第119話 彼はナルシスト?

「帰還の要請ですか。おかしなことを言いますね。僕は既にグリンデル国の貴族ではないし、冒険者としての立場から考えると、他国の国王の要請に従う義務はありませんよ?」

「帰還次第、貴族籍を復活させるつもりらしいですよ~」


 ジャックが一気に雰囲気を砕けたものにして軽く肩を竦める。彼自身もその要請がおかしなものだと分かっているのだろう。騎士だからこそ王族からの指令を拒否することはできず、ここまで追ってきてアルに要請を伝えた。だが、道理の通らないことを力任せに押し通せるほど愚かではない、ということのようだ。


「僕はグリンデル国に赴くつもりはありません。貴族籍の復活もお断りします。どうぞお引き取りを」

「ですよね~」

「ジャック!」


 アルの言葉に同意するジャックに対し、背後から再び咎める声が上がったが、その声にも躊躇いが滲んでおり、騎士たちの忠誠心と良心で板挟みになった立場を思うと、アルも多少同情の念を抱く。グリンデル国に帰還しようと思えるほどではないが。

 指令を受けてきている以上、ジャックたちも成果なしには帰れないだろう。何か丁度良いものを提供できればいいが、その結果がグリンデル国の王族にくみするものになるのも些か業腹ごうはらである。

 少し思考を巡らせていたところで、不意にブランが頭を上げ顔を顰めるのが見えた。アルも危険を察して大きく背後に跳び退く。

 地面が何かに穿たれる衝撃音が路地に響いた。


「ちょっ……!」

「魔法兵か⁉ 勝手なまねを……!」


 突然の出来事に目を見開くジャックと、近くなった声の主の様子から、この攻撃は彼らの総意によるものではないと分かる。とは言え、アルが攻撃されているという事実は変わらない。彼らには既にアルの返答を告げているので、会話を継続する必要性もない。

 連続して襲ってくる風の弾丸を避けつつ、飛びついてきたブランをしっかり抱き上げて、アルは転移の魔法を発動させようとした。


「なんだ、仲間割れか? グリンデル国らしいねぇ」


 不意に横にあった窓が開き、手が伸びてきた。そこに人がいることは少し前から気づいていたが、まさかこのタイミングで関わってくるとは思っていなかったので驚く。

 日に焼けた手がアルの服の端を掴むのが見え、反射的に振り払おうとしたところで、視界が一転した。


 魔法の着弾音やジャックたちの声が一瞬で消え失せ、遠くから穏やかな街の喧騒が聞こえてくる。素早く周囲を見渡すと、ここが宿屋の一室らしいことが分かった。階下から女将らしき女性の声がする。

 一瞬で現在地が変わるこの現象を、アルは熟知していた。普段から多用する魔法であるのだから当然だ。


「……どういうことですか」

「おっと、驚かせたかい? これは転移っていう魔法さ」


 褐色肌の野性味のある男がニヤリと笑った。アルの服を離し、グイッと伸びをする男の手から粉々になった魔石が零れ落ちる。それは床に着く前に空気に溶けるようにして消えた。


「魔石に魔法陣が刻まれていて、なかなか有用なんだ。数に限りがあるってのと、予め定めていた場所にしか転移できないってのが難点だが。……ま、グリンデル国から一瞬で消え失せたと聞くアルフォンス殿に、さかしらに語るようなことじゃないだろうな」


 含みのある言い方だった。揶揄するような表情を見ても、この男がアルの素性を知っていることは間違いない。


『なんだ、厄介事というのはまとめてやってくるのが流儀なのか? もう飽きた。早く帰って今日は休もう』


 ブランが疲れたようにため息をつく。一難去ってまた一難と言うべき状況に辟易しているらしい。アルもブランに同感だが、自分だけ素性を知られた状態というのも気持ち悪く感じる。最低限この男の素性を調べるべきだろう。


「……随分と僕のことをご存じのようですが、お会いしたことはありませんよね?」

「会ったことはないが、噂はよく聞いていたさ。特に、グリンデル国から脱出したって話はな。……俺が何者か知りたいのかい?」

「ええ、ぜひ」


 隠し立てする必要も感じないため素直に頷くと、男はご満悦の笑みを浮かべた。どうやらアルに興味を持たれているのが嬉しいらしい。

 目元にかかる前髪を搔き上げながら、ふっとニヒルに口元を歪ませ、堂々たる態度で名乗った。


「俺はジャスティン帝国第三皇子、カルロス・アヒム・ジャスティン。帝国の悪名高き風来坊チャーリーとは俺のことさ!」

「いや、聞いたことがないですけど」


 本当に全く聞いたことがない。愕然とした表情で固まるカルロスは、このような返答をされると予想していなかったようだ。

 バッグの中にいるアカツキが震えているのを感じる。どうやら必死に笑いを堪えているらしい。確かに、カルロスの振る舞いは喜劇染みていて、笑ってしまうのも仕方がない。カルロス自身は至極真面目に言っているようであるから猶更だ。


「ほ、本気で言っているのか……?」

「申し訳ないですけど」


 肩を落としてショックを受けているカルロスを見ると少し困ってしまうが、無駄な嘘をついて気遣うのもどうかと思う。


『悪名高き風来坊とは、そう誇らしげに名乗るものなのか?』

「本人が誇らしく思っているなら別にいいんじゃない? チャーリーって愛称で呼ばれているなら、多分悪い意味で言われているんじゃないと思うし」

『ふむ。チャーリーとは愛称なのか』


 カルロスの時が止まっているので、回復するまでブランとのんびり話す。カルロスの様子を見るに、転移で逃げるほど緊急性がある状況ではないだろう。一応、彼はグリンデル国の追手から逃がしてくれた人でもあるのだから。


「……いいんだ。どうせ、俺は、ただ現実から逃げているだけの、意気地なしの男さ」


 窓辺の壁に寄りかかり、外を憂いを秘めた表情で眺めるカルロスの仕草は、実に演劇染みている。ここまで自分に酔った振る舞いをする人を見るのは初めてだ。だが、その仕草が嫌味にならないのは、容姿が整っていることに加え、彼が常に活力に溢れた覇気を放っているからだろう。

 それ故、カルロスの「現実から逃げている意気地なし」という言葉に違和感を覚える。


「一体どんな現実から逃げていると?」


 勝手にテーブルを借りて紅茶を準備していると、ブランがいそいそとテーブルに座り込んだ。煌めいた眼差しを見るに、お茶請けの甘味を期待しているらしい。

 アカツキをこっそりとテーブルに乗せるのと一緒に、ドライフルーツを混ぜ込んだカップケーキを取り出す。アカツキの布の中に一つ突っ込み、ブランの前に二つ置いたところで、カルロスが近づいてきた。


「……教えるから、それ、俺にもくれるかい?」

「ええ、構いませんよ」


 風来坊であろうと、一国の皇子が初対面の人の作った物を安易に口にしていいものなのかと思うが、本人が良しとしているならアルは指摘しない。

 カルロスの前にもカップケーキを置き、即席のお茶会が始まった。


「これ美味いな」


 用意したフォークを使うことなく手づかみでカップケーキを齧ったカルロスが、目を見張って言う。どこの店で買った物かと聞くので、手作りだと答えると、暫く固まった後にカップケーキを凝視していた。


「それで、一体どんな現実から逃げていると? 僕をわざわざここに連れてきた理由も知りたいのですが」

「アルフォンス殿を連れてきたのは……その場の勢いだな! 連れてきてから、貴殿が自力で逃げられる能力を持っていると思い出した!」


 カルロスが気まずそうに顔を背けた。自分のしたことが余計なお節介であった可能性に思い至ったらしい。

 アルとしては、特別な思惑がないなら別に気にしない。何らかの害を被ったわけでもないので。


「俺が逃げている現実というのはだな……」


 言葉を選んでいるカルロスを静かに待つ。カップケーキを更に寄越せとアルの手を揺さぶってきたブランを捕まえて、その頬を揉んで手遊てすさびをしているから、どれほど間が開こうが気にしない。


「これを言ったらアルフォンス殿も巻き込んでしまうかもしれないが――」

「あ、じゃあ、聞かなくていいです」

「嘘だろう⁉ ここまで話を引っ張ったのに、気にならないのか⁉」


 紅茶の入ったカップを落としそうになるカルロスを尻目に、アルはテキパキと帰宅準備を始めた。空が茜色に染まってきている。そろそろ夕飯の準備をしなければ、カップケーキで回復したブランの機嫌が悪くなってしまいそうだ。


「悪かった! 絶対に巻き込まないから、聞いてくれないか!?」


 カルロスが何故それほど語りたがっているのか分からない。必死にアルを引き留めようとするのを見て首を傾げた。

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