異次元回廊

第145話 制限領域

 そこは暗い階段だった。土壁に付けられた灯りは、かろうじて互いの顔を確認できる程度の明るさ。足下の段差が見にくい。

 アイテムバッグから取り出した魔道具で周囲を照らそうとするも、何故か使えなかった。


「……魔力の使用が制限されている?」

『なに?』


 アルの呟きに、ブランが険しい声を出した。鋭く息を吐く音が聞こえる。


『――火を吐き出せん』


 どうやらブランは火を吹こうとしていたようだ。アルも呪文を唱えて魔法で灯りを生み出そうとしてみるが、やはり一切効果が現れなかった。

 だが、一つ分かったことがある。それはこの空間に満ちた魔力が特殊なものだということ。アルたちがいくら自身の魔力を放って属性を付与しようとしても、この空間に満ちる魔力はそれを受け入れないのだ。


「これがずっと続くとしたら、進むのは難しいな。転移魔法さえ使えないことになるし……」

『魔族は転移魔法で出入りしていたらしいから、それはないんじゃないか?』

「あ、そうだったね」


 ブランの言葉に頷きつつ転移魔法を試してみるも、残念なことに駄目なようだ。だが、リアムに貰ったコンペイトウを思い出して食べてみると、家においてある転移の印を把握できるようになった。コンペイトウがあればなんとかなると分かり一安心だ。

 まだ外にいるだろうフォリオに話そうと、背後を振り返り、アルは目を見張った。


「……いつの間にこんなに進んだかな?」

『まだ数歩しか進んでいない……はずだがな?』


 アルたちの背後には、遥か彼方まで続きそうなほど長い階段があった。ぼんやりとした灯りが延々とつけられている。見送ってくれたフォリオの姿はもちろん、先ほどくぐったばかりの入り口もない。


「ふえぇ……怖い展開嫌っす。なんですか、帰るの拒否って感じが溢れすぎてません?」

「それをアカツキさんが言いますか?」


 スライムの上でプルプルと震えているアカツキをジトリと見下ろす。

 アカツキのダンジョンだって、すぐに入り口を封鎖して帰れないようにしていたはずだ。その後の道のりでも、最後の魔物を倒すまで外への脱出口は用意されていなかった気がする。


「はっ、そういえばそうでした。いやぁ、これってダンジョンあるあるなんですかねぇ」

「ここもダンジョンなんですか?」

「え、そうじゃないんですか?」


 思わずアカツキと顔を見合わせた。どうやら認識の違いがあったようだ。


「……確かに、空間魔法の気配があって、アカツキさんのダンジョンと似ているとは思っていましたけど」

「俺、完全に他所よそ様のダンジョンだって思ってましたよ」

『そもそも、ダンジョンという概念すら、明確ではないからな。アカツキが勝手に言っている言葉を、我らも使っているだけだ』


 ブランの言葉に頷く。

 確かにダンジョンという定義が曖昧であるなら、ここをダンジョンだと考えるか否かの討論は何の意味を持たない。それよりも建設的な手を打とうと、腰元の剣を抜く。

 魔法を使えない現状、何かが襲ってきた場合に備えて、物理的に対処できるようにしておくべきだ。ブランもアルの肩から下りて、中型サイズに変化へんげした。小さい姿では魔法なしに戦いにくいからだろう。


「……ブラン、変化はできるんだね」

『おっ……確かにそうだな。外に魔法は放てないが、自分の中で魔力を巡らせることはできるらしい』


 無意識に魔力を使ったのだろうブランが驚いたように説明してくれる。

 自分の中でなら魔法を使えるというなら、治癒系の魔法を自分に使うことはできるのだろう。それは一つの安心材料だ。


「あ、俺の魔法の杖、使えない……スライムに魔法かけられないや……」


 アカツキが落ち込んだ様子で呟いた。これまで熱心にスライムとの戦闘を訓練していたので、その手段が早々に封じられて衝撃を受けたようだ。


「この先に進めば、たぶん魔法を使える場所もあるはずですよ。ここで立ち止まっていても仕方がないですし、行きましょう」


 スライムに突っ伏しているアカツキの頭を撫でてから階段を下る。暗く、足下が見づらいので慎重に進むことを心掛けた。

 ブランが周囲を見渡し警戒しながらアルの横を歩く。この大きさのブランが横にいても、空間にはまだ余裕があった。戦闘が必要になっても、よほど大暴れしない限りは大丈夫だろう。


「す、スライム……、あまり、震動がない感じで、進んで……」


 跳ねて階段を下るスライムの上で、アカツキぐったりしていた。上下運動が激しすぎたらしい。それならばスライムから下りて歩けばいいのに、そんなことにも気づいていないようだ。

 賢いスライムは、面倒くさそうな雰囲気を漂わせながら、階段を滑るように移動する方法に切り替えていた。段差の影響が出ないよう、形態変化を繰り返している。気遣いが凄い。アカツキの曖昧な命令でも即時対応できるくらい知能があるようだ。


『ふむ。なにやら明るいようだぞ』

「あ、ほんとだ」


 階段を下り続けて、漸く終わりが見えてきた。どうやら足場の悪い階段で襲われるという嫌な想像は現実にならなかったようで一安心だ。

 最後の段差から、継ぎ目のない石の床に足を下ろす。白い床はアルたちの姿を映すほどに磨かれていた。一気に灯りが増え、空間全体がよく見える。


「うおっ、ツルッツルや。大理石かな?」

「ダイリセキが何か分かりませんけど、古代魔法文明の遺跡に使われている石と同じに見えますね」


 足下の床を靴底で叩くと硬質な音がする。古代魔法文明の遺跡は非常に強度のある硬い石で作られており、それ故に現代までほとんど完全な形で残っているのだと文献で読んだことがあった。


「へぇ、古代魔法文明……。アルさんはそれに惹かれてここに来たんですもんね。めっちゃ嬉しそう」

「はい!」


 思わず緩んでいた顔を更に綻ばせ、食い気味に肯定してしまった。ブランから呆れを多分に含んだ目で見られているが気にしない。早速現れた古代魔法文明に繋がる物に胸の高鳴りを抑えられないから。


「この石の感じだと、古代魔法文明の中でも後期にあたる技術でしょうね。魔法で作られているみたいです。神聖な建造物に使用されていたらしいですが……この場所は、もしかしたらその時代の何かの儀式の場所なのかも……」


 床から視線を上げ、空間の全体像を確認する。広い空間はたくさんの柱に支えられ、その柱一つ一つに精緻な彫刻が施されていた。空間の奥には大きな門扉があり、これも美しく装飾されている。

 空間にある全てが白くて、目がくらみそうだ。


「魔物の気配はないね」

『そうだな。相変わらず魔法は使えんようだが、問題はなさそうだ』

「なんか、神様がいそうな場所っすねぇ」


 門扉へと歩き出したアルとブランの足下で、アカツキがぼんやりと周囲を見渡していた。スライムに身を委ねて脱力気味である。魔物がいないと聞いて安心したらしい。


「ここが神様のいる場所だとアカツキさんには思えるんですか……?」

「そうっす。古代魔法文明では、神聖な場所ってこういうのなんでしょう?」


 アルの疑問を上手く読み取れなかったのか、アカツキが不思議そうに首を傾げる。だが、それはアルの方こそ不思議に感じるものだった。


「アカツキさんは古代魔法文明との親和性が高いのかもしれませんね。一般的に神聖な場所って黒が基調ですよ。ブランみたいに白い生き物を神聖視することもありますけど、街にある礼拝所などは黒に染めた建材が使われます」

「へっ⁉ 黒? 神様がいるところが? なんか邪悪じゃありません?」

「なぜ?」


 どうにもアカツキとは感覚の差が大きいらしい。一向にお互いの感覚を理解できなかった。アルは元々古代魔法文明の知識を知っていたから、そういう感じ方もあるのかと流したが、アカツキはしきりに首を捻って納得できない様子だった。


「僕は礼拝所なんかに行く習慣がないので、そもそもどうでもいいですけど」

「アルさんは無神論者なんですか?」

「神はいるでしょうけど、礼拝所で祈る意味はないと思いますね。あそこは腐敗の温床ですよ」

「……なんとなく言いたいことは分かりました。権力が集まるところは、そんなもんですよねぇ」


 アカツキが呟いたところで、漸く巨大な門扉まで辿り着いた。白尽くしの空間で遠近感が狂っていたのか、思っていた以上に長い距離を歩いた気がする。


『ん? なんか書いてあるぞ? 模様か?』


 立ち止まって門扉を観察していると、ブランが何かに気づいたようで、鼻先を門の一部に向けていた。前足で門柱を叩くので慌てて止める。頑丈な作りに見えるが、精緻な彫刻を壊してしまうのはさすがにいただけない。戦闘の結果ならば仕方がないけれど。


 ブランが示した門柱には、流れるような線が刻み込まれていた。数多の書物を読んできたアルでも、それを文字だとは認識できない。だが、明らかに周囲の彫刻とは浮いた印象だった。


「何か特別な意味がありそうだけど……」

「――俺、読めますよ。『先に進む資格を示すべし』って」


 アカツキの呟きがやけに大きく響く。見下ろした先のアカツキの表情には困惑が色濃く浮かんでいるように感じられた。

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