第123話 食欲に匹敵する好奇心
鬱蒼と草木が茂る魔の森の中を、アルは慣れたように歩いていた。
「全然あの不可視の魔物出てこないね」
『うむ。特定の場所にしかおらんのかもしれんな。一度、我だけで見回って来るか?』
樹上から辺りを見渡していたブランが過保護なことを言ってくるので、アルは苦笑した。不意を突かれたあの時でさえ、無理なく対応できたのだ。ブランがそこまで手を掛ける必要はないように思える。
「出遭った時に対処する程度でいいよ。それより、冒険者ギルドで受けた依頼の薬草、もう必要分を集められたんだけど、いつ報告に行こうか。また面倒な人たちに絡まれたくないんだけど」
『……もう暫く時間を置いた方がいいんじゃないか。あの追手どもが、そう簡単に諦めるとは思えんが、魔の森の中まで追ってくる者たちではあるまい』
「う~ん、でも、依頼の達成期限があるんだよねぇ」
ブランの言うことは尤もだが、アルにも事情がある。ギルドで一度受けた依頼を期限内で達成できないと、ペナルティーを科されてしまうのだ。冒険者ランクを上げようと思って受けた依頼で、逆にギルドからの覚えを悪くしてしまうのもなんだか嫌だ。
『じゃあ、パッと行ってサッと帰ってくるか』
「そう上手いこと行けばいいねぇ」
『不吉な言い方するな! 行きたいと言ったのはアルだろう!』
「ごめんごめん。転移魔法を駆使すれば大丈夫じゃないかな」
ちょっと楽観的すぎる気もするが、まだ起きていないことを不安に思うのも精神的に良くない気がする。たとえグリンデル国の追手や風来坊皇子が近づいてきても、アルはどうとでも対処できるのだから、深く考えたところで意味はないだろうし。
「生きて連れ帰る指令を受けているはずなのに、魔法で攻撃してきたのは少し気になるけどね」
『ああ、確かに、あれは言っていることとやっていることに矛盾があったな』
樹上からの警戒が終わったのか、跳び下りてきたブランがアルの肩に乗る。それを合図にアルは再び森の奥へと歩き出した。
「そう言えば、アカツキさんが『良い物作って来る』って言っていたの、何だと思う?」
『逃げるための言い訳じゃないか?』
「……否定できない」
アルたちが魔の森探索に出掛けるにあたり、一緒に来るかとアカツキを誘ったのだが、とても慌てた様子で用事があると言って断られたのだ。
これまでにも何度も同じように誘っているのだが、未だに成功した試しがない。アルたちと一緒に過ごしたいと思っているなら、そろそろ探索にも慣れてほしいのだが、無理強いするほどでもないかと手を出しあぐねている。
「まあ、正体不明の魔物の対処法が分かるまで、アカツキさんの魔の森デビューは延期かな」
『あれは精神が軟弱すぎる。自身が魔物を生み出し管理する立場のくせに』
ブランがなかなか手厳しいことを言う。アルは苦笑しつつその言葉を受け流した。アカツキにはアカツキなりの考えがあるのだろうし、アルたちの考え方を押し付けるのも躊躇われる。
そんなことを考えていたら、不意にブランが纏う雰囲気を張り詰めさせた。その変化を瞬時に感じ取り、アルも神経を尖らせ周囲に視線を走らせる。足を止め耳を
「……なんか、あった?」
『微妙に、空気が変わった気がするぞ』
アルには感じ取れなかったが、ブランの警戒感は緩まない。その相棒の感覚をアルは一番信頼しているので、いつでも剣を抜けるようにと油断なく構えた。
変わらぬ風が木の葉を揺らす。靡く草木が騒めくも、魔物の声一つしない。
そこで、アルはそれこそが異常だと気づいた。森の中では鳥や虫の声がするのが常である。しかし、今は生き物の音も気配も消失していた。
「おかしいね。変な空間に迷い込んじゃったかな」
『アカツキのダンジョンほどの変化じゃないが、今までいた場所とは少しずれている気がするな』
「……とりあえず、来た道を戻ってみようか」
暫く警戒していたが、続く異変は一向に現れなかった。そこで打開策として提案してみる。状況は異常だが、命の危機を感じるほどでもない。
暫く悩みつつ周囲を警戒し続けていたブランが、地面に下り立ち大きな姿へと変化した。森などの障害物が多い空間でとることが多い中型サイズだ。
『我の傍を離れるなよ』
「分かった」
ブランに寄り添うように立ち、来た道を戻る。何か異変が生じたら、ブランはアルを乗せて逃げるつもりなのだろう。言われずともその考えを察するくらいにはブランとの付き合いは長い。
暫く歩くと、不意に鳥の囀りが聞こえてきた。同時に虫の音やどこかで
「……結局、音以外の変化はなかったね」
『うむ。あの魔物も現れなかったしな』
肩透かしを食らった気分でブランと視線を合わせて首を傾げた。いまいち事態の危険度を測ることができない。
「どのあたりから変化があるか調べるために、もう一回行こうか」
『……お前は、本当に好奇心が旺盛すぎるな。放っておけばよかろうに』
呆れたため息をつくブランだが、殊更止めようとはしないところを見るに、恐らくアルが言うことを予想し既に受け入れていたのだろう。アルはその小言を受け流して踵を返した。
「……あ、ここが境界かな」
『そうか? もうちょっと戻ったところじゃないか?』
「えー? 絶対ここだって」
『……うむ。そう言われれば、そうかもしれん』
何度も行ったり来たりを繰り返していると、異変が生じる位置が少しずつ分かってきた。そこを起点に左右に歩を進めてみると、境界が僅かに湾曲して作られていることが分かる。まるで、魔の森の奥側に中心点を置く円が描かれているようである。
もし本当にこれが円状だったとして、境界線の湾曲率を考えると、中心点との距離は五百メートルほどだろうか。もしこの境界線が結界か何かによるものだとしたら、驚くほど広大な面積を覆っていることになる。
「これ、何なのかな……」
境界線上を歩きつつブランと話す。ちょっと位置がずれるだけで、途端に雑音が消える感覚が何だか面白くなってきた。既にブランに呆れた表情でため息をつかれていたので、その感想を口に出すことはしなかったけど。
『いつまでここを歩くつもりだ?』
「気が済むまで」
『……それは、一年後か?』
「いや、さすがにそこまでは……」
ブランの冗談めかしつつも咎める言葉に苦笑する。一年もこんな場所を歩くなんてことがあり得ないのは双方ともに分かっていたが、ブランはアルのちょっと常識外れな熱意を警戒しているらしい。魔道具作りにおいて、引くほどの熱量で作業していた姿と今の姿が重なったのかもしれない。
「魔道具を作るときほどの探求心は、今のところないよ?」
『それを聞いて、心底安心した』
本心としか思えない言い方だった。ブランはアルの魔道具愛をどうにも誤解している気がする。僅かな不満を持ってブランの横顔を見つめると、尻尾で背中を叩かれた。その勢いにたたらを踏んでしまうと、木々の隙間から見覚えのある物が見える。
一本の木にたわわにオレンジ色の果実が生っていた。
「あれ、ココナじゃない?」
『おお、そうだな! 今すぐ収穫に、……って違う。ここはあの魔物がいたところじゃないか。気配は……ないな』
好物の果実を見て一瞬状況を忘れてテンションが上がったブランだが、アルの生温かい視線に気づき、すぐに取り繕った態度で周囲を見渡した。油断していない風を装ったところで、既に無駄だと思うのだが。食欲に素直なブランにため息をつく。アルの好奇心をどうこう言えるものではないと思うのだ。
そう思ったところで、自分の好奇心がブランの食欲に並ぶくらいなのだと気づいてしまって、アルはちょっと情けなくなった。もう少し控えめにしていこうと秘かに決意したのは、周囲を警戒しているブランには内緒だ。
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