第137話 昔語り
ソフィアが紅茶のカップを傾けつつ話し出す。
「最近街の警邏兵から報告があったの。何者かが、街中で攻撃魔法を使った、と」
「……なるほど」
それはアルを狙った攻撃のことだろう。あの時はカルロスに連れられてその場から転移したので、その後の騎士らについては何も把握していなかった。
「もちろん見つけ出して捕らえたわ」
「え……捕まえられたんですか?」
ソフィアの意外な言葉に驚くアルに、勝気な笑みが向けられた。
「街中には、私の魔道具が至る所に設置されているの。それは治安維持にも役立っているのよ」
「アル様もお気をつけください。周りに人の気配がないように思えても、見られていないとは限りません。――街中で突然消えて、現れるというのも、バレてしまいますよ」
アルはヒツジの意味深な言葉に沈黙した。どうやら、街中で姿を隠して移動していることを知られていたようである。
先ほどのソフィアがした質問――最近開発した魔道具は何か、というもの――は、もしかしたら姿を隠す手段を探っていたのかもしれない。
『ふむ。油断したか。……まあ、法に反しているわけでもなし、問題ないな』
ブランが汚れた口周りを舐めながら呟く。
確かに、姿を隠して移動しても法的に問題はないのだが、それがバレているとなると少し気まずい。
「ここからは私の独り言だと思って聞いてちょうだいね」
「独り言?」
思いがけない前置きに首を傾げるアルをよそに、ソフィアが焼き菓子に手を伸ばす。「あら、美味しい。ブランが気に入るのも納得だわ」「恐縮でございます」と吞気に会話するソフィアとメイリンを見て、アルは体の力が抜けた。
どんなことを言われるものかと思っていたが、少なくともアルを咎める展開にはならない雰囲気だ。
「街中で攻撃魔法を使った罪で捕らえた者たち、なんとグリンデル国から身分を偽って入国していた騎士と魔法兵だったの」
「あれは大変な驚きでしたね。遠路遥々、この国までやって来るなんて」
ソフィアの呟きにヒツジが答える。どうやら、独り言という体裁を保つために、アルの反応は求めないという姿勢を示しているようだ。
「捕らえたからには事情を聞かなくちゃいけないのだけれど、彼ら、たった一人の人間を追ってここまで来たと話すものだから、さらに驚きよね」
「騎士の使い方を些か誤っているように思えますね」
静かに会話を聞いていたアルだが、思わず苦笑が浮かんでしまった。この分だと、アルの元の身分もソフィアたちに知られているのだろう。どうすべきか考えながら紅茶を飲む。
「彼らが言うには、既にその目的の人物とは接触して、国に報告を送ったらしいの。その後、彼らに届いた手紙にはなんて書かれていたと思う? ――即時、増援を送る、よ。不法入国者をこれ以上増やさないでもらいたいわ」
僅かな憤懣をのぞかせ、ソフィアが頬にかかる髪を払った。すかさずメイリンが整え始める。
不法入国者を招いている原因はアルなので、一言謝るべきかと悩んだが、ソフィアたちがそれを求めている様子はない。今は沈黙を選んでおいた。
『あいつらが、捕まったなら良かったが、また厄介者が来るのか……』
ブランが嫌そうに顔を顰める。
「これ以上、グリンデル国にこの国を探られるのは困るのよねぇ。彼ら、どうも悪魔族と手を結んでいるようだから」
「悪魔族?」
思わず聞き返してしまった。ソフィアは一瞬アルを見て眉を上げたが、聞こえなかったことにしたようだ。まだ、独り言という体裁は必要らしい。
帝国の皇子であるカルロスが語っていた悪魔族。彼は存在が不確かなモノと判断していたが、ソフィアの口調はその存在を確信しているようだった。皇子には告げられていない真実を属国の人間が知っているということだろうか。
「悪魔族なんて言葉が世に再び出回るのも困るんですがね」
「ヒツジもメイリンも嫌よね」
不快そうに顔を顰めたヒツジに、ソフィアが同情の籠った言葉を返す。アルは彼らの会話の意図が読めなくて首を傾げた。
「だって、悪魔族なんて、魔族から分かたれた一派に付けられた名前なのに、魔族全体への風評被害になっているんだものねぇ」
「せっかく、私どもも人としての権利を得られるようになったのに、再び悪者扱いされるのは迷惑極まりない事です」
アルは息を吞んでヒツジを凝視した。ブランもピタリと動きを止めて、再び菓子を追加しだしたメイリンを見つめている。
ヒツジは、自分とメイリンが魔族であると言っているようだった。
「とはいえ、私もメイリンも遠い昔の祖先が魔族だったというだけで、ほとんど人間と変わらないはずですが……それでも差別する者がいるのが残念です」
「悪魔族への嫌悪感が、帝国の人間は強すぎるのよね。悪魔族と善良な魔族を同一視しているところはいただけないわ。――かつて、多くの魔族は悪魔族と考えが合わずにこの国に逃げて来た。今でも、悪魔族は逃げた魔族を追っているようだから、ヒツジやメイリンたちのことが悪魔族に知られるのは、本当に困るのよねぇ」
台詞のようにソフィアが説明してくれた。
その手元をよく見ると、何やら小さな紙がある。ソフィアの目がそれに書かれた文字を追っているので、台詞のようだと感じたことは正解だったようだ。
『……いつまで、おかしな会話を続けるのだ。ここは防音されているのだろう? わざわざこうしてアルをのけ者にして話すことに何の意味があるのだ?』
ブランの疑問は尤もだが、ソフィアたちにも考慮すべき立場があるのだろう。たとえ自分たち以外に聞いている者がいないとしても、アルにこのように語って聞かせることは、本来彼女たちに許されていないはずだ。
「そうだわ、ヒツジは覚えているかしら。あなたが子供の頃に私に教えてくれた昔話」
「ええ、覚えておりますよ」
ヒツジが頷いて語りだす。それは魔族の歴史だった。
昔々、悪魔族は世界を破滅へと導こうとしていた。それに納得できなかった善良な魔族は、彼らと別れて新天地を目指す。辿り着いたのは北の大地だった。
多くの魔族はそこよりさらに北を目指した。原住民と馴染めなかったからだ。だが、一部の魔族は原住民と交わり血を残した。
それ故、この地には魔族の血を継ぐ者がいる。だが、純血の魔族は既にいない。一度はこの地での定住を望んだ魔族も、愛する人間との寿命の違いを悲しみ、結局仲間を追って北に消えたからだ。
魔族たちが向かったのは、今では深い森に覆われた場所。魔の森の最奥とも言える場所だった。
「そこに辿り着くには資格がいるのよね」
「ええ。その資格をどうやって得るのか分かりませんが、魔族の子として生まれた先祖の中には、そこに向かおうとした者もいたようです。一人も辿り着けなかったようですが」
アルはその会話を聞きながら、静かに驚いていた。まさか、こんなところで聞かされる話が、精霊であるフォリオに聞かされた事と繋がるとは予想していなかった。
『つまり、あの精霊が言っていた【異次元回廊】の先に、魔族が暮らす場所があるということか?』
「……そういう風に思えるよね」
しかし、何故こんな話をアルたちは聞かされているのだろう。元々はグリンデル国から来る厄介者の話だった筈なのに。
ソフィアたちがグリンデル国――厳密にいえばその近くにいるだろう悪魔族――からの干渉を厭っているのは分かったが、アルたちにそんな裏話を語る意図が読めなかった。
「どうやらその資格についてリアム様はご存じらしいの」
「なんと、リアム様が?」
「聞かせてもらったこと、ヒツジにだけは教えてあげるわ」
潜められたソフィアの声に合わせるように、ヒツジも小声で反応する。アルたちにはバッチリ聞こえるような音量を保っているのだから、これはただの演出だろう。
ソフィアの顔が楽しげに綻んでいた。それに向き合うヒツジの顔は些か呆れ気味である。
「……偉い人たちって、演劇染みた振る舞いを好むのかな」
アルは帝国の皇子カルロスを思い出して、ぽつりと呟いた。あまりに放っておかれているので観劇している気分である。
冷めた紅茶を取り換えてくれたメイリンが小声でアルに言う。
「もう暫くお付き合いお願いいたします。今日まで、ソフィア様は何度も台詞を練習してきたのです」
脱力した。練習していたなら、紙を見ながら台詞を言うのは止めて欲しかった。
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