第147話 薔薇の香り

 扉が開かれた先に続くのは石の床だった。先ほどの場所とは違い、普通の家で敷かれる見慣れた石が使われている。周りを見渡すと、壁や窓、外へと続くのだろう扉があった。壁や柱に精緻な彫刻が施され、貴族の邸宅の一室のような雰囲気がある。


 魔物を警戒しつつ進むも、その気配は一切ない。だが、背後で何かが動く気配を感じて振り返ると、いつの間にか扉が閉ざされていた。この場所は進む度に帰り道を塞がれるのだろうか。


 戻れないならば進むしかない。潔く思考を切り替えて再び歩き出したアルの横をブランがのんびりと歩く。その尻尾が緩やかに揺れているのを見るに、ここに危険なモノはないと考えてもいいだろう。


「ソフィア様のお屋敷のエントランスホールみたいだね」

『うむ。日差しが差し込んでいて、昼寝に良さそうだ』

「ふへぇ、西洋のお城って感じ……」


 アカツキはスライムに揺られながらのんびりと周囲を見渡していた。その声は僅かに高揚していて、アルたち以上に観光気分になっている気がする。緊張で固まられるより良いのだが、くれぐれも油断はしないでほしい。


 その代わりのように、スライムが一番張り切って周囲を警戒しているようだった。自分の実力をしっかりと把握した上で、緊急時にアルたちほどの対応力は持っていないと自覚しているのだろう。


「ここには何もなさそうだし、外に出ようか。庭園になっているみたいだよ」

『うむ。雨風を防ぐには良いがな。……ここでは、魔法が使えるようだぞ』


 そう言ったブランが火を吹いた。

 突然のことに驚き、思わずジトリと睨んでしまう。魔法を使うなら予告が必要だと思うし、何より建物内で火を放つのは良くない。

 アルの眼差しを受けて、ブランが少し反省するように尻尾を垂らした。


「あ、マジっすか⁉ じゃあ、『スピードアップ』!」


 アルたちの様子を気に留めず、嬉々とした様子でアカツキがスライムに魔法をかける。それを受けたスライムは気合いが入ったように猛スピードで進みだした。


「ふあっ、ま、待って……っ! 速すぎ! アルさんから離れちゃダメ!」


 突然の暴走を見送ってしまったアルたちから離れたところで、スライムが急停止する。反動で転げ落ちそうになったアカツキは、スライムにキャッチされて呻いていた。どうやら、アカツキのスライム操舵術はまだ練習が必要のようだ。

 ブランと顔を見合わせて苦笑したアルは、のんびりとスライムの元まで歩く。スライムが止まったのは外に繋がる扉の前。扉に触れて押すと、ゆっくりと開かれた。


「う~ん、良い天気。気温もちょうどいいし、のんびりしたいね」


 一歩外に出た途端に温かな日差しが降り注ぐ。甘く爽やかな花の香りが風に乗ってきた。試練の場なんて思えないほど長閑のどかな雰囲気だ。

 この建物の敷地は背の高い生け垣に囲われているらしく、それより外側は見通せない。生け垣の内側には薔薇の木で作られたモニュメントや噴水、ガゼボなどがあり、どう見ても貴族の邸宅にある庭園のようだった。


『生け垣より外には魔物がいるようだ。ここは隔離されているのか……?』


 ジッと空を見上げるブランにつられて視線を移すと、確かに庭園を覆うように膜のようなものがあるのを感じる。結界に似ていて、それが魔物の侵入を防いでいるようだ。


「安全圏ですかねぇ? 俺のダンジョンでも、そういう設定をしてました」

「そうなんですか?」

「はい! ほら、階段を下った直後の岩山とか。あそこには魔物が近づかないように設定してあったんですよ~」


 アカツキのダンジョンを思い起こすと、確かに階段を下った先ですぐに魔物に出遭った記憶はない。どうやらそういう設定がされていたらしいが、それは何のためなのか疑問だ。油断しているところを狙う方が、侵入者を倒すためには都合が良いだろうに。


「……安全圏が確保されているのは良い事だけど」

『油断はできんから、結局自前の結界は必要だな』

「当然だね」


 どこの誰とも知らない者の配慮に命を預ける気はない。最低限の安全は自身で確保しなければ安全な場所とは言えないのだ。


「ここで『ラッキー!』って終わらせないところがアルさんたちですよね……」


 何故か苦笑している雰囲気のアカツキ。よく分からないが、気にするほどのことではあるまいと、探索を開始した。とりあえずは生け垣の内側を見て回る。

 最初に足を止めたのは、一際目立つ大きな噴水だ。淵にはたくさんの薔薇が彫刻され、中央には女性の像がある。その手に持った物から水が噴き出しているようだ。


『この水、飲めるのか?』

「一応飲用可って、鑑定眼では示されるけど、わざわざこれを飲まなくても良いんじゃない?」


 噴水は涼し気な雰囲気で良いし、どうやら飲み水確保はできるようだが、魔法が使える現状で特別必要な物ではない。

 そう話しているアルたちの横で、スライムに乗ったアカツキが女性の像を見上げて首を傾げていた。より正確に言うなら、女性が持っている物を見ているようだ。


「ホースシャワー……? 幻想的な雰囲気の女性なのに、やけに現実的な物を持ってるなぁ。薔薇への水やり中なの?」


 あれはシャワーだったらしい。確かによく見るとシャワーの形状に似ている。それがここで使われている理由は分からないし、大して興味もないので、気にせず次に進む。

 噴水の近くにあるのは薔薇の木だ。大きなウサギの形で整えられている。何故ウサギなのかは分からないが、なかなか芸術的な造形だ。


『この木は良い匂いがするな!』

「香りが強い品種の薔薇みたいだし、花びらを砂糖漬けとかジャムとかにしたら美味しいかも」

「この綺麗に整えられてる薔薇を食おうとしてるんですか……」


 アカツキが引いている。薔薇は見て楽しみ食べて喜べる物だろうに、ここでも価値観の違いがあるようだ。

 ブランはあまり薔薇を使った食べ物に興味がなさそうだったので、採取はしないでおいた。


「後はガゼボか……うん、ただの休憩所だね」

『甘味を食って昼寝するのに良さそうだな』

「マジで特別な物とかありませんねぇ。つまらない……」


 ガゼボは屋根とテーブルセットが置いてある場所だ。施されている彫刻は素晴らしいのだが、アルたちが興味を抱くような物ではない。

 これで庭の観察を終えたので、生け垣の外に意識を向けた。ブランとアカツキが退屈そうだし、そろそろ冒険らしいことをしたい。


「あそこから外に出られるみたい」


 ガゼボの傍で周囲を見渡すと、生け垣が途切れ薔薇のアーチがあるのが見える。ブランたちを連れて向かうと、アーチの先は背の高い生け垣が両脇に続く小道になっていた。


「この生け垣、棘がある木でできてるみたいだから気をつけてね」

「ひえっ、棘デカいっすね……!」

『我のこの大きさだと道が狭いな』


 呟いたブランが瞬く間に小さな姿に変化してアルの肩に乗る。わざわざ肩に乗ってくる必要はないような気がするが、いつものことか。

 肩をすくめて歩き出すと、スライムものろのろとついてきた。


「あ、もう魔法が切れてた。『スピードアップ』!」


 アカツキが魔法をかけ直したところで、魔物が近づいてくる気配がする。生け垣の木がザワザワと揺れ、何かが生け垣を伝って駆け寄ってきているようだ。


「あまり強い魔物じゃなさそうだなぁ」

『うむ、魔力が強くないな』

「あ、じゃあ、スライムに任せてください! こいつ育てなきゃいけないんで」


 のんびり観察するアルたちの代わりのように、アカツキが張り切ってスライムに指示をだした。これまでと同様に分裂体を突進させて溶解させる手段をとるらしい。


 ――キュキュッ!


 数メートル先まで魔物の気配が近づいてきたかと思うと、鳴き声と共に風の刃が飛んできた。慌てたスライムが分裂体を生み出し、空中に投げる。


「あ……」


 空中で分裂体が両断された。と思ったら、再びくっついて地面に着地する。どうやら魔石への損傷がないために、それほど大きなダメージにはならなかったらしい。見事に風の刃の効果を打ち消し、果敢に魔物へ向かっていく。


 ――キューッ⁉


 魔物の断末魔のような鳴き声が生け垣から聞こえた。棘を物ともせず突進した分裂体は、しっかりと魔物を捕らえたらしい。

 生け垣から這い出てきた分裂体の中では、魔物がある程度形を保って必死に泳いでいたが、その動きもすぐに止まることになった。


「栗鼠っぽい魔物だったね」

『尻尾が刃のようになっていたな。あれで風魔法を放っていたんだろう。あの距離からしか放てないなら、大して脅威ではないな』

「めっちゃ、冷静に分析してる⁉ 俺、スライムが両断された時点で、思考停止してたんですけど! ああいう場合、アルさんが手助けしてくれてもいいんですよ⁉」


 アカツキに怒られた。アカツキが固まっていても、スライムが十分対応できると判断しただけなのだが、それが不満だったようだ。


「怒る前に、自分の対応力を鍛えた方がいいですよ」

『うむ。あれしきのことで固まるなど、情けない』

「うぐっ……」


 痛いところを突かれたように、アカツキが呻いてスライムに突っ伏した。スライムも『やれやれ』と言いたげな雰囲気だ。

 これからの旅で、アカツキはもっと戦闘に慣れてほしいものである。

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