第129話 精霊の務め

 異次元回廊とは何か。フォリオに問い詰めてみると、驚きの事実が出てきた。


「魔の森の最奥へは、許可ある者しか辿り着けん。その許可を得るための試練の場として、異次元回廊は設置されている」

「試練の場……」


 以前、ブランが魔の森を探索した際の報告で、森の最奥には立ち入れないようだと言っていた。そこには結界か何かがあり、入るための条件があるのだろうと予想していたのだが、フォリオが言う異次元回廊がそれに当たるようだ。

 だが、ブランが何か腑に落ちないと言いたげに首を傾げる。


『なぜ精霊がそんなことを知っているのだ。この辺はお前たちの管理する場所ではなかろう?』

「ああ。だが、異次元回廊の入り口を管理するのは精霊だと決められている。滅多に人間が訪れることも、敵がやって来ることもないが、神から任せられた務めだからな。数十年おきに管理者を変えながら、私たちで入り口の監視をしているのだ」

『今の管理者がお前だということか』

「その通り。私は使命と共に、一族の務めを果たすためにここにいたということだ」


 ブランとフォリオの会話を聞きながら思考に耽っていたアルは、ふと疑問に思うことがあって顔を上げた。


「異次元回廊が試練の場ということは分かりましたが、僕はそんな話を聞いたことがありません。人間が一度でも訪れることがあれば、その噂が少しくらい出回ってもいいと思うんですが」


 アカツキのダンジョンもそうだが、魔の森近くにそんな謎の場所があるとは少しも聞いたことがなかった。何か意図的な隠ぺいがあるのだろうか。


「噂なんて、生きて帰る者がなければ、出回りようがなかろうよ」

「……生きて帰った者がいない?」


 至極当然と言いたげな顔のフォリオに、アルは顔を引き攣らせた。異次元回廊とはそれほどに難易度の高い場所なのだろうか。


「一族の記録によれば、異次元回廊に入った者は両手で数えられるほどだが、出てきた者は一人もいないな」

「……どんな試練を課される場所なのですか?」


 その内部がとても気になる。ブランも興味深げに尻尾を振っていた。


「知らない」

「は?」

「知らないと言ったのだ」


 フォリオの返答が端的すぎて思わず聞き返したアルに、困ったような苦笑が向けられた。フォリオは暫し何事か考えた後、言葉を続ける。


「精霊に任せられているのは入り口の管理であって、中に入ることは許されていない。だから、そこから出てきた者がいない以上、私も内部を知りようがない」

「……でも、ちょっとくらい気になって入ってみようとする方はいなかったのですか」

「いない。神が定めた掟は絶対だ」


 なるほど。アルの言葉に不快そうに顔を歪めたフォリオを見るに、精霊とは神に非常に従順であるようだ。


「入り口で引き返す者はいないのですか?」

「それも許されぬ。その存在を知り得た以上、試練に挑むのは絶対だ。逃げ出そうとする者に対処するのも、私たち精霊の務め」

「……ということは」


 フォリオの顔に笑みが浮かんだ。どこか晴れやかなものである。対して、アルは半眼で相手を睨み据えることになった。ブランも不穏な気配を漂わせながらフォリオに牙を剝く。


『貴様、我らを嵌めたな!』

「僕らに異次元回廊の試練へ赴けと言っているんですね?」


 怒りをほとばしらせるブランに合わせて問いかけると、フォリオが戸惑ったように首を傾げた。


『あら。あらあらあら、私たちがいない間に、また何かしてしまったらしいわよ』

『うっかりさんもほどほどにしてほしいものね』


 今にも跳びかかろうとするブランを遮るように、妖精が窓から飛び込んできた。その手には籠があり、何やら食材が大量に詰め込まれているようだ。

 呆れた様子で籠をテーブルに下すと、フォリオの顔の前でアルたちに向き合う。


『何をしたのか分からないけれど、ごめんなさいね。きっと悪気はないのよ』

『悪気はないけど、たちは悪いのよ』

「……お前たち、それで私を庇っているつもりなのか?」


 憮然とした様子で顔を歪めるフォリオに、妖精は『やれやれ』と言いたげに肩を竦めて見せた。


『事実を言っているだけよ』

『ほんと、貴方って、生まれた時から愚かなんだもの』

「……生意気な」


 妖精の遠慮のない言葉に、フォリオの顔がさらに歪められる。だが、それ以上争う様子はないところを見るに、慣れたやり取りだったようだ。生まれた時からの付き合いのようだから、それも当然か。


「――それで、結局、どうなんです?」


 アルは宙に浮いた疑問を再び問いかけた。妖精の勢いに些か毒気が抜かれ、座りなおしたブランが苛立たしげに尻尾を振っている。その頭を撫でて宥めながら、フォリオを見つめた。


「うーん……てっきりお前たちは喜んで行くのだとばかり思っていたのだが、違うようだな? 先読みの乙女の言い様では、順当な流れのはずなのだが……」

「僕たちが異次元回廊へ赴くのだと、先読みの乙女が言っていたのですか?」

「ああ。だが、それに至る詳しい事情は知らなくてな……。うぅむ、困った。私は行ってほしいと思っているが、かと言って、お前に無理強いするのも気が進まない……」


 言葉通りに弱り切った様子で腕を組むフォリオを見て、アルは少し体の力を抜いた。何かを無理やり命じられて行うのは良い気分がしない。もしフォリオが強要してくるようなら実力行使で対抗すべきかと思っていたが、それは今のところなさそうだ。

 ブランは未だに疑わしげにフォリオを眺めていた。暫く何事か考えているようだったが、不意に口を開く。


『アルが試練に向かわなくても、お前は手を出すつもりはないのか?』

「決まりでは、入り口まで辿り着いた者が試練から逃げるのを許してはならない。だが、アルはそもそもその入り口に辿り着いていないし、私が言ってしまっただけだからな……。だが、先読みの乙女の言葉が間違ったこともないし、果たしてどうするべきか……」


 呟きつつ考え込んでいたフォリオが顔を上げた。どうやら考えをまとめたようである。


「突然の言葉で不快にさせて申し訳ない。異次元回廊の入り口に辿り着いていない以上、アルたちが試練に挑まずとも精霊の掟に反さないと結論付けた。その代わり、異次元回廊について他言無用を願う」


 なかなかの抜け道的解釈だと思い苦笑したが、その結論はアルに不都合がないので、頷いて続く言葉に耳を傾けた。


「だが、先読みの乙女が言っていたことが起きないとは思えない。いつでもいい。異次元回廊に行くと決めたならば、私に教えてくれ」


 真剣な眼差しが注がれ、アルは逡巡の後に再び頷いた。ブランが嘆息したのが視界の端に映る。


「分かりました。いつになるかも、本当にそんな日が来るのかも分かりませんが、それでいいのなら」

『……結局、こうなるのか』

「それでいい。――きっと、そう遠くはないと私は思う」


 フォリオがどこか確信に満ちた様子なのは何故か、アルにはよく分からない。恐らく確信するくらい先読みの乙女の言葉を信用しているのだろうが、それだけでなく、フォリオの目はアルには見えないものを見つめている気がした。


『話はまとまったのかしら? そろそろ夕時よ』

『楽しい食事の時間よ』


 一瞬沈黙が落ちた部屋に、妖精の明るい声が響く。

 窓に目を向けると、既に茜色の光が森に差していた。


「では、僕はそろそろ帰り――」

『失礼をしたお詫びに、フォリオの手料理を味わっていくといいわ!』

『フォリオは無精だから、普段料理はあまりしないのよ。でもあなたのためなら頑張ると思うわ!』

「お前たち、勝手に決めるんじゃない……」

『あら、礼儀正しい精霊が、詫びを言葉だけで済ませるつもり?』

『道義に反する行いよ?』

「いや……そんなつもりはないが……」


 妖精に口々に責められてたじろいだフォリオが口を閉ざすのを見ながら、アルは暇を告げるタイミングを逃したことを悟った。


『アル、帰るぞ! また臭すぎる物を出されてはかなわん!』

「……でも、精霊の料理ってちょっと興味がある」

『馬鹿者っ、あんなゲテモノを普段飲んでるやつだぞ! 絶対に旨いわけがない!』

「味覚は正常だったはずだよ? あれは仕方なく飲んでいるだけで。今まで食べたことない美味しい物に出会えるかもしれないのに、ブランは気にならないの?」

『っ……むぅ、気にならんわけではないが……』


 アルの言葉に、ブランが険しい顔で葛藤した。普段は美味しい物と聞けば飛びつくのに、余程最初の薬草液が嫌だったようである。

 アルはその様子を苦笑して眺め、横目でテーブルの上を確認していた。


 テーブルの上には妖精が持ち込んだ籠。そこに積まれているのが料理の材料だろう。

 鑑定眼も駆使して食材を確認して、アルは晴れやかな顔で頷いた。


「大丈夫。味がおかしくなるような食材はここにはないから」

『……ここにある食材だけを使うとは限らんと思うが?』


 半眼のブランにすぐさま言い負かされる。

 だが、アルは一瞬迷うも、精霊の料理への関心の方が勝った。それを察したブランが諦念のため息をつく。


「もし帰って僕が料理を作ることになっても、今日は野菜尽くしのメニューになるからね?」

『なんでだ⁉』


 駄目押しするように言うと、ブランが愕然とした表情で叫んだ。アルは肩をすくめてその声を聞き流す。

 魔物グラモフォンの退治に手を貸さなかったあの時から、意趣返しのメニューを決めていたのだが、どうやらその料理を振る舞うのは延期になりそうだ。

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