリと崩れ、バターの風味があった。ナッツ部分は、煮詰められたミルクの濃厚さと香ばしいナッツの風味が合わさり、正直とても美味しい。今のところ毒の心配もなさそうだ。


「……大丈夫そうです」

「お、じゃあ、俺も食べてきまーす」


 言うが早いか、アカツキが一目散に木に駆けて行った。スライムの力も借りて枝に上りフロランタンを収穫すると、至福の表情で食べ始める。


「美味しー! なんか懐かしい味がするなぁ。俺の好物だったのかなぁ」


 地面に控えているスライムに時折フロランタンを分け与えながら、一心不乱に食べているので、相当気に入ったようだ。『懐かしい』と言うくらいだから、ダンジョンに引きこもる前も食べていた物だったのかもしれない。


「そうなると、色々考えることはあるけれど――」


 時に魔族と一致した食文化を持っていると考えられるアカツキだ。フロランタンも魔族が生み出した食べ物なのかもしれない。つまり、この木自体も魔族が創り出した物の可能性もある。


「魔族がこの場所に来ているのは確実。試練の場として用意されたのは、その前なのか後なのか。魔族が異次元回廊を創った可能性はあるのか? いや、神が課した試練の場なら――」


 ブツブツと呟きながら考えを整理する。この場所に関しては、本当に分からないことばかりだ。

 そんなアルの思考を止めたのはブランの一言だった。


『アル、魔物が来るぞ』

「……せめて、もう少し危機感を持って言ってよ」


 頬にフロランタンを詰め、器用に両手にも持ったまま見下ろしてくるブランに、思わず文句をつけた。とはいえ、魔物をいち早く察知してくれたのはありがたい。

 腰元の剣を抜き放ち、アルにも感じられるようになった魔物の気配に向き合う。


 ――ポヨン!


 足元でスライムが跳ねた。何か言いたげなのだが、あいにくこのスライムはまだ思念を伝えてくる能力が育っておらず、聞き取ることができない。

 アカツキを見ると、相変わらずフロランタンを食べ続けている。魔物が来ても、アルたちが対処するから問題ないと判断しているのか、まるで警戒感がなかった。それを見て何とも言えない気分になる。

 実力を認められるのは少し嬉しいけど、それで油断されるのは困るのだ。


「スライム、君の主人は通訳する気がないみたいだよ」

 ――……ポヨ。


 スライムが申し訳なさそうに見えたのはきっと気のせいではない。その横にいるラビは毛繕いに余念がなく、マイペースな振る舞いだった。

 そうこうしている内に、木々の合間から魔物が姿を現す。


「蜂型の魔物か。アカツキさんのダンジョンにもいたなぁ」


 鋭い針を持ち、かつ槍を手にした蜂が向かってきていた。大きさはアルの身長の半分ほどか。大きさに比例するように、不穏な羽音が大きく響く。

 それに向かって剣を向けるより先に、スライムが跳びかかっていた。いつもの分裂体ではなく、スライム自身が襲いくる蜂を包み込む。


「……なるほど、自分に戦わせろって言いたかったんだね」


 何とも働き者の魔物である。ブランやアカツキとのこの違い。少しは見習ってほしいものだ。


 跳びかかったスライムの重みでゆっくりと落ちていく蜂は、槍でスライムを突き刺そうとするも魔石まで届かず苦心している。その間も、スライムは蜂の針があるお尻の方からじわじわと溶解し、吸収していた。分裂体よりもそのスピードは速いように思える。

 アルの手は必要なさそうなので、剣を仕舞って観察することにした。


「……あれ? ラビも行くの?」


 視界の端で動くものに気づいて視線を向けると、のんびりとした様子でラビが跳ねていった。蜂まで辿り着くと、向けられた槍を交わして蜂の頭に強烈な蹴りを放つ。――蜂の頭が吹き飛んだ。


「……え?」


 あまりに予想を超えた威力だった。

 頭を失い力尽きた蜂をスライムが吞みこむ。瞬く間に消えていく蜂の姿から視線を逸らし、アルは暫く遠くを見つめた。


「――角兎もスライムも、こんなに強い魔物だったかな……?」


 常識が崩れていく気がする。


『はー、食った食った。この木のは、もう食いつくしてしまったぞ!』

「美味しかったー。あ、スライムもラビもご苦労様。二人の分のフロランタンは確保してるからな!」

『なに⁉ 余っているならよこせ!』

「ちょ、これは、余ってるんじゃなくて、二人の分なんですー!」


 アルの気も知らず、はしゃいでいるブランとアカツキに、うっかり怒気の籠った目を向けてしまったが反省はしない。

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