第125話 意図せず喧嘩を売る

「今日こそはこの境界について調べようね」

『いや、放っておいてもいいと思うがな?』


 ここに来るのも三度目である。見慣れた気がしてきたココナの木を目印に、アルは見えない境界線を透かし見るように目を眇めた。

 そんなアルの肩に陣取っているブランは些か呆れ気味のようだが、ため息混じりの小言を呟くだけだ。不可視の魔物を警戒するのに慣れてきたらしく、一時期の神経を尖らせた雰囲気が和らいでいる。


「この辺には魔物の気配はないよね?」

『うむ。不可視の魔物どころか、普通の魔物の気配もしないな』


 ブランが頷く。それを聞いて、アルは首を傾げつつ歩を進めた。

 境界を跨ぐと生き物の音が消え、木々の騒めく音が心なしか大きく聞こえる。これまではここから奥へは進まなかったのだが、今日はブランの感覚を信じて一歩踏み出すことにした。


「――あれ?」

『なんだ、これは……』


 奇妙な感覚を覚える。見える景色は先ほどまでと変わらないのに、立っている場所が違っている気がした。

 思わずブランと顔を合わせる。この現象への意見を交わしてみるも、明確な答えがでない。

 ブランが周囲を見渡した後に近くの木を駆け上がっていった。すぐに見えなくなったその姿を追うように見上げていたら、白い塊が落ちてくる。地面に下り立ったブランが盛大に顰めた顔で口を開いた。


『アル、今すぐ家の転移の印を調べろ』

「え、うん」


 不思議に思いつつ転移の印を探ると、思いもよらないほど遠くに印があることが分かり、アルも顔を顰めた。


「もしかして、気づかないうちに転移させられた?」

『というより、境界線で囲われた場所を通り越した、という方が正しい気がするな』


 ブランの言葉を聞いて、先ほどまでいた場所と現在地の位置関係を、転移の印を基準に考えてみる。確かに円状に展開された境界を真っ直ぐ飛び越えた位置にアルたちはいるようだ。


 不意に魔物の気配がした。これまでより格段に強い気配だ。意図せず魔の森の奥深くまで来ていたので、出現する魔物が強いのも不思議ではない。


「これ、普通の冒険者だったら絶体絶命の状況だよね」

『実力に合わない場所に突然投げ込まれたら、たいていの人間はパニックになったまま死ぬだろうな』


 冷静に状況を分析しつつ、タイミングを測って跳び退いた。


 ――バンッ。


 先ほどまでいた場所に土の弾丸が撃ち込まれる。それを横目で確認し、木の陰から現れた魔物に剣を振りかぶった。


「おっと……」

『だからっ、お前は、いつまで、森を破壊するつもりだっ⁉』

「これは不可抗力!」


 剣から放たれた魔力波により数本の木が切断され、地響きを上げて倒れた。魔物は樹上に逃げたのか姿が見えない。

 呆れたように怒るブランに言い訳しつつ魔物の気配を探る。


『上だぞ』

「そういうことは、早く言って!」


 欠伸混じりの警告を受けて、襲いかかってきた魔物に咄嗟に反応し、剣で斬りつける。魔力をあまり込めていなかったが、普段からアルの魔力に馴染んでいる精霊銀の剣は、厚い魔物の皮を一太刀で引き裂いた。

 重力に従って落ちてくる巨体をすれすれで避け、何故か寛いでいるブランの傍で立ち止まる。


『これくらい、寝ながらでも倒せるくらいになれ』

「寝ながら戦うのは、人間には無理だからね?」

『余裕を持てと言っているのだ』


 抗議の意思を込めて見つめたら、ブランが鼻で笑った。自分なら余裕でできると言いたげな態度に内心ムッとする。アルだって、ブランの援護がなくともこれくらいの魔物は倒せるのに、どうにも馬鹿にされている気がしてならない。


「……そう言うなら、たまにはブランが倒してみなよ」

『我が手を貸してばかりいると、アルの戦闘の感覚が鈍るだろう? 我の優しさだ。ありがたく受け取れ』


 怠け者なブランに文句をつけると、さも当然と言いたげに胸を張られた。物は言いようだな、と胸中で独り言つ。とりあえず、今日の夕飯は野菜尽くしにすることに決めた。

 ため息をつきながら、討伐した魔物を回収する。戦闘時に鑑定をし忘れていたのだが、猿型の魔物グラモンファンであったようだ。木々を飛び回る高い機動力を持ち、土の魔法を操る魔物である。その強さはBランクほどで、魔の森の奥地に生息すると言われている。


「さて、これからどうするかな」

『元いた場所に戻るか?』

「歩いて? というか、もしかして、来た方向に進めば、また境界で囲われたところを飛び越えて戻れるのかな?」

『その可能性もあるな』


 肩に跳び乗ってきたブランと顔を見合わせる。軽く肩をすくめて、家がある方向を目指して歩き出した。だが、戦闘中にだいぶ移動してしまっていたのか、なかなか境界線に辿り着かない。


「……おかしいな」

『戦闘中にこんな距離は移動してないぞ』

「だよね」


 境界線が想定の場所で見つからない。まさか、こちら側では音が消える等の目安がないのだろうか。

 とりあえず歩を進めているのだが、一向に境界線はなく、このまま元いた場所まで歩いて辿り着いてしまうのかと首を傾げる。円状に境界線があるという予想は間違っていたのだろうか。


 疑問から足が鈍りだしたアルだったが、不意にブランが周囲を睥睨したことで状況が一変した。

 肌がひりつくような緊張感。何かがアルたちに近づいてきている。それは一二体どころではない。少なくとも十体はいるだろう。


『……アル、あれと同じ気配だ』

「あれって、不可視の魔物?」

『ああ。これだけの数がいると、気配を隠す気もあまりないようだが』

「確かに、僕にも結構感じ取れるからね」


 もしかしたらブランはアルよりも正確に数を把握しているのかもしれないが、この状況下で把握できる数が多少違ったところで大きな問題はない。

 魔物に囲まれているという状況はだいぶ危機的なのかもしれないが、正直いざという時は転移魔法で逃避という奥の手があるので、そこまで不味いとは思えなかった。


「なんで急にこんな団体さんで来るのかな」

『よほどアルの動きが目に余ったんじゃないか? 境界が結界に類する物なら、それを管理している者がいたはずだ。境界線をウロチョロと動き回る奴は当然目障りだろうよ』

「……確かに」


 ブランの言葉に思わず唸ってしまった。今まで気にしていなかったが、自分に置き換えて行いを顧みると、喧嘩を売っていると捉えられても仕方がない気がする。誰だって、自分の家の周りを長々とうろつかれるのは嫌だろう。


「もし管理者に会えたら、誠心誠意謝ろう」

『魔物をけしかけてくる方もどうかと思うがな』


 アルの呟きにブランが吐き捨てるように返答しつつ、肩から跳び下りた。一瞬で姿を変え、大きく口を開く。その動作に嫌な予感がして、アルはブランへと手を伸ばした。


「え、ブラン、ちょっと……」

『鬱陶しいっ!』


 アルが止める甲斐なく、ブランから火が吐き出された。周囲を蹂躙する火炎により熱せられた空気が一瞬で押し寄せてくる。

 慌てて周囲に結界を張り、熱を遮断した。アルは人間なので、灼熱の空気だけでも熱傷の危険性があるのだ。


「……ブラン?」

『わ、我は、悪くない!』


 じろりと睨み据えると、ブランの目が忙しなく左右に泳いだ。

 周囲を見れば、木々が燃え、結構な範囲が焼け野原状態になっている。魔物たちも一掃されたのか気配を捉えられなかった。

 魔の森なので、この状態を放置しても自然と鎮火し森が再生されることは分かっている。だが、いつまでも火に囲まれた状態でいるのは精神的に良くない。魔法を詠唱し、周囲に雨を降らせた。


「ブランは、いつまで森を破壊する気かな?」


 グラモンファンとの戦闘時に言われた言葉をブランに投げると、耳が伏せられた。それは反省を示した態度なのか、それとも文句は聞かないという意思表示なのか。

 ため息をついて結界を解き、未だ煙が立ちながらも若芽が出だした地面へと歩き出す。まだそれなりに熱いのに、すぐさま再生を始める魔の森の強さには改めて驚く。地中にあった木の根も無事だったのか、時間をおけば元通りに森が復活しそうだ。


「ああ、やっぱり丸焦げだね」

『……すまん』


 魔物の残骸らしき物を見つけたところで、漸くブランが謝った。以前、アルが鑑定のために原形を保つよう注文をつけたことを思い出したらしい。

 反省を示すようにすり寄ってきた頭を撫でる。ブランが手っ取り早く安全性を確保しただけなのは分かっていた。火を放つということが魔の森に大きな影響を与えないことも。

 アルは肩を竦めてブランを許した。そもそも、敵を排除するという第一目標は見事達成しているのだ。アルが文句を言い続けるのも、あまりに心が狭い行いだろう。


「さて、相手はどう出るかな?」

『なんの反応もないと、些か寂しいな』

「盛大に喧嘩を売ったようなものだしね」

『うっ……、そんなつもりではなかったのだが……』


 ブランと会話を交わしながら、木々の先へと目を凝らす。

 新たな変化が訪れようとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る