第150話 時間を忘れるほどに

 翌日、準備を整えたアルたちは、再び迷路へと足を踏み入れた。


 肩に乗ったブランは眠たげに脱力している。この迷路ではブランが手を出す必要があるほどの魔物がいないため、やる気が出ないのだとうそぶいていた。

 だが、アルは知っている。美味しい物に一向に巡り合えないこの場所に、ブランは既に飽いてしまっているのだと。


 そんなブランとは対照的に、アカツキを乗せたスライムは戦闘意欲を高め、アルの一歩先を歩いていた。

 アカツキ曰く、数多の分裂体を送り出し迷路を調査させたことで、スライムは格段に強さを増したらしい。アルの見た限りでも、保有している魔力が多くなっているのが分かる。魔物が経験を積んで保有魔力量を増やせるというのは初めて知った。


「角兎、君は呼びにくいから、ラビって名前にするからな。ちゃんと認識するんだぞ」


 スライムの横をついていくラビに、アカツキが偉そうに話していた。ラビは首を傾げたが、その後きちんと呼びかけに反応しているようだったので、アカツキの言葉は通じているのだろう。それにしても、スライムの時と比べ、意思疎通に難がありそうだ。


「ここを右に行って、その次は左――」


 アルは手にした地図を見ながら、目的地までの最短距離を突き進んだ。

 スライムが朝までかけて作った地図は、アルの予想通り、目に見える抜け道が無かった。どこを進んでも最終的に行き止まりになるのだ。

 その中で目に付くのは、三か所に置かれた謎の物体。スライムが見た物をそのまま共有はできないため、アカツキに通訳してもらって知ったのは、その物体に魔法陣が刻まれているということ。


 これでワクワクしないはずがない。アルは古代魔法大国時代の技術に触れるためにここに来ているのだから。そんなアルをブランはやはり呆れた目で見ていたが、この迷路の先に進むためにも魔法陣を調べることは絶対に必要なことなのだから、咎められるいわれはない。


「ふひゃあ! すらいむ、つよいー。らびもつよいー」


 地図を眺めて魔法陣のことを考えていたアルの耳に、アカツキの語彙力を消失したような声が届く。ちらりと見下ろすと、アカツキは遠い目をしてスライムの戦闘を眺めていた。


 迷路を奥に進むにつれて、現れる魔物の数は如実に増えている。それに対し、スライムは慌てず騒がず、分裂体を生み出して対応していた。昨日指揮下に入ったばかりのラビも、スライムと息の合った戦闘で魔物に打ち勝っている。ベテランの仕事人のような雰囲気すら漂っていた。


 一切アカツキが指示をしなくても、彼らは問題なく現れる魔物を瞬殺していくのだ。アカツキの存在意義が揺らいでいるなと思ってしまっても仕方ない。一応『スピードアップ』の魔法で補助をしているようだが、既にスライムたちにとっては、その効果は必要なものではなくなっている気がする。


「あ、ここか」


 アカツキとスライムの関係を考察しながら歩いていたら、いつの間にか最初の目的地に辿り着いていた。

 生け垣によって作られた行き止まりは、広場のように開けていた。中央には女性の像があり、ルビーのように赤く煌めく石を天に掲げている。

 アルはその石が少し気になるも、目に見えて違和感のあるものではなく、首を傾げてしまった。魔石ではない。かと言って、ただの宝石とも思えない。


「ブラン、この石はなんだろう?」

『ああ? ……知らん。食えんことは確かだ』

「そんなことは言われなくても分かる」


 僅かに顔を上げたブランは、ちらりと石を見てすぐに興味を失ったようだった。

 その素気無い返事に憮然としてしまったが、ブランの能力でも違和感を覚えないというなら、アルの思い過ごしなのかもしれない。ブランのその辺の感知能力は信頼に値するはずだから。


「あ、これがスライムが言ってた、魔法陣ですねー」


 スライムと共に像の裏側を覗いたアカツキが声を上げる。手招かれるままに歩を進めると、アルの目にも魔法陣が映った。像の裏側に剣が立てかけられ、その刃に魔法陣が刻まれていたのだ。


「剣……? と言っても、抜けないですが」

「所有者を選ぶ的な? 選ばれし者しか抜けないとか、伝承に出てきそうですね」


 剣の刃先は地面に埋まっていて、しっかり固定されているようだった。柄を握って力を込めても、少しも動く気配がない。


「この魔法陣を解読しないといけないんですかね」

「まあ、ただのオブジェという可能性も無きにしも非ず」


 身も蓋もないことをしたり顔で言うアカツキに苦笑しながら、アルは地面に座り込んでジッと魔法陣を見つめた。鑑定眼を使ってみるも、ここでも『鑑定不可』の文字。鑑定を使えないというのも、この空間で与えられる試練の一つなのかもしれない。


「――よし、暫く魔法陣解析を頑張ろう。僕だって、鑑定眼がなくともそれくらいのこと熟せるんだからね」


 鑑定眼ですぐに答えを知れるという状況に慣れてしまっていたが、元々は地道に解析する方法を好んで学んでいた。ここは基本に立ち返って時間と手間をかけるだけだ。

 意気込むアルに、肩から下りて体を伸ばしていたブランがため息をついた。後ろ足で頭を搔き毛繕いをしながら、諦めた雰囲気で何かを呟いている。


『……試練かと思いきや、アルにとっては褒美じゃないか。それなら我にも褒美をくれ』

「アルさんのやる気ポイントって、独特ですよねぇ……」


 何故か共感の眼差しを交わしているブランとアカツキを尻目に、アルは紙を取り出して解析に取り掛かった。これは好奇心故ではない。先に進むための必要な作業なのだ。――楽しんでいるのは否定しないけれど。



 ◇◆◇



『この棘、実は旨いんじゃないか?』

「待って? なんで棘を食べようとしてるんすか? え、そんなにお腹空いてるんすか?」

『空いてる』

「……まあ、俺も、それは否定しないっす」


 ――グゥ―。


 集中していたアルの意識を引き戻したのは、そんな間の抜けた音だった。どこから聞こえたのかと視線を彷徨さまよわせると、生け垣の近くでゴロゴロと転がっているブランとアカツキの姿が目に入る。

 スライムはどうしているのかと思えば、数多の分裂体で間断なく襲ってくる魔物の討伐中だった。わざわざアルが張った結界の外まで出向き倒しているのだから、ただ戦闘の経験を積むためだけの働きなのだろう。アカツキと違って実に努力家な魔物だ。


「……なんで、棘に嚙みついてるんだろう」


 ブランが寝転がりながら生け垣の棘を食んでいた。強靭な歯で嚙み切り、暫く口を動かしていたかと思うと、ペッと吐き出す。顰められた顔を見るに、食べられる物ではなかったらしい。


「――あれ、いつの間にか、空が赤くなってる?」


 この空間にはきちんと昼夜があった。今のところ天候の変化があるかは分からないが、空は時間とともに移り変わっていく。


『もう夕方だからだ!』


 不意に耳元で叫ばれて、反射的に耳を塞いだ。いつの間にかブランが傍に来ていたらしい。毛を逆撫で、鋭い眼差しを向けてくる。どうやら大変ご立腹のご様子だ。アルは気まずさから視線を逸らした。


「……気づかなかったなぁ。今日はもうあの家に戻って、休もうか!」


 明るく提案してみるが、ブランの機嫌は直らず、身振り手振りで憤りを示してきた。言葉では表し尽くせないほどの憤りらしい。


『我が何度呼びかけたか分かっているのか? お前は魔法陣とか魔道具のことになったら、集中して意識を飛ばす癖をどうにかすべきだ。そもそもだな――』


 延々と続くブランの説教に頷きながら、広げていた紙類を仕舞っていく。そんな態度も怒られるのだが、ここで真面目に聞いて帰り時間が遅くなっても、きっとブランはさらに怒るのだ。早く帰って、美味しいご飯を作るのが最優先である。


「帰るのはいいんですけど、魔法陣の解析は済んだんですか?」


 ブランの説教が途切れたところで、アカツキが首を傾げた。それに対し、アルはにんまりと笑う。


「もちろん、そのご報告は夕食の時にでも」

『――楽しそうだな』

「子どもみたいですねー」


 ブランが呆れたようにため息をつき、アカツキが微笑ましげに頷いた。

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