第127話 彼の事情

「なにぶん、ここに客を招いたのは初めてのことでな。もてなしに相応しい物が何もない」


 苦笑したフォリオが木の器を差し出してきた。アルは無言でその中身を凝視する。濃い緑色の粘度が高そうな液体だ。その上に小さな花が飾られているのが、フォリオなりのもてなしの心を表しているのだろうか。

 ブランはそれが作られ始めた時点でテーブルから一番離れた壁際まで逃走している。そこまで離れても強烈な臭いが鼻を刺すのか、涙目になっていた。魔物の嗅覚の鋭さも、なかなか難儀なものである。

 アルはプルプルと震えているブランの珍しい姿に吹き出して笑いそうになった。小動物じみていて可愛らしい。


「お気遣いありがとうございます」

「この辺では採れない薬草を使っているのだ」


 どこか自慢げなフォリオが口を付けるのに合わせて、アルも器を持ち上げた。

 凄まじい臭気である。だが、体を害す物は何ひとつ使われておらず、フォリオが言う通り、とても貴重で効果の高い薬草を煎じた液体だ。その効果を知っているアルでも、これをお茶と呼ぶつもりは一切ないが。

 アルが飲もうとしているのを察したのか、ブランが絶望感を漂わせた表情で固まっているのが視界の隅に映った。今にも『正気か⁉』と詰め寄ってきそうな雰囲気である。だが、臭気に阻まれて足を踏み出せないようだ。


「……体には、良いのだ。魔力を多く持つ者なら、特に」

「そうでしょうね」


 一足先に飲んだフォリオが珍妙な表情をしていた。唇を引き結び、眉間に皺を寄せ、頬が引き攣っている。どう見ても、吐き出すのを堪えている顔にしか見えない。

 アルは苦笑しながら覚悟を決めた。好意で出してもらった以上、一口くらいは飲むべきだろう。

 若干、何故こんなことで決死の覚悟をしているのだろうという疑問が頭をもたげたが、勢いのまま器を傾けた。


「……なるほど」


 実に複雑怪奇な味だった。苦味、酸味、渋味、甘味、辛味。味覚が次々に刺激され混乱する。一言にまとめると――くそ不味い。

 だが、その効果は驚くほど絶大だった。

 アルの内に渦巻いていた莫大な魔力が整えられ、流れが穏やかになる感覚がある。ともすれば嵐のように暴れそうになるのを制御するのがアルの常だったが、今はその気配がなく、いくらでも上手に魔力を扱えそうだった。

 使われている薬草は、魔力過多に苦しむ者が金を山のように積んでも手に入れられないと言われるほどに希少な物だ。アルは実物を見たのは初めてで、文献に書かれている通りの効果を体感して、その凄さに感嘆の息を漏らす。


「アルにも合ったようだな。この茶はスピリミントを配合している。私たちが習慣的に飲む物だ」

「それは、精霊が莫大な魔力を保有しているからですか?」


 これを習慣的に飲むなんて、どんな自虐的行動なのだろうと一瞬思ってしまったが、フォリオの魔力量を見る限り、やむにやまれぬことなのだろう。


「そうだ。スピリミントは、多すぎる魔力を扱いやすくするために、精霊が生み出した薬草。だから精霊の森にしか生えないのだが……何故、もっと味を考えなかったのか、正直先祖の考えは理解に苦しむ」

「……それは、大変ですね」


 精霊に先祖という存在があると何気なく零され、アルは秘かに驚いていた。正直、神やドラゴンと同様に、生死のない存在だと思っていたからだ。


『あら、なんて酷い臭い』

『また、それなのね。もっと淹れ方を考えたら?』


 どこかに行っていた妖精たちが、盛大に顔を顰めながら近づいてきた。果物が山盛りになった籠をテーブルに置き、窓を開け放ちに行く。

 その動きを追うように、アルは部屋の中を見渡した。

 木の幹の中とは思えないほど広々とした空間である。僅かばかりの家具の他は、飾り気ひとつなく、空虚な印象だった。


「ここは仮住まいの場所なのだ。いずれ元の森に帰るから、この通り楽しめる物は何もない」


 アルの内心の思いを察したのか、フォリオが苦笑しながら言う。その手は届けられたばかりの果物に伸ばされていた。早速口直しをするつもりらしい。いつの間にかフォリオの器は空になっていた。


「では、何か目的があって、こちらに来たのですか?」


 アルはさりげなく器の中身を瓶に移し、アイテムバッグに仕舞った。今はこれ以上飲むつもりはない。

 そのついでに紅茶とクッキーを取り出す。

 換気されて臭気が薄れたからか、ブランがいそいそと近づいてくるのを苦笑しつつ受け入れた。


「ああ、一族から託された使命が……これは美味い」

「どうぞたくさん食べてください」


 クッキーを齧った瞬間に、花が咲き誇るように満面の笑みを浮かべたフォリオに、他の種類のクッキーも用意する。ドライフルーツを混ぜた物や塩味を足した物など、アルの自信作ばかりだ。普段薬草の不味さと戦っているフォリオには、ぜひ美味しい物を楽しんでほしい。


『我はこの、フルーツが入ったクッキーが好きだ!』

「はいはい。まだたくさんあるでしょ」


 更に出せとねだるブランを受け流し、アルも紅茶とクッキーを楽しむ。あの薬草の後だと、どれもが甘露のごとく美味しく感じられた。

 目を輝かせて近づいてきた妖精たちにはミルクを用意する。アカツキのダンジョンに住まう妖精たちに習った通りにすると、ご満悦の様子で味わいだした。


「ご馳走様。大変美味だった」

「お粗末様です」


 フォリオが満足げに笑んだところで、話が本題に戻る。


「私の使命は、精霊の森からある物を運ぶことだった」

「ある物、ですか?」

「ああ。そもそもの事の始まりは、先読みの乙女の訪問からだった――」


 アルが首を傾げていると、フォリオの視線がどこか遠くへと向けられた。物思わしげな顔つきでうたうように語る。


「先読みの乙女は、神さえ知りえぬ未来を予知する力を持った人間だ。彼女は精霊の森を単身訪れ、ある未来を告げた。それは精霊が看過できぬ未来。精霊は先読みの乙女に尋ねた。どうすればその未来を回避しうるのか、と」


 フォリオが言葉を切って、一度紅茶で唇を湿らせる。


「先読みの乙女は言った。未来に起こることを未然に防ぐことは不可能。だが、被害を最小限にするために打つべき手はある、と」


 黙したままその語りに集中していたら、不意に視線を向けられた。何かを見定めるような眼差しだ。


「精霊の森で採れる精霊銀。それを遠く離れた北の地へ運び、然るべき者に渡すこと。それが、先読みの乙女が告げた、打つべき手の一つだ」

「……精霊銀?」


 なんだか身に覚えのある話だと感じ、ふと腰元の剣を見下ろす。

 精霊の森からは遠く北に位置するノース国。そこで手に入れた精霊銀製の剣。あの時、剣を作った店主のラトルは、精霊銀の入手先についてなんと言っていただろうか。

 金に換えて欲しいと訪ねて来た者から買い取った。それが精霊銀だとも知らずに。そう言っていたはずだ。

 話に聞いていただけの存在が、急速にフォリオに重なって見えた。


 驚きで目を見開きフォリオを凝視する。視線の先で微笑が浮かんだ。

 テーブルに乗っていたブランの尻尾がパタリと揺れる。無意識に手を伸ばすと緩やかにすり寄られた。

 見下ろした先のブランは、静かな眼差しをフォリオに向けていた。


「アルの剣に使われている精霊銀。それは私が運んだものだろう。先読みの乙女に言われた通り、私はそれをある店に売った。それから後は、この地で時が満ちるのを待っていた」

「時が満ちる?」

「ああ。その精霊銀を携えた者が来る日を待っていたのだ。今、私に残された使命はただ一つ。その者に、新たな道を示すことだ」


 アルが精霊銀でできた剣を持ってここに来ることまで予知されていた、などということが本当にありえるのだろうか。

 そもそも、人間が神を超えるような力を持ち得るとも思えず、先読みの乙女という存在そのものが眉唾物に思える。だが、フォリオの様子を見る限り、その人物の能力は精霊に認められていたのだろう。納得はできないが、本人に会ったこともないアルが声高に否定できるものではない。

 アルは無言で話の続きを促した。


「アルは自分の存在を不思議に思ったことはないか? 人間にしては多すぎる魔力。それを抱えていても不調を起こさない体。これまで生きてきて、どこかしら周囲の者たちとの違いを感じてきたはずだ」


 思い当たる節は山ほどあった。それを深く考えたことはあまりなかったけれど。


「全てを知りたければ、精霊の森に向かうがいい。私の同胞はアルを歓迎するだろう」


 全てを知る。自分が何者か、それを知ることができるというのか。アルは真剣に考え込んだ。

 

『その割には、お前は魔物やらなんやらで我らを追い払おうとしていた気がするが』

「……ブラン」


 一気に場の雰囲気が壊れて、脱力してしまった。僅かばかりの抗議の意を込めて呼びかけると、不思議そうな目に迎えられた。どうやらブランは狙って雰囲気を壊したわけではないようだ。

 アルはため息をつく。だが、ブランのおかげでフォリオの雰囲気に吞まれかけていたのを自覚したので、そっと気を引き締めた。

 ブランが言うことも当然なのだ。フォリオはアルたちを最初拒んでいたはずだ。予知されていたなら、それは何故なのか。自分の中で結論を出すのは、それを聞いてからでも遅くはないだろう。

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