第120話 世界の裏側

「アル殿は知っているだろうが、帝国はマギ国と戦をしている」


 新たに紅茶を淹れて、アルが椅子に座りなおしたところで、カルロスが重々しく語りだした。

 面倒くさそうに顔を顰めたブランが、その眼前で尻尾を振って遊んでいる。くしゃみを堪えるためか、奇妙な顔になったカルロスを見て、アルは吹き出しそうになった。その状態でも怒りださないカルロスは寛容な人物だと思う。

 さりげなく手で尻尾を退けてカルロスの語りが続いた。


「その戦は、帝国がある疑惑をマギ国に向けたことから始まった」

「疑惑?」

「ああ。マギ国は世界を滅亡へと導く計画を立てているのだという疑惑だ」


 レイから前に聞いた魔砲弾兵器の威力を考えると、その疑惑は正当なものに思える。土地を一瞬で更地にし、空気中の魔力まで消失させて不毛な地に変えるという兵器は、思い返す度に顔を顰めてしまうほどおぞましいものだ。


「疑惑について調査した結果、マギ国は何者かの技術供与によって、恐ろしい兵器を開発していることが分かった。そうと分かれば『世界の正義』であり『神に代わって世界の秩序を保つこと』を責務であると考えている帝国が進軍しないわけにはいかない」


 帝国の些か傲慢な主義に安易に頷くことはできず、アルは沈黙を守った。カルロスも帝国の主義には納得できない思いがあるのか、眉を顰めている。


「帝国はマギ国に技術供与する姿なき存在を悪魔族であるとし、悪を滅さんと血気盛んに戦へとひた走った」

「悪魔族? それは、おとぎ話の存在では?」


 アルは急に空想の存在を話に持ち出されて困惑した。

 悪魔族は、この世界の創世紀に、世界から魔力を消し、世界を破壊しようと目論んでいた種族だ。そして、創造神との争いに敗れた悪魔族は、世界から消滅されるという結末を迎えた。

 もちろんそれは史実ではなく、古くから伝わる物語の一つとしてアルは認識している。


「帝国では実際に悪魔族は存在すると考えられている。今も虎視眈々と世界を滅亡させるために暗躍しているのだと」

「それは……なんというか、現実味がない話ですね」


 正直、あまりに物語のようなことを言われても納得できなかった。ブランも不可解そうに首を傾げているので、長く生きていても悪魔族という存在には出会ったことがないのだと分かる。


「俺もそう思う。だが、帝国の連中は皆信じ込んでいるんだ。悪魔族を滅するのは、神の代理人たる自分たちの務めだと。それで多くの兵が亡くなり、農民まで徴兵して戦を継続している。国民の多くは愛すべき家族を失い、貧困に陥っても、正義の戦と信じて突き進んでいる」


 ドラグーン大公国への穀物の輸出が滞っている原因を図らずも知ってしまった。農民まで徴兵されていたら、輸出できるほどの量の穀物を生産することは難しいだろう。

 だが、帝国がそこまで苦戦を強いられている理由が分からない。


「マギ国には帝国の国力に長く抵抗できるほどの力はないと思っていましたが」

「ああ。帝国も初めはそう判断していた。悪魔族が技術供与したとされる兵器も初期に無力化したからな。早々に戦は終結すると誰もが思っていた。実際、早い内に帝国の軍勢はマギ国の首都に迫り、陥落させるのは時間の問題と言える状況だった」

「では、なぜ?」

「……グリンデル国が参戦してきたんだ。てっきりマギ国とは仲違いをして、参戦を見送るものだと思っていたが」


 ここでグリンデル国が出てくるのか。アルは不快感を隠せず顔を顰めた。膝上に乗ってきたブランが宥めるように腕を叩いてくる。その頭を撫でて気持ちを落ち着かせた。

 アルにはもう関係のない国だと思っていたが、この状況で名前が出てくることに不快感を覚える程度には気持ちが残っていたようだ。


「参戦と言っても、兵器や兵士をマギ国に供与したという形のようだ。マギ国を帝国への盾にして、自国は矢面に立たないつもりなのだろうな。マギ国が滅亡したらグリンデル国は帝国に隣接することになるから」

「グリンデル国に、戦況を変えさせるほどの兵器を生み出せるとは思えないのですが」

「それもまた、悪魔族による物だと帝国では考えられている。詳細は言えないが、マギ国が生み出した兵器と似た機能を持つ物のようだからな」

「悪魔族……」


 あまりに悪魔族という言葉を安易に使い過ぎではないだろうか。誰もその存在を見たことはないだろうに。マギ国からグリンデル国へ亡命した研究者が作ったと言われた方が納得できる。


「マギ国と同様に、グリンデル国も既に悪魔族の手に落ちたものだとして、帝国では両国の王族並びに主要人物を討伐対象にしている。悪魔族は当然倒すべきものだが、共闘している人間も打ち倒すべき人類の敵だ、とな。王族たちの死なくして、停戦や終戦は起こりえない」


 なんとも暗い話の連続に辟易する。アルはこんな国の事情には関わりたくないのだ。せっかく国から逃げ出したというのに、今更なぜこんな話を聞かなければならないのか。

 少し苛立ち混じりにアルは口を開いた。


「……それで、貴方は僕にその話を聞かせてどうしようというのですか? 貴方が帝国の主義に納得できず、この国まで逃れてきたというのは何となく察しましたが」


 カルロスが苦笑した。その表情を見て、流石に八つ当たり染みた態度を取ってしまったことを反省する。


「アルフォンス殿の言う通り。俺は悪魔族という存在を信じられないし、それを頑なに信じて、犠牲を顧みず進軍を指示する皇帝や兄弟たちにも心を寄せられなかった。その状況に身を置き続けることもできず、ここに逃げてきた」


 遠い目をしてカルロスが呟く。その声が次第に熱を帯びていった。


「ここにはドラゴンがいると聞く。人の声に耳を傾けてくれる存在だと。皇帝は神の使徒たるドラゴンを崇拝しているんだ。ドラゴンが悪魔族なんていないと告げてくれたら、無意味な犠牲だと言ってくれたら、この戦は終わるかもしれない。……そんな思いを持って、ドラゴンに会うためにここを逃避先に選んだ」


 アルは目を眇める。カルロスの言葉は、彼が言っていた通り現実逃避であるとしか思えなかった。

 ドラゴンはカルロスが言うような都合の良い存在ではない。彼ら自身が理に縛られ、基本的に人間の世界への関与を禁じられている存在だ。カルロスがドラゴンに会えたところで、状況は何も変わらないだろう。

 それに、マギ国やグリンデル国が悍ましい兵器を使っている事実は、悪魔族の存在を否定したところで変わるものではない。ドラゴンの存在一つで戦が終わるなどと考えるのは、悪魔族の存在と同じくらい夢想であると思えた。


『本当に悪魔族なんて存在がいるなら、真っ先に精霊が動いているはずだが』


 不意にブランが呟いた。アルが目を見張って膝上のブランを見つめると、気まずそうに顔を背けられた。伝えるつもりのない言葉だったらしい。


「悪魔族と精霊……?」


 言われてみると、精霊は創造神と共に悪魔族を滅した存在として物語で語られていた気がする。精霊が存在しているのは事実だと以前聞いていたので、ブランの言葉にも納得した。物語の内容が正しいと仮定するならの話だが。


「精霊だと? そういえば、皇帝がマギ国の疑惑を口にして調査を指示したのは、マギ国の南端に広がる精霊の森に特使を向かわせてからだったな……」


 アルの呟きを聞いたカルロスが、息を吞んで思考に沈んだ。

 悪魔族を滅したと言われる精霊。悪魔族を滅するという主義を掲げて戦を続けている帝国。その帝国が精霊の森と関わりがあるという事実。

 気味が悪いくらいの符合に、アルは顔を顰めた。まさか精霊が、悪魔族という言葉を使って人間同士の戦を煽動しているのだろうか。


『本当に悪魔族がいて、それを精霊が関知しているなら、それは既に人間が関与すべき範囲を超えているだろう』


 ブランが顔を顰めて言う。ぱたりと尻尾が揺れた。


『精霊は基本的に人間に無関心だから、悪魔族と相対する時に人間との共闘を考えるとは思えん。同じ理由で、悪魔族の存在をかたって人間同士の戦を煽動することも考えにくい。もし帝国の連中が悪魔族の存在を精霊から聞かされたというなら、それは関わるなという警告に他ならん。帝国が勝手に正義面して手を出しているんじゃないか? その場合は、精霊からしたら、帝国の行いこそが、世界の調和が乱れる原因だと非難するべきものだな』


 アルが抱いた不信感を察したかのように、ブランが精霊について語った。これまであまり語りたがらなかったはずなのに、やけに饒舌である。何故なのかと疑問に思って目を瞬くと、その顔を見たブランが目を泳がせた。ブランもここまで語るつもりはなかったようだ。


『――というかだな! この話をいつまで続けるつもりだ⁉ さっさと家に帰って飯を食うぞ!』


 ブランが明らかに何かを誤魔化しているのは分かった。だが、アルもこの話を続けるのが嫌になってきたので、その提案に乗ることにする。

 カルロスに暇を告げるために顔を上げると、真剣な眼差しとぶつかった。

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