第126話 境界の正体

 焼け野原の先に続く森の木々が騒めいた。

 不自然に響くその音にアルは目を眇める。何か得体の知れないモノが忍び寄ってくるような不気味さがあった。


『招かざる者は敵か味方か』

「むしろ、僕たちの行動は招いていたと思うんだけど」

『むぅ……この間アルの荷物から発掘した本にあった、カッコいいシーンの台詞だぞ?』

「いつの間に僕の本を読んでいたの? というか、そんな台詞がある本を持っていたかな……?」


 これまで読んできた本を思い返してみるが、全く見当がつかない。そもそも、アルの持っている本は学術書の類が多く、そのような台詞が書かれた物は滅多にないのだが。


「……気づいていて、それなのか?」

「あ、無視していたわけではないんです」

『我は無視していたが』


 アルがブランとどうでもいいことを話しているうちに、木の陰から何者かが現れていた。元々そこにいる存在には気づいていたが、予想外な見た目だったので、アルは瞠目し感嘆の息を漏らす。

 何故かドヤ顔で言い放つブランを撫でながら男を観察した。

 目が覚めるような美しさを持つ男だ。苦虫を嚙み潰したよう顔が、その神秘的なまでの美貌の印象を薄めているが。白銀の長い髪を風に遊ばせ、森で過ごすには些か不便そうな裾の長い服を纏っていた。異国情緒のある装いである。


「なんとも盛大に暴れたものだ」

『魔物を嗾ける方が悪いのだ!』


 無残に焼けた森を悲しげに見つめる男に対し、ブランは当然と言いたげだった。正体不明の男が魔物を嗾けたのだと判断しているのに、ブランの態度に過度な警戒感はなく、アルはそれを不思議に思う。


「ふむ……。まあ、ここは魔力でいくらでも再生する魔の森。振るわれた魔力すら新たな養分となって巡るのだから、この森が許容しうる限り、私がどうこう言う必要もないか」


 そう呟いた男だが、灰に覆われた大地を見過ごすつもりはなかったらしい。緩やかに腕を振るのと同時に、溢れんばかりの魔力が大地に注がれた。

 魔力という栄養を与えられた大地が爆発的な勢いで再生を始める。すくすくと伸びる草花、木々。

 アルが息を呑んでいる間に、灰を覆いつくすように森が再び生まれていた。


『わざわざ魔力を注がずとも、時間を置けば回復するものを……』

「……彼の気持ちも分からないではないかな」


 アルとしても、焼け野原より美しい森の方が当然好ましいので、男の行動にブランのような呆れを示すつもりはない。


 再生した木々によって一時的に姿が隠されていた男が近づいてくる。わずか数歩の距離まで来ても、ブランは明確な敵意を示さなかった。


「さて、私にとっては招かざる敵であるお前たちは、一体何用でここに来た? わざわざ私が課した試練を越えてくるくらいだ。相当な訳があるのだろう? これ以上敵対するつもりならば受けて立つが」

「何用……?」

『用、か……』


 厳かな面持ちの男の前で、アルはブランと顔を見合わせた。


「用とか、なかったね……」

『アルの好奇心に従って来ただけだからな』

「……は?」


 ぽかんと口を開ける男を見て、少し申し訳なくなる。なんだか期待を裏切ってしまったようで。

 ブランの呆れ混じりの言葉に返す言葉もないのがさらにいたたまれない。


「……で、あれば、早々に立ち去ってはどうだ?」

「いや、折角なので、この辺を探索したいのですが」

『何が折角なのだ。真正面から嫌がられているのを無視するのは、流石に良くないと思うぞ?』

「ブランはどっちの味方なの?」


 顔を顰める男に願い出ると、ブランに窘められた。珍しい展開だ。アル以外の誰かに配慮を見せるなんて、これまでのブランにはありえなかったことである。


『うむ……。我も森を管理する者。許可なき侵入者が鬱陶しいのは理解できる』

「ああ、なるほど」


 アルは頷きながら男に視線を戻す。面倒くさいと言いたげな表情を向けられていた。

 だが、不意に男の目が見開かれる。アルを凝視したかと思うと、フッと微かな笑みを浮かべた。


「……物事にはしかるべき流れがある。偶然に思える中に紛れ込む必然。なるほど、好奇心か……。これは偶然か、いや――」

『なんか、面倒くさそうなこと言っているぞ。偶然とか必然とか、わざわざ考えるようなことか?』

「こら、茶化さないの」


 不思議な納得を示す男にブランが舌を出しているので軽く窘める。だが、内心ではアルもブランに同意していた。男は単純な物事を難しく考えすぎている気がする。


「――よろしい。お前たちを招き入れよう。ついてまいれ」

「え?」

『妙な着地点に辿り着いたな』


 男が意気揚々と身を翻すので、アルは慌ててその後を追った。変化して肩に乗ってきたブランは呆れ混じりのため息をついている。


「そうだ。まだお前の名を聞いていなかったな」

「あ、僕はアルです。冒険者をしています」

『聖魔狐のブランだ! 様付けでの呼び方を許してやろう』


 ブランのお決まりになっている偉そうな言葉にアルは苦笑する。


「アルとブランか。よし、覚えたぞ。――私はフォリオ、この地に住まう精霊だ」

「え……」


 男の正体を知り、アルは目を大きく見開く。この森で精霊に出会うことになろうとは夢にも思わなかった。

 その肩でブランが退屈そうに欠伸しつつ『様付けしろ』と文句を言っている。どうやら、男の正体に元々勘づいていたらしい。

 些細な事でも報告する必要性を教え込まなければならないようだと、アルは拳を握りしめた。



 ***



 フォリオは、最初の敵意のある対応はどこへやったのか、実に丁寧に森を案内してくれた。草や花の一つ一つを説明しようとするので、それでは日が暮れてしまうと慌てて止めることになったが。

 どこか上機嫌な様子のフォリオに、アルは隠れてため息をつく。


「――では、ここは、貴方の住処なのですね」

「そうだ。この辺の森は金のドラゴンが管理しているから、きちんと許可を取っているぞ」

「へぇ、リアム様もご存じだと……。まあ、それはそうでしょうね」


 何せ、アルが家を作ってすぐに訪ねてきたくらいである。これだけ広大な範囲を住処としていながらリアムの許可がなかったら、精霊対ドラゴンの戦いが巻き起こされても不思議ではない。


「人間や魔物が勝手に入り込まぬよう、精霊式の迷い結界を張っている。たいていの者は、生き物の気配を読み取れなくなった時点で、不気味に思って引き返すのだがな」

「……なんか、すみません」


 呆れの色が濃い流し目を向けられて、アルは僅かに身を縮めた。異変に気づいた時点で引き返し、以後立ち寄らないのが正しい対応だったらしい。

 一部の冒険者は未知の探求のために深入りするのが普通だと思うのだが、これまでにアルと同様な者はいなかったのだろうか。


「無意識に紛れ込む者はそのまま返すが、故意に近づく者は侵入者として排除してきた」

「森の最奥近くまで急に飛び越えるのが、その排除法ですか」

「そうだ」

「なるほど、疑問が解けました」


 内心の疑問を察したかのように説明されて頷いた。

 無意識に境界線を越えて進んだ時は、だいぶ先まで進んだが無事に境界外まで歩いて戻れた。だから、今日、境界線を越えてすぐに現在地が狂ったのは本当に予想外だったのだ。

 だが、故意の侵入者へは臨機応変に対応していると知れば、納得するしかなかった。


「侵入者は基本的にそれで倒せるのだが、お前には力不足だったようだ。新たに送り込んだモノもブランに一網打尽にされるし、な……」

『弱っちい者を送り込むのが悪い』


 フォリオが哀愁を漂わせながら言うのでアルは苦笑した。彼にとっても予想外の出来事ばかりだったようである。


「さあ、私の家に着いたぞ」


 一本の大木。その幹に簡素な扉があった。どうやら、この木がフォリオの家のようだ。

 促されるままに近づくアルに、どこか聞き覚えのある声が向けられる。


『あら、お客様かしら。珍しいわね』

『本当ね。フォリオ様のお客様なら、盛大に歓迎しなくちゃ』


 賑やかな声と共に、アルの頭上から大量の花びらが降り注いだ。

 これはなんだと無言で積もった花びらを払いのけるアルに、いち早く肩から跳び退いて被害を免れていたブランが気の毒そうな視線を向ける。


「……妖精もいたんですね」

『あら、私たちを知っているのね』


 視線の先で、顔を綻ばせた小さき者が光を伴いながら舞い踊っていた。

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