第113話 未来はまだ見えぬ

「こやつが食ったドラゴンは【森】を司っていた。ドラゴンといえば余のように人間にとって害のある性質のものがよく知られているのだろうが、そうでないものも実は多い。【森】のは性質そのままに温厚な奴だった」

「知り合いだったのですか?」

「直接会ったことはないが、余たちなりの情報伝達の方法がある」


 リアムの話を聞いていると新発見の事実がたくさん溢れてくる。思わず興味津々で前のめりになると、リアムが苦笑して隣を叩いた。座って落ち着けということだろう。ブランも暴れなくなったので、いそいそとリアムの隣に腰かけた。

 ブランが嫌そうに顔を歪めたのでご機嫌取りにお茶とクッキーを用意する。今日は紅茶の葉を混ぜたクッキーだ。バターをたっぷり使ったのでさっくりほろりとした食感の自信作になっている。

 秘かに期待で目を輝かせたリアムの前にもクッキーを並べ、お茶会気分で話は続いた。


「それで、ブランが引き継いだ能力というのは何なのですか?」

「【森】と称されるものの掌握だな。森のフィールドにおいて感知能力が上昇する。森を侵害する者へ刺客を放つ力もあるはずだが、さすがに魔の森ではそこまでの能力は発揮できなそうだな」

「へぇ……、ブランって結構凄いんだね?」

『わりぇはしょんなにょうりょくなくてもすぎょいんだ!』


 頬にクッキーを詰め込み過ぎてブランが何を言っているのかよく分からない。凄い能力を持っているらしいが、威厳が全く感じられないことは良いことなのか悪いことなのか。多少和みはするから、ブランらしくて良いと考えることにする。


「その狐が管理する森は【生きた森】と呼ばれるのだろう? それはそやつがそうあれと指示しているからだ」


 アルがブランと出会った森は【生きた森】と呼ばれ、昼は恵みを与え、夜は侵略者を拒絶することで有名な場所だった。それがブランによるものだというのは驚きである。


「……あれ? ブランはその森を出てきているよね。今、森の管理はどうなっているの?」

「ふむ、余もそれは気になっていた。本来ドラゴンは自分が担当する地を長く離れない。神により、そう決められているからだ。どんな裏技を使ったのだ?」

『我はドラゴンなんかより凄いからな! それくらい簡単なことだ!』


 誇らしげに胸を張るブランの口周りがクッキー屑で汚れている。赤ん坊かな、と生温かい目で見ながら手巾で拭ってやった。

 汚れているのに気づいていなかったブランが少し気恥ずかし気に毛並みを整えだすが、それより早く答えを知りたい。


『……ゴホンッ、森の管理だったな。答えは簡単だ。我の分身を残してきている』

「分身?」

「ほう……、器用だな」

『ふふん、ドラゴンにはできまい。アル、我はドラゴンより優れているのだぞ! もっと敬っても良いぞ! 捧げものにはクッキーが最適だ!』

「感心した気持ちを返してほしい」


 どれだけ凄い能力を持っていようと、ブランの本質は食い意地の張った狐でしかないのだとアルはため息をついた。


『むぅ、クッキー……』

「はいはい。……それで、分身っていうのは具体的にどういうものなの?」


 口にクッキーを放り込まれてご機嫌になるブランに問うと、軽く首を傾げられた。


『言葉通りだぞ? 我の能力を形代に移すのだ。ふむ、やって見せようか』

「え、見たい!」


 普段あまり働かないブランである。一番傍にいるアルでもその能力は把握しきれていないので興味がある。リアムもお茶を飲みながら興味深そうに首を傾けていた。


『今日の夕食の甘味を期待しよう。……そぉれ!』


 さり気なく夕食の甘味を催促されて半眼になったアルだったが、ブランの気の抜けた掛け声とともに眼前に現れたものに目を見張ることになった。


「えっ、ブランがもう一体! というか、大きいっ!」

『む、久しぶりだから力加減を間違った』

「邪魔だな」


 アルたちの前に、ブランの本来の姿を超える大きさの狐がお行儀よくお座りをしていた。大きな尻尾が規則的に揺れる度に巻き込まれた花が風に乗って散っていく。


「……あれ、反応しないね」


 興味津々でブランの分身に近づいたが、鼻をくすぐったり目の前で手を振ったりしても一切アルに反応しなかった。ちょっとつまらない。


『意思は与えていない。基本的な能力と指示は与えているが、判断は我が遠隔で行うからな』


 ブランがそう言った途端、分身がパチリと瞬きをして大きく口を開けた。そのままの勢いでリアムに嚙みつこうとして霧散する。


「え⁉」

『チッ』

「余に分身如きで傷を負わせられると思うなど、自惚れるなよ」

「ちょっと、ブラン、どういうこと?」

『……ほんのお遊びだ』


 ブランの言葉は極めて嘘くさい。リアムが攻撃して消さなければ、ブランはそのまま分身にリアムを食わせていただろう。失敗して舌打ちしたのをアルは聞き逃さなかった。


「……夕食の甘味は抜きね」

『何でだ⁉』


 衝撃を受けたように固まるブランをジト目で睨み、リアムに謝罪すると、軽く肩を竦められた。ブランに対して言葉では咎めたが、リアムからしてみると向かい風がきたくらいの攻撃でしかなかったのかもしれない。


「余もアルが作った夕食を食べたいぞ」

『誰がやるか!』

「それはもちろん構いませんが、たぶんアカツキさんも来ますよ?」

『アル、我を無視するな!』

「ああ、あの可哀想な者か。構わん。ついでに、あれに贈り物をしてやろう」

「可哀想な者?」

「あれも神の意思に翻弄された者だろうし、余が多少手助けしてやるくらいがちょうど良かろうと思って、な。アルには世話になったから、報酬の一部だと思ってくれていい」

「……凄く気になる言葉ばかりなんですが。今夜アカツキさんと一緒に聞かせてくださいね?」

『……我を無視するな……』


 リアムの発言が気になりすぎてブランの存在を受け流していたら、ぴょんぴょん跳ねて抗議していたブランの元気が次第に無くなり、尻尾を垂らして項垂れてしまった。慌てて撫でて宥めると、拗ねたように顔を背けられる。

 結局夕食には甘味を用意することになりそうだ。




 コメが炊ける良い香りに頬が緩む。

 アルの家ではリアムを招いての夕食会が開かれていた。当然ダンジョンからやって来たアカツキもいる。


「白ご飯に、麻婆豆腐! アルさん、いつの間に中華を習得していたんですか⁉ ヤバい、焼き餃子まである! これはビール欲しい!」

「チュウカが何か分かりませんが、喜んでもらえて良かったです」

「ふむ。余の国特有の味付けはコメと実に相性が良いな」

「え⁉ 中華ってリアム様の国の料理なんですか? うわー、町探索したい! 美味しい物たくさんありそう!」

「確かに町には美味しいものがたくさんありましたね」

「うむ。このトウフというのは、名前も食感もアンニントウフと似ているが、甘みが少なくてこの味付けによく合う。美味いぞ」

「ありがとうございます」

「……豆腐と杏仁豆腐は全くの別物ですけどね?」


 アルたちが会話と食事を楽しむ横で、ブランは一心不乱に餃子を口に運んでいた。相当お気に召したらしい。アカツキの目を盗んで皿から奪っているのは注意すべきだろうか。アカツキが「あれ、もうこんなに食べたっけ? ……美味しすぎて、きっと無意識に口に運んでいるんだな」と呟いているので、気づくまで待ってみたい気もする。


「そういえば、アカツキさんのことを『神に翻弄された者』とか言っていましたけど、リアム様は何か知っているんですか?」

「え⁉」

「ふむ、知っていると言えば知っているし、知らぬと言えば知らぬ」

「どっちなんすか⁉」


 食事がひと段落ついたところで話題を切り出すと、アカツキが驚いた様子でアルとリアムの顔を見る。キョロキョロとした動きが小動物そのもので少し和んだ。


「神に翻弄された哀れな者がいると聞いたことがあるだけだ。詳しいことは……余が話すべきことではないな。真実を知りたいと思うならば、自らが追い求めなければならん」

「手がかりが一切ないんですけど……」

「それに、俺、自分の領域から出られないんですよ?」


 アルとアカツキが控えめに情報を催促するとリアムが苦笑した。


「だからこその贈り物だ」

「贈り物?」

「あ、何かそんなことを言っていましたね」

『ドラゴンが贈る物など、ロクなもんじゃなさそうだ』

「ブラン、これでも食べていなさい」


 余計な嘴を挟んでくるブランの口にゴマ団子を突っ込んだ。不服そうな表情が瞬時に至福の表情に変わるから甘味は偉大だ。


「受け取れ、そなたに必要な物だろう」

「えぇっとぉ、首輪?」

「うむ。制限領域外に出入り可能にする物だ。この世の者ではない存在を、この世界の者だと誤魔化す」

「え……」


 リアムから受け取った物を呆然と見下ろしていたアカツキの目が次第に潤みだす。アルは何と言葉をかけていいのか迷ってそのまま口を噤んだ。


「お、俺、ずっと一人ぼっちで……。俺は前の世界のことをほとんど何も覚えていないけど、俺がこの世界の異物だってことは何となく分かっていて、自由は無くて、孤独で、なんで俺はここで生きているんだろうって――」

「神は悪戯に賽を振り残酷なことをする。だが、悲嘆に暮れても憎しみを持たなかったそなたの精神性を余は高く評価する。故に余の権限においてそれを贈るのだ」

「――うぅ、ありがどうございまずぅ」

『汚いな』

「ブラン? いい加減怒るよ」


 遂に泣き伏すアカツキにかけたあまりにも冷たいブランの言葉を聞いて、アルは本気で睨んだ。途端に気まずそうに口を噤むのを見てため息をつく。アカツキに手巾を渡して背を撫でた。

 リアムの発言には色々と気になることがあった。だが、今聞いたところで答えをくれないことは分かっていた。

 アルの視線の先でリアムがひっそりと笑む。その笑みが何を意味するのかアルはまだ知ることができない。


「時が来た時、余が道を示してやろう。探求の道だ。そなたが望むなら、その道を進むがいい。……アルも協力してやるのだろう?」

「……僕の興味が向くことならば」

「きっと、アルは無視できんさ」


 今度は流されて利用されるつもりはない。リアムの言質を得ようとする誘いに用心深く返事をするが、リアムはアルのそんな反応さえ読んでいたというように満足げに頷くだけだった。


『ほぅら、絶対にロクなもんじゃない。……まあ、アルを害そうとするならば我が食ってやるまでだが。我が本気になれば、禁忌に縛られたドラゴンごとき如何様にもなるというものだ』

「怖いことを言う狐だ。重々心しておこう」


 言葉に反してリアムの顔は愉快げだった。ブランがフンッと鼻で笑って興味を無くしたようにゴマ団子に食いつく。

 アルは双方を見比べながら先を思ってため息をついた。面倒事になったらさっさと放り投げて、ブランと逃避行でもすればいいかと心に決めて納得する。

 先に何があるかは分からない。だが、アルは今まで通り美味しいものを食べて、探索して、自由に生きるだけだ。


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 これにてドラグーン大公国編〈完〉!

 お付き合い頂きましてありがとうございました。

 アルが暫く定住できそうな拠点作りとブランの能力が少し分かる内容になったかと……。

 新たな謎も出てきましたが、どうぞ今後もお付き合いよろしくお願いいたします。


 ここまでの伏線等を整理して限定近況ノートに公開する予定です。次章からも少しずつ伏線を回収していく予定なのでご活用いただけましたら幸いです。


〈次章予告〉

 アルとブランはアカツキも交えて、相変わらずグルメに狩りに邁進中。そこに現れる不審な人々。彼らは何を目的にアルに近づくのか。世界で渦巻く陰謀を横目にアルは大声で主張する。「僕は自由に生きる! 巻き込むんじゃない!」

 ……たぶん予告詐欺(笑)


 カクヨムのグルメ企画に参加させていただいております。ドラグーン大公国編で出てきた猫カフェ店店主が主人公の短編です。アルとブランにもゲスト出演してもらいました。

 お時間ありましたら、ぜひご覧ください!

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