第132話 暑いときにはアイス!
照りつける日差しを受けて、顎まで伝ってきた汗を袖で拭う。見上げれば、高く上がった太陽が眩い光を放っていた。
そろそろ昼になる時間だ。今日の畑作業はここまでにしようと決めて家に戻る。軽くシャワーを浴びて居間に入ったところで、ぐったり伸びているブランを発見した。あまりに野生の本能を放棄した怠惰な体勢である。
『……暑い』
「春になったと思ったら、急に気温が上がったね」
呻くように言われたので、アルは苦笑して温度調整用の魔道具をつけた。この魔道具をつけることすら忘れるほど、ブランは暑さで脳がやられているらしい。
ブランが這うようにのそりと魔道具に近づいた。目を細めて涼しい空気を感じているようだ。
「お昼何食べようか?」
『ガッツリ肉だな!』
「……そこまで暑さにやられていても食欲がなくならないところがブランだよね」
『それは褒めているのか?』
「どう思う?」
『……質問に質問を返すのは良くない』
ブランの文句は軽く聞き流し、アルは肉の塊を取り出して薄くスライスし始めた。ブランと違って、アルは人並みに暑さにやられる。今日はさっぱりとしたメニューにするつもりだ。
調理場で作業を始めたアルの方へブランが近づいてくる。どうやら暫く体を冷やしたことで気力が回復したようだ。
『甘味も食いたいな』
「一切仕事していないくせに、よくそんな要求ができるよね」
朝から畑で作業をしていたアルと違って、ブランは優雅に朝寝を楽しんでいたはずである。暑さにやられてはいたけど。
『むぅ……甘味……』
目を潤ませて見つめてくるブランに呆れる。噓泣きしてまで甘味が欲しいのか。いつも言っている【偉大なる聖魔狐】としてのプライドはどこに行ったのか。
「……分かったよ。アカツキさんに氷菓を出す約束をしてるし、ついでに作るから大人しくしてて」
ため息をついて承諾すると、一気に態度を変えたブランが尻尾を振って再び体を冷やしに魔道具の方へと駆けて行った。あまりに現金な態度である。
「アカツキ、ただいま休憩に戻りました! 今日のお昼ご飯は何ですか? って、こっち、暑いですね。うちに来た方が快適ですよ?」
アカツキが転移で現れると同時に部屋が一段明るくなった気がした。ブランと二人でいる時は良くも悪くも淡々とした雰囲気になることが多いのだが、アカツキは何か独特なエネルギーを放っている気がする。
「今空調を付けましたから、
「なるほど。それなら良いんですけど。というか、ここ俺の支配下に置いているんで、ちょちょいと温度弄ってきましょうか?」
「そんなことできるんですか?」
近づいてきたアカツキが、肉を見ながら「凄い量……」と呟き、次いで提案してきた内容に、アルは目を見開いて驚く。
「アルさんの結界が敷かれている範囲だけですけどねぇ。ダンジョンと同様にある程度環境を変化させられますよ」
「でしたら、ぜひお願いします」
アルもこの暑さを避けたいと思うくらいにはうんざりしていた。急な気温変化は本当に嫌だ。
「じゃあ、まだお昼ご飯の準備には時間がかかりそうなんで、いっちょ弄ってきます!」
そう言ったアカツキが奥の部屋へと駆けていく。ダンジョンに帰らずとも領域支配装置で環境変化を行えるようだ。
「……アカツキさんのデザートは豪華にしよう」
だらけているだけのブランと違って、アカツキはなんと気が利いて便利なのだろうか。
アルの呟きが耳に届いたのか、床に転がっていたはずのブランが身を起こして視線を向けてきた。顰めた顔で何やら悩んでいるようだ。
「どうしたの?」
『午後、川魚でも獲ってきてやろうか?』
不意の提案に目をきょとんと見開く。すると、ブランが慌てたように言葉を続けた。
『わ、我だって、役に立つのだ! 川なら涼しいし、今の時期は旬の魚がいるはずだ!』
「……じゃあ、今夜は川魚のメニューにするね」
『うむ! たくさん獲ってきてやるから、デザートは我の分も豪華にするんだぞ』
「はいはい」
ブランの要求は最初から分かりきっていた。アカツキだけ豪華な甘味を供されるというのが気に入らなかったのだろう。そこでただ自分もそうしろと強請ることなく、働きへの対価として要求してきたところが、アルの性格を熟知したやり方だった。
「お、今夜は川魚ですか? 塩焼きにすると美味しいんですよねぇ。これは、ビールを用意しておくべきですか?」
「僕は飲まないので、アカツキさんのご自由にどうぞ」
戻ってきた途端のアカツキの提案に苦笑する。「暑い時のビール、最高に美味しいんですけどねぇ」と呟くのを見ながら、アルは微妙な気持ちになった。
動物の姿で酒を飲むのはちょっといけないことな気がする。とは言え、味覚などは人間の姿の時と同じようだから、小さな体でアルコールを吸収しても問題はないのだろうが。
「夕ご飯の前に昼ご飯ですよ」
テーブルにドンと茹でた肉を置いた。肉と一緒に野菜も茹でていて、一度氷で締めている。タレはショウユをビネガーと混ぜてさっぱりさせたものだ。レモンも絞ってかけているので、より清涼感のある仕上がりになっていると思う。
「冷しゃぶ、いいですねぇ」
『肉だ!』
ブランとアカツキが嬉々とした様子でテーブルについたところで昼食が始まった。
「美味いっす!」
『うむ。程よく脂が残っていて肉に甘みがあるな。タレがさっぱりでいくらでも食える』
二人の食べる勢いが凄まじく、大量に茹でた肉は見る間に嵩を減らしていった。
『甘味はなんだ?』
肉がなくなったところですぐさまその質問をするのはどうかと思うが、ブランだから仕方ない。
アルはため息をついて、仕込んでいたデザートの仕上げに取り掛かった。
「おお? フレンチトーストですか?」
「フレンチトーストが何か分かりませんが、パンプディングですね」
「たぶんそれ、同じような物っす。パンプディングっていう方がお洒落な気はする」
アルの調理を覗きこんできたアカツキが、何故か落ち込んでいる。お洒落な呼び方を自分からしたかったのだろうか。
『……良い匂いだな』
卵液が十分にしみこんだバゲットを、たっぷりのバターを溶かした平鍋に入れた途端に、ジュワッという音と共に甘い香りが漂う。火を通している間に、デコレーション用のフルーツを切った。
焼けたパンプディングに粉糖をかけ、糖蜜花の水飴を混ぜた氷菓と色とりどりのフルーツを飾って完成だ。
我ながら見た目のボリュームが凄いことになった気がする。
「俺、こんな豪勢なフレンチトースト食べたことないっす……」
『おお! 凄いな』
呆然と皿を見下ろしているアカツキを放って、デザートを楽しむ。このために、昼ご飯で食べる肉の量を控えめにしておいたのだ。
温かいパンプディングで程よく氷菓が溶け、バターの風味と混じって濃厚な味になっていた。だが、フルーツの酸味が中和してくどさのない後味だ。この組み合わせは最高な気がする。
「美味しい。これから氷菓を消費することが増えそうだから、たくさん作っておこうかな」
『いいな! フルーツを混ぜた物も旨いと思うぞ』
「そうだね。う~ん、フルーツの量も減ってきたし、ブラン、川魚獲って来るついでにフルーツも採ってきてね」
『ぬ……仕方あるまい』
一瞬、暑い中森を駆けることに難色を示したブランだったが、フルーツとそれで作られる氷菓は逆らい難い魅力だったらしい。その内心の葛藤がまざまざと分かる表情の変化を見て秘かに笑う。
「うみゃーい! 俺もアイス大好きなんで、フルーツたくさん持ってきますね! アイスと言えば、俺、チョコとかピスタチオ味とか好きなんですけど、どうですか?」
「チョコ、ピスタチオ、ですか……?」
「……チョコないのか! カカオを作ればいいのか……? でも、俺加工方法とか知らないぃ。カカオとピスタチオは豆っぽい物だった気がするから、ダンジョン能力でいけるか……? 後はアルさんの天才的能力でいけないか?」
アカツキは衝撃を受けたように固まった後、何やら呟きながら真剣に検討している。また、新しい食材を創り出すつもりのようだ。
創るのは良いのだが、それを加工することについてアルに頼り切るのは如何なものかと思う。アルだってたぶんできないこともあると思うのだ。鑑定眼は理解が及ばないくらい詳しい情報をくれることもある優秀さだが。
「よーし、そうと決まれば、ちょっとダンジョンで創ってきますね!」
何がどう決まったのか分からないが、デザートを完食したアカツキが気合いに満ちた様子で姿を消した。アルが声を掛ける隙も無い早さだった。
『……よく分からんが、新たな甘味を期待していいのか?』
「とりあえず、僕が頑張らないといけないのは確かだろうね」
アカツキのテンションについていけなかったブランと顔を見合わせた。
『旨いもんが増える分には喜ばしい。我は一休みしてから川に行くぞ』
そう言って冷たい床に寝そべるブランを見て、アルはぽつりと呟いた。
「……また寝るんだ?」
この狐、労働意欲低過ぎである。
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