第146話 扉を開く鍵

 資格とは何か。

 アルは暫く考えた。そもそも異次元回廊自体が魔の森の最奥に向かう資格を得るための試練の場であったはずだ。それなのに、異次元回廊に入るためにも資格がいるのだという。まさか、これまでの階段が試練の場だったというわけではなかろう。

 そして、もう一つ疑問がある。何故、アカツキはこの文字を読めたのだろうか。どの文献でも目にしたことがない文字だし、読めない方が普通なのだ。


「アカツキさん限定で読める字……? それって、どんな意味があるのかな。というか、これまでにここに来た人たちはこれを読めていたのか……?」


 思わず周囲を見渡してしまった。もしこの文字を読めず、資格を提示することができなかった者がいるなら、ここにその遺体が転がっている可能性がある。コンペイトウや転移魔法を持っていなかったら、ここから出る術はないはずだから。


 周囲は白一色。いくら目を凝らしても、誰かの残留物があるようには思えなかった。内心でホッとしながら、思考を戻す。ここで死んだ者がいないなら、資格を提示するというのは不可能ではないはずだ。


「俺はたぶんこの字を元々知ってるんだと思うんですけど……ごめんなさい、どこで知ったのかは分からないです……」

「いえ、気にしないでください。読める人がいるだけ、幸運ですよ」


 頭を下げるアカツキを止める。そんなアルとアカツキの横で門柱を眺めていたブランが尻尾をぶつけてきた。


「どうしたの?」

『そこ、違う感じのもあるぞ』

「違う……?」


 ブランが鼻先で示したのは門柱の上部だった。確かに浮いた感じの意匠があるが、距離がありすぎて詳しくは読み取れない。


「ブラン、ちょっと上に乗せて」

『ああ? 嫌だ』

「拒否権はない」


 プイッと顔を背けたブランを気にせず、ブランの上に乗る。安定感はないが、なんとか立てた。ブランが抗議の声を上げるが、振り落とそうとはしてこないから許容されているのだろう。とはいえ、ブランを踏みつけている状態は少し申し訳ないので、急いで意匠を確認した。


「――あ、これは読める。古代文字だ」

『読めたなら早急に下りろ』

「分かってる。ありがとう」


 床に下りてブランの頭を撫でる。ついでに体についた汚れも払い落とした。せめて靴を脱いでおけば良かったかもしれない。


「なんて書いてあったんです?」

「アカツキさんが言ったことと一緒ですよ」


 答えながらジッと門扉を見つめる。よく見ればところどころに周囲の彫刻とは異なる意匠があり、文字が刻まれているようだ。読める文字もいくつかある。様々な年代や地域の文字で記された同じ文言だった。


「誰が来ても、たいていは指示を読み取れるようになってるみたいだね」

『うむ。だが、示すべき資格が分からんな』

「フォリオさんも、リアム様も何も言ってなかったもんね」


 結局思考は始まりに戻る。ブランと顔を見合せて首を傾げた。


「資格かぁ……。とりあえず、この空間を歩き回ってみますか? 何か手がかりがあるかも」

「確かにそうですね。では手分けして捜索しましょう」

「――魔物は本当にいませんよね?」


 アカツキはまだ一人で歩くのが怖いらしい。魔物の気配がないと聞いてはいても、もしもの可能性を考えてしまうのだろう。信頼されていないと思ったのか、スライムが少し拗ねた雰囲気になった気がした。


「魔物はいません。ただ、何かしらの罠がある可能性はあるので、スライムにしっかり対処を頼んでくださいね」

「罠の対処……?」


 アカツキがスライムを見下ろすと、体を震わせたスライムが分裂した。一回り小さな分裂体が先導するように進む。それなら先に罠にかかるのは分裂体になるので、アカツキの安全性が上がる。


「おお、スライム、よくやった! じゃあ、探しに行ってきまーす!」


 スライムの自主的な対処に安心したアカツキが、意気揚々と腕を上げた。

 アルは肩をすくめ、ブランと視線を交わす。ブランはアカツキに不甲斐ないと言いたげだったが、諦めのため息をついた。何も言わずにアカツキとは反対の方向へ歩き出す。

 アルも捜索のために別の方向へと進んだ。



 規則的に立つ白い柱。精緻な彫刻に目を凝らすと、違和感のある物が混ざっていることに気づいた。門柱に刻まれているような文字である。

 魔法が使えないので、柱に手を掛けてよじ登って確認する。地味に面倒くさい。ブランと一緒に来れば良かった。


「『資格とは力』……意味が分からない」


 あまりにも端的な言葉に困惑する。とりあえず他に気になる物は見つからなかったので跳び下りた。床が硬すぎて、ちょっと足が痛い。思わず顔を顰めてしまった。次は慎重に下りようと思う。


「こっちも何かあるな……。なんでこんなに高い所ばかりに刻むんだろう。嫌がらせかな?」


 製作意図が分からず愚痴を呟きながら、次の柱を上る。


「『ここは制限された空間』……言われなくても知ってるよ。魔法とか魔力のことでしょ」


 役に立たない言葉を半眼で見つめ、ため息をつく。その後は慎重に下りた。上るより下りる方がきつい。

 次の手がかりを探すと、今度は目線の位置に刻まれている物があった。


「こんなのもあるのか。『誰の許可を得てここに来たのか』……これは問いかけ? ここに入る許可は、普通精霊が出すよね」


 急に趣が変わった文言だが、まだ答えに繋がらないので、サクサクと次を探す。

 次々に見つかる手がかりだが、これといった答えが出ない。ついには、階段近くまで戻ってしまっていた。

 疲れたように伸びるアカツキと欠伸をするブランの姿もある。


「ブランたちはどうだった?」

『我はいくつか不思議な意匠を見つけたぞ。だが、読めんからついて来い』

「……そうだと思った」


 偉そうに胸を張るブランにため息をつく。アルも途中からこの展開を察していた。言葉で意思を伝えられるブランだが、人間の文字に関しての知識は少ない。柱に刻まれた多種多様な文字を読み取れるはずがなかった。

 ブランの後をついて歩きながらアカツキにも報告を頼む。


「なんか魔力について書かれているのが多かった気がします。後は、精霊についてとか。読めない文字も結構あったんですけど」

「ああ、僕も同じです」


 どうやらアルが得た手がかりと大差はなさそうだった。後はブランが見つけたものが有用であることを祈るのみだ。


 ブランが示してくれる意匠を一つずつ確認していく。

 ここでも魔力や精霊について触れた文言が多く、明確に答えとなるものが見つからない。

 結局いつの間にか門扉のところまで戻って来てしまった。


『答えは見つからなかったのか?』

「魔力とか精霊に関わりがありそうだなって思うけど……」


 徒労感でため息をつくアルの横でアカツキが門扉を凝視している。それを不思議に思って見下ろすと、深刻そうな顔で見つめ返された。


「俺、気づいちゃったんですけど……」

「何をですか?」

「そもそも、俺らって、この扉を実際に開けようと試みてないですよね?」

「だって、示すべき資格が見つからない――」


 言いかけたところで、アカツキが言いたいことを察した。

 目の前にあるのは扉である。それも、両開きと思われる物だ。つまり押すか引くかして動かすということ。


「鍵がかかっているとは限らない?」

「そうです。資格を示せとは書いてあります。でも、それがここを開けるためのものだとは書いてありませんよね?」

「確かに……」


 アカツキが言うことに納得しすぎて脱力してしまいそうになった。文言的にこれから続く試練の中で、それより先に進むための資格を示せと言っている可能性は十分ある。


『だが、開かんぞ?』


 気を取り直して扉に触れようとしたら、それより先にブランが押していた。体全体を押し付けていても、扉はビクともしていない。手を引っ掛けられそうな部分はないので、引くのは難しいだろう。


「あ、やっぱり鍵あるんだ」


 何故かホッとしてしまったのは、これまでの行いが完全なる徒労にはならないと分かったからだろう。

 とはいえ、鍵を開ける手段は見つかっていないので、状況を変えることもできないのだが――。


「あ、なんかこの彫刻、精霊と妖精に見えない?」

『んん? ……見えんこともないが』

「正直、言われればそうかもって感じですねぇ」


 扉の合わさる部分を跨ぐように刻まれた模様を示すと、ブランとアカツキが首を捻る。だが、アルは不思議なほど確信していた。これがここを通るために必要な最後の手がかりなのだと。

 その思いに突き動かされるように、精霊と思しき姿に触れる。扉は動かない。だが、必要なのはこれだけではないのだと初めから分かっていた。

 体を巡る魔力を意識し、手のひらに集める。


 視界にふわりと光が舞った。


『お⁉』

「ふおぉ、なんか幻想的!」


 扉全体がほのかな光を放ちだし、門扉だけでなく、床や天井、無数の柱にまで広がっていく。

 あまりの眩しさに目を瞑ったアルの手が、僅かな震動を感じ取った。それは次第に大きくなっていき――不意に扉の感覚が消える。


『――開いたな』


 ブランの静かな声。

 眩しさがなくなったのを確認して目を開けると、微動だにしなかった扉が完全に押し開かれ、新たな道が現れていた。

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