第121話 人との違い

「アルフォンス殿に頼みがある」

「国同士の事情に関わるのはお断りですよ?」


 躊躇いがちな言葉に対して瞬時に予防線を張る。流されるままに面倒事に巻き込まれるのは嫌だった。


「ああ。その意思を貫くことこそ、俺が頼みたいことだ」


 だが、アルの警戒感は必要なかったようだ。カルロスが、アルの拒絶反応に苦笑しながら何度か頷いた。


「マギ国を支援するグリンデル国は、アルフォンス殿を手に入れようと血眼になっている。それはある非道な魔道具に用いるためなのだが……、聞くだけで気分を害する物だから詳細は省きたい」

「……知ったところで現実は変わりませんし、聞く必要はありませんよ」


 カルロスが言う『非道な魔道具』については心当たりがあった。以前レイから聞いた、人間の魔力や命を動力源へと変える魔道具のことだろう。

 だが、それを知っているというだけで、カルロスに余計な関心を持たれてしまいそうなので、アルは素知らぬ顔を装った。


「アルフォンス殿に会って、グリンデル国が必死になる理由がよく分かった。俺は魔力量を判断する能力に秀でていると自負しているのだが、その能力を最大限に使っても、貴殿の魔力量は計り知れないくらい多い。その魔力をグリンデル国に利用されることになれば、世界は滅亡するかもしれん」

「……少々大袈裟な気もしますが」

『自分を過小評価するな』


 重々しく言われた評価にアルが苦笑すると、ブランがすかさず咎めてきた。その声の響きは真剣そのもので、アルは自然と姿勢を正す。


『お前は自分の能力を甘く見過ぎだ。それほどの魔力量を持っている人間は他にいない。それを自覚しろ。自己の評価を間違えば、どれほど強き者であろうと足をすくわれることもある』


 ブランが言うことはもっともなことだった。魔力量の多さは生まれ持った物であり、アルはそれを軽く考えがちだった。少しその意識を変える必要があるかもしれない。国が欲するほどの価値ある物だと、きちんと認識しておかなければ、自分や周りの者たちを危険に晒してしまう可能性もあるのだ。


「……アルフォンス殿には、事の重大性を理解してもらうためにも、自身をもっと理解してほしいものだが……いや、これは俺が頼むことではないな。とにかく、貴殿の能力を他者に利用されるのは非常に危ういことだから、できればあらゆる者との関わりに気をつけてほしい。少なくとも、グリンデル国に囚われることがないよう、どうか逃げ続けてほしい」

「僕は元々グリンデル国に関わるつもりはありませんでしたし、これからもないでしょう。カルロス殿がわざわざ頼まなくても、ね」

「それを聞いて安心した」


 カルロスが言葉通りに表情を緩めて安堵の息をついた。

 不思議なものだと思う。アルもカルロスも、理由は違えど母国から逃げてきたのは同じだ。だが、見ている方向はまるで違うように感じる。


 カルロスは戦にひた走る自国を許容できず逃げ出した。だが、逃避先においても、自国を憂い、世界の争乱に頭を悩まし続けている。彼は今この時点においても、一国の皇子なのだろう。母国を切り捨てられない、人間らしい感情の持ち主だと思う。


 対して、アルはグリンデル国を出てから世界の争乱の話を聞いても、自分がそれに関わろうとは全く思えなかったし、大して思い悩むこともなかった。恐らく、母国が滅亡したと聞いても、「そうなんだ」の一言で終わらせてしまうだろう。

 そんな自分がとても薄情に思えた。だが、そう思っても、人間社会の動きに関心を抱くことはできそうにない。




 話が終わったところでカルロスに暇を告げ、既に知られているからと転移魔法を使って魔の森の家に帰ってきた。


「ねえ、ブラン」


 床に下りて、疲れを払うように伸びをしているブランに声をかける。その響きの重さに気づいたのか、ブランが真剣な眼差しでアルに向き直り座った。


「僕って、薄情かな? 母国にも、世界の争乱にも、それで生じる人の生死にも、あまり関心を持てないんだよね」


 アルと似ているようで全く違うカルロスの生き方に触れて、不意に気づいてしまった自分の人間らしい感情の欠落。

 静かに聞いてくれるブランに、自分の中に生じた疑問を訥々とつとつと話した。


「思えば、母国を離れると決めた時から、なんだか色々なことが他人事に思えるんだよね。冷めた見方をしちゃうっていうのかな。どうにも心を寄せることができない。ブランやアカツキさんたちと過ごす時間は凄く現実味があるし楽しいのに、一歩外に目を向けたら、世界との間に見えない膜があるみたいに、ぼやけて遠いものに感じる」


 自分でも何故そのように感じてしまうのかが分からない。だが、人として異質に思えてならなかった。


『そう感じることに何か問題があるのか?』


 ブランが心底不思議そうに言う。アルの言葉を理解した上で、それを当然のことだと言いたげだった。


「変じゃない?」

『他者と比べることほど無意味なものはない。それに我は初めから知っている。お前は森に生きるべき者なのだ。人の世に煩わされる必要はない。したいように生きて、それを楽しく思えるならそれでいいだろう』


 正直、森に生きるべき者という言葉の意味がよく分からない。確かに人の世を離れ森で生活することを好んでいるが、そうすべきと言われるのは何故なのか。

 アルが考え込んでいると、バッグから抜け出してきたアカツキがグイッと伸びをしながら言う。


「たぶん狐君も言っているんでしょうけど、俺はそんなこと気にする必要ないと思いますよ? 感じ方や生き方は人それぞれ。誰かに合わせず自由に生きていけるなら、それでいいんじゃないですか? 俺も正直、アルさん以外の人にはあまり関心を持てないって、今回のお出かけで感じました」


 街歩きを楽しんでいるように見えたアカツキだが、それは真新しい物や懐かしい物を目にすることに対してであり、そこで生きる人々に対しては関心を抱かなかったらしい。アカツキは人との付き合いを切望しているのだとアルは思っていたが、それは間違いだったのか。


「さて、夕飯は何にしますかー? なんならダンジョンから食材持ってきますよ?」

「……今日はちょっと疲れましたし、手軽な料理がいいですね」

「アルさん基準の手軽とは……? 俺の基準で言うと、ご飯に出汁をぶっかけるだけになっちゃうんですけど」

『肉だ、肉! 肉があればそれでいい!』


 ブランとアカツキに生き方を肯定してもらえたことで、生じた不安感が薄れた気がした。今を楽しめればそれでいい。そう考えると楽だ。


「あ、最近鰻うなぎの養殖を始めたんです! うな丼食べましょう!」

「ウナドン?」

『ウナギってなんだ。それは肉か? 旨い肉ならいいぞ』


 アカツキが提案するメニューには『ドン』とつく物が多い気がする。コメに具材をのせた料理全般に『ドン』を付けるのだろう。


「え、鰻を知らない……? こう黒くてニョロッとしてる魚ですよ」

「それ、ウミヘビでは?」

『魚か……。うむ、たまには魚も良いな』

「ウミヘビじゃないっすー! とりあえず持ってきます!」


 そう言った途端、アカツキの姿が消えた。自分のダンジョンに転移したのだろう。

 まだ『ウナドン』という物の詳細を聞いていないし、作るとも言っていないのだが、アカツキがそれを食べたいと言うなら仕方ない。恐らくほとんど参考にならない知識しかアカツキは持っていないだろうから、なんとか鑑定の能力が役に立ってほしいものである。


「『ドン』というくらいだから、コメを炊いておいた方がいいんだよね? 後は、ミソスープも作っておこう。野菜とお肉を入れたボリュームのあるものにするね」

『手軽と言いながら、結局手の込んだ物になりそうだな』

「手を抜きたい気はあるけど、美味しくて楽しい食事が一番の疲労回復法かなって思って」

『うむ。しっかり飯を食うのは大切だ』


 ブランが偉そうに頷く。その態度にはちょっと納得がいかないが、言っていることは間違っていない。ブランを撫でて毛を乱し、僅かな不満を発散した。


『のわっ、何をする⁉』

「ちょっと、態度にイラッとした」

『我はいつも通りだっただろう!』

「いつも偉そうっていう方が問題じゃない?」

『我は偉大な聖魔狐なのだぞ!』

「ブラン、自己評価を間違うのは良くないって自分で言ってたでしょう?」

『我の自己評価は間違っておらんぞ!』


 キャンキャンと抗議してくるブランを足元に纏わりつかせたまま、アルは軽い足取りで調理場に向かう。ウナドンとはどういう物なのか楽しみだ。


 グリンデル国の追手やカルロスと話したことを、既にどうでもよいことだと思っている自分に気づいたが、アルはそうなっても別に問題はないだろうと、ただ受け流すことにした。

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