第149話 スライム地図
スライムがむにむにと庭を動き回っていた。アルが用意したたくさんの短い棒を地面に運んでいるのだ。迷路に送り出した分裂体の思念を読み取って地図を作ってもらっている。
「ここから離れたところになると、地図の作成が遅くなりますね」
「分裂体にかけた『スピードアップ』の魔法が切れちゃうからでしょうね」
アルは地図を紙に書き写しながらアカツキと話していた。ブランは椅子で大の字になって寝ている。なんとも平和な寝顔だ。
「三十分ほどで魔法の効果はなくなる感じですね」
「そうですね~。遠隔でかけられたらいいんですけど」
アカツキが困ったように腕を組んだ。
スライムの速度が遅くなることで、明らかに地図作成速度が落ちている。これでは地図の完成までにどれほど時間がかかるだろうか。この空間の広さも把握できていないし、探索が進まない予感がする。
「遠隔で魔法をかけるのは難しそうですね。――僕も探索用の魔道具を考えてみようかな。せっかく時間があるし」
スライム作の地図を書き写すのにそれほど時間はかからない。空き時間を無為に消費するより、何か建設的なことをしたかった。
「ええ⁉ アルさんまで作業にかかりきりになっちゃったら、俺は何をして過ごせばいいんですか⁉」
「いや、なんでそんなに衝撃を受けてるんですか……。魔法の練習でもしたらいいのでは? まだ『スピードアップ』しかまともな魔法を見てないですよ?」
「グサッ……俺の心に痛恨の一撃……」
何故か地面に倒れ伏すアカツキ。大袈裟なリアクションをとるくらい暇なんだろう。気にせず、魔道具考察用の紙を取り出した。
この空間ではいくつか制限がある。
まず空を飛べないこと。およそ三メートルほどの高さに見えない壁があり、迷路の全体像を上から確認することは難しい。
そして、生け垣の再生スピードが速いこと。魔の森以上の速度で再生するため、生け垣を壊して進むことが不可能になっている。
他に、鑑定眼で情報の取得ができないというのが厄介だ。魔物やこの空間自体について、何も分からないまま進まなくてはいけない。幸い、手こずる程強い魔物はまだ見ていないが、この先どうなるかは分からない。
「鳥みたいに俯瞰するのは無理だし、スライムみたいなものを生み出して斥候役に使うのが一番かな……? 自動で地図を作製できるようになったら便利だけど」
さて、それにはどうしたらいいかと考えていたアルの前で、アカツキがのそのそと起き上がった。アルを窺うように見て、申し訳なさそうに口を開く。
「――アルさん、ここだと俺の空間開けないみたいなんですけど、なんか良さげな魔石持っていたりしません?」
「空間を開けない……ああ、物を虚空から取り出すやつですね。なるほど、ここはアカツキさんの支配下じゃないから、ダンジョンマスターとしての能力を使えないのか。――それで、魔石を何に使うんですか?」
良さげな魔石と言われても、何に使うのか分からなければ提案もできない。魔石自体はピンからキリまで多種多様に取り揃えているけれど。
アカツキが魔法の杖の先でスライムを指した。
「スライムの分裂体の速度の遅さを補うために、別の魔物を召喚しようと思いまして。……とはいえ、俺の今の実力だと、あと一匹呼び出すのが限界だし、あんまり強い魔物も無理なんですけど」
どうやらアカツキの魔物召喚には制限があったらしい。だから目に見えて強い魔物ではなくスライムを召喚していたのかと納得しながら、アルはアイテムバッグを探った。
強さがそれほどなくて速い魔物となると、種類は限られる。取り出したのは三種類の魔石だ。
「これでどうですか? 森蛇と角兎と白鶏の魔石です。速度がある魔物なので、この空間にいる魔物の攻撃を受けることはないと思いますよ」
「ほうほう……」
アカツキが矯めつ眇めつ魔石を観察する。どれがどの魔物の魔石かも判別がついていなさそうだが真剣な顔つきだ。アルは苦笑しながら見守った。正直どの魔石を選んでも強さや速度に大きな違いはないだろう。あとは見た目の問題だ。
「ど~れ~か~な~……?」
結局目を瞑った状態でアカツキが手にしたのは、角兎の魔石だった。そのまま魔石を少し離れた地面に置き、魔法の杖を構える。
「魔物
放たれた魔法により、魔石が一瞬にして魔物の姿をとった。薄茶色の毛皮を持つ見慣れた角兎の姿だ。額から生えた角が少し短い気がする。
「よしよし。君は今日から俺の魔物だぞ。スライムを乗せて走ってくれ。地図作りをするからな。適宜魔物を倒すのも忘れるなよ」
耳の手入れをしている角兎にアカツキが偉そうに指示を出すのだが、どう見ても角兎はきょとんとした表情だ。指示が曖昧すぎるのだと思う。
そんな角兎に地図作成を中断したスライムが近づく。体を触れ合わせた二体は暫く固まり、その後何事もなかったかのように動き出した。
スライムが生み出した新たな分裂体を角兎が背負う。そして一目散に迷路へ駆けて行った。アカツキに視線を向けることもない早業だ。
満足げなスライムは再び地図作成作業に戻っていく。
「俺の指示より、スライムからの伝達の方が良い感じ……?」
落ち込んだ様子で呆然と迷路の入り口を見つめるアカツキ。その頭をポンと軽く叩いてアルも作業に戻った。
「アカツキさんは魔法の練習より先に指示の出し方を練習するべきですね。スライムみたいに全ての魔物が曖昧な指示を理解して動いてくれるわけじゃないみたいですから」
「……鋭意、努力します……」
丸まった背中に哀愁が漂っていた。
◇◆◇
『くわ……よく寝た』
「熟睡だったね」
大きな欠伸をしながら起きてきたブランに呆れ気味に声をかける。お腹をボリボリと搔くブランは、酒を飲む店で飲んだくれているおじさんみたいな雰囲気だった。
剣の鍛錬でかいた汗を拭い、ガゼボの椅子に座る。アイテムバッグから冷やしたフルーツティーを取り出すと、ブランから物欲しそうな目を向けられた。飲み物を欲しがるのは珍しい。
分けてやると、勢いよく飲みだした。長く寝ていたから喉が渇いていたのだろう。
『ずっと剣の鍛錬をしていたのか?』
「いや……最初は探索用の魔道具を作ろうとしていたんだけど、なかなか良い案が浮かばなくて。ちょっと動いた方が思いつけるかなって始めたら熱中しちゃった」
問いかけてくるブランから目を逸らす。
初めは真面目に魔道具を考えていたのだ。だが、いくら考えてもスライムの働きと同じくらいの物しか思い浮かばず、あまり作る気になれなかった。
気分転換で剣の鍛錬を始めたら、思いの外体が鈍っている気がしてそちらに集中してしまったのだ。戦闘で魔力波を使うことが多いが、やはり剣術自体ももっと鍛えるべきだろう。ランクアップ試験でちょっと悔しい評価もされたし。
『ふ~ん? スライムの地図作成はどこまで進んだんだ』
「いくつか正解のルートを絞れてきたよ」
スライムが作った地図を書き写した紙をブランの前に広げる。今でもスライムはせっせと作業してくれているので、明日の朝には大体の情報が集まるだろう。
「この三ヶ所――不思議じゃない?」
地図を指さして示す。ブランの眼差しがその動きを追った。
『この点はなんだ?』
「それはスライムが見つけた不審物。魔法陣が刻まれているらしいから、明日情報が出揃った頃に確かめに行くつもりだよ」
アルが示した三か所はどれも行き止まりになっている。だが、今説明した通り、スライムでは判断のつかない正体不明の物体があるらしい。
現状で次に進む道が見つかっていないので、その物体に刻まれている魔法陣が手掛かりになる気がする。
『ほほう……行き止まりにある魔法陣か。……いかにもアルの興味を惹きそうだな』
半眼が向けられた。
アルは興味が惹かれたというだけで確かめに行こうとしているわけではないのに、些か心外である。もっと、探索の進捗状況が芳しいことを褒めてほしい。……頑張っているのはスライムたちだけど。
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