第131話 生きるとは

「……それで? 俺をのけ者にした食事会はさぞ楽しかったでしょうね?」

「いや……のけ者にするつもりはなかったんですよ?」


 フォリオの家から帰宅したアルは、アカツキからの冷たい眼差しに晒されていた。

 アルたちがアカツキの存在をうっかり忘れ、夕食まで済ませてしまったので、アカツキは盛大に拗ねているようだ。一向に帰ってこないアルたちを、何かあったのかと心配で狼狽しながら待っていたようだから、精霊のご飯という珍しい物を満喫してきたと聞かされてへそを曲げるのも致し方ないだろう。

 アルは謝罪しながらアカツキ用の夕食を作り出した。教えてもらったばかりの精霊の伝統的メニューである。


「……あれ? アカツキさん、ダンジョンに作り置きしてあるおかずとか、もう食べ尽くしたんですか?」

「とっくにないです! ダシとコメはありますけどね! 追加を希望!」


 拗ねながらもしっかり要求してくるアカツキに苦笑する。

 アカツキは料理ができないので、たまに作り置きのおかずを持たせるのだが、なかなか消費スピードが速い。スライムたちに取られているのではないだろうか。


「じゃあ、この後作っておきます。夕ご飯はイモとチーズとベーコンのガレット、ポーチドエッグサラダ付きですよ。このポーチドエッグって、ゆで卵より簡単に作れて、しかも凄く美味しいんです。マヨネーズというタレを付けていますが、味が足りなかったら、お好みで塩とコショウをどうぞ」

「……マヨネーズ! これ作ってもらうの忘れてた!」


 アルがメニューの説明をすると、アカツキは拗ねていたことも忘れた様子でサラダを凝視していた。どうやら、マヨネーズという物が琴線に触れたらしい。

 魔族という者が齎したらしいマヨネーズをアカツキも知っているとは興味深い。そうは言っても、ドラグーン大公国で食べた料理の数々もアカツキの知識にある物が多かったので、不思議ではないのだが。


「魔族が精霊に教えたらしいですよ」

「魔族? 悪魔族じゃなくてですか?」


 首を傾げるアカツキはアルたちと同じ疑問にぶつかったらしい。アルは軽く頷いて、作り置き用おかずの調理に取り掛かった。


「答えをもらえなかったので、詳しいことは分かりません。でも、精霊や妖精と友好的な関係のようなので、悪魔族とは違う気がします。彼らも長いこと魔族とは会っていないようでしたが」

「へぇ……不思議なもんですねぇ。悪魔族とは敵対し、魔族とは友好を結ぶ。もっと良い名前の付け方なかったんですかね?」


 小さく切られたガレットを口に放り込み、幸せそうに目を細めながらアカツキが呟く。アルもその意見には完全に同意する。

 下ごしらえの済んだ肉を熱した油に投入し、別の鍋でイモやニンジンと肉を煮込んだ。カラアゲとブラウンシチューだ。アカツキが好んでいるメニューなので作り置きにいいだろう。

 その他の物も作りながら、揚がったカラアゲを網に上げていると、視界の隅に白い物が映った。


「ブラン」

『……なんだ?』


 声を掛けた途端に引っ込む白を追うと、視線を逸らしたブランがいる。澄ました顔を装っているが、落ち着かなげに揺れる尻尾がその内心を表していた。


「盗み食いは禁止」

『そんなことしてない!』

「分かりきった嘘ほど意味のない物はないよね」


 泳いだ目で否定されても全く説得力がない。呆れた声で言うと、尻尾が悲しげに垂れた。その目は変わらずカラアゲに向いているが、どうやら盗み食いは諦めたらしい。


「……しょうがないなぁ」


 あまりに哀れみを誘う様子なので、アルは苦笑してカラアゲを取り分けた。途端に元気に振られる尻尾を見て咄嗟に笑いを堪える。感情を素直に表すのはブランの良いところだ。


「俺もほしいでーす!」

「……これ、アカツキさん用の作り置き料理なんですけど」


 ガレットとサラダを完食したアカツキまでもが元気よく主張してきたので、小言を呟きながら小皿を準備した。





 ブランたちがカラアゲを楽しんでいるのを見ながら調理を終え、作った物をアカツキ製の容器に入れる。これは後で持って帰ってもらえばいい。

 漸く作業が落ち着いたので、自分用のハーブティーを手にテーブルについた。作業をしていたらアルもお腹が空いた気がしてきたので、お茶請けには糖蜜花の水飴とミルクを混ぜて固めた氷菓を用意する。もう遅い時間だが、この程度を食べる分には構わないだろう。カラアゲを食べようとしないだけ褒められていいと思う。


「口の中が冷たくなるけど、温かいお茶がより美味しく感じていいかも」


 氷菓にはまだ早い季節かとも思ったが、ハーブティーと味わうにはちょうどいい。氷菓はミルクのコクと糖蜜花の華やかな香り、甘みが合わさり、顔が綻ぶ美味しさだった。

 そろそろ糖蜜花の在庫がなくなってきたので、家の周りの畑で収穫して水飴を作らないといけない。明日は一日畑仕事かな、と思いながらハーブティーを口に含んだところで、やけに強い視線を感じた。


「……なに?」

『旨そうな物食ってるな……』

「春と夏の間の季節に楽しむアイスも最高ですよね……」


 一心に注がれる視線。直接的な注文はないものの、ブランとアカツキが何を望んでいるかははっきりしていた。カラアゲが盛られていた皿は既に空になっているのだから、氷菓を渡してもいいのだが、少し気になることがある。


「……二人とも食べ過ぎじゃない? 寝る前に満腹だと、安眠できないよ?」

『我は全く問題ないな!』

「うぐっ……」


 予想通りブランは堂々と胸を張り主張してきたが、アカツキは何かに打ちのめされたかのように、悲愴感を漂わせてテーブルに伏した。どうやら、食べたい意欲はあっても、腹具合を考えると無理だと悟ったようだ。

 アルは苦笑してブランに氷菓を差し出した。アカツキにはフォローを入れておく。


「そんなに落ち込まなくても、また明日にでも食べればいいじゃないですか」

「絶対に明日出してくださいね⁉ 忘れちゃいやですよ⁉」

「……大丈夫です、忘れませんよ」


 今日存在を忘れられていたことを根に持っていたのか、身を乗り出しながら念押しされたので、アルはちょっと身を引いて顔を引き攣らせた。


『明日からはどうするんだ? 今後の予定は来週あるギルドのランクアップ試験とソフィアたちとの面会だけだろう?』

「う~ん、とりあえず明日は畑仕事をしようと思っているけど」

『ギルドに精霊のことは報告するのか?』


 確認するように聞かれて、アルはギルドからの依頼を漸く思い出した。とはいえ、あれは正式な依頼ではないので、必ずしも報告する必要はない。

 フォリオはあの場で暮らすためにリアムの許可をとっていると言っていた。当然、張っている結界やプランティネルもリアムに許容されているのだろう。それゆえ、プランティネルについて調べることを国が禁止していたと考えられる。

 故意に侵入しようとしない限り、積極的に冒険者を排除することはないとフォリオが言っていたのだから、アルがリアムたちに逆らって、真実をつまびらかにするのもどうかと思う。ギルドに絶対的に従う義理もアルにはない。


「あの依頼は見なかったことにする」

『それがいいだろうな』


 アルの決定にブランが軽く頷いた。


「アルさんたちって、今後何をしようっていう目的はないんですか?」


 アルたちの会話を黙って聞いていたアカツキが、不意に姿勢を正して聞いてきた。なぜそんなに真剣な表情をしているのかはいまいち分からなかったが、アルも誠実に答えようと真剣に考える。


「目的……。そもそも旅を始めた当初は、この国で魔法に関する知識を得たり、落ち着いて暮らせる環境を作ることが目的だったんですけど……」


 そう話しながら、アルは次に何をするか全く見えていないことに気づいた。国を出奔し、念願だった旅を始めた。そして、今この落ち着く家も手に入れて、ソフィアと魔道具について語り合うことも経験した。既にほどほどに満足している。


「森で生きるのって自由でいいですよね。でも、目的もなく、漫然と日々を過ごすのって、いつか退屈になると思うんです。……俺は、ダンジョンで嫌というほどそれを感じました。人って、何かしらの目的だったり、目標だったりがないと、生きることに飽いていくと思うんです」

『……それは確かにそうだな』


 アカツキの真剣な言葉が胸をき、なんと返すべきか口ごもったアルの代わりのように、ブランが深い頷きを返した。

 長い年月を、独りで何を目的としているかも分からずダンジョンで過ごしていたアカツキと、永遠の命を得て生きることに飽き、微睡みの中で過ごしていたブラン。二人の言葉は重く感じられた。


「……分かりました。考えておきます」


 瞬時に決められるほど、簡単な問いではない。アルはそう答えるしかなかった。

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