異国からの訪問者
第114話 新生活
深い森の中にポツリと開けた土地。
そこには一軒の家が静かに佇み、その周りを囲うように畑が広がっていた。
春も盛りなこの季節。可愛らしい桃色の花が風に揺れ、ほのかに甘い香りが辺りに漂っている。
畑には、まだ作物が植わっていない場所も多かった。雑草ばかりが生えるその場所で、少年が精力的に動き回っている。
雑草の合間に白い獣の姿。猛然と土を掘り返しては、口にくわえていたものを穴の中に落とす。後ろ足で土を掛けて穴を埋めると、移動して再び穴を掘る。それを
「……ブラン、僕の顔に泥が飛んできたんだけど。ズボンも泥まみれになっちゃったよ」
『我、頑張った。そろそろ飯にしよう』
畑で作業していたアルは、ブランのあまりに傍若無人な言いようにため息をついた。しかし、朝から畑仕事を続けていて、そろそろ休息をとるべき時間なのも事実。空高く昇った太陽を見て、ぐぐっと腰を伸ばした。
アルが休息をとることを察したのか、嬉しそうに尻尾を振ったブランが家へと駆けていく。その後を慌てて追って、アルはブランを抱き上げた。
「まずはお風呂です」
『は!? なんでだ、飯を食うんじゃなかったのか!?』
「泥まみれで家の中には入れません」
『やめろっ、洗うなー!』
家の裏手に浴室へと直結する扉を作ってある。暴れるブランを押さえつけ、少量のお湯を張った浴槽に突っ込んだ。アルを泥だらけにした罪で、ブランは泡まみれの刑である。
瞬く間に泡でモコモコに覆われたブランが、悲しそうに情けない鳴き声をあげた。
「はいはい、泣かないの」
『泣いてない!』
「お湯で流して乾かしたらご飯の準備をするからねー」
『泣いてないから子ども扱いするな!』
「はいはい、良い子良い子」
『……』
文句を聞き流して作業を終える。完全に拗ねた様子のブランを乾かして浴室から放り出すと、恨みがましい目がアルを睨んだ。そろそろ洗われることにも慣れて欲しいものである。
肩を竦めたアルは、自分も体を洗うため、浴室の扉を閉めた。体を洗っている間もずっと磨りガラス越しに視線を感じて、折角浴槽にお湯を溜め始めたのに少しも寛げない。お湯に浸かることを諦めて、アルは渋々体を拭いた。
***
「今日の昼食は採れたて野菜の炒め物だよ」
『草はいくら炒めようと草のままだ! 疲れた時には肉が良いらしいぞ。肉をくれ!』
「そんなブラン用はほぼほぼ肉バージョンです」
『ならば良し!』
「え、マジ、狐君、肉の山じゃん。羨ま――」
ブランの皿を見て何かを言いかけるアカツキにチラリと視線を送る。それを感じたのか、アカツキは言葉を止めて慌てだした。
「いやー、野菜炒めもたまには良いですね!」
「ちゃんと肉も入ってますよ?」
「あ、ほんとだ。ご飯も下にある! 野菜炒め丼にしてくれたんですね。ありがとうございます!」
一口食べたアカツキが毛を逆立てた。体に影響が出るような物を使ってしまったのだろうか。アカツキの今の獣の体がどういうものなのかよく分かっていないので、人間が食べる用より少し薄味にしてみたのだが。
「う、美味い……!」
『この味付けはなんだ? ちょっとピリッとするが、ミソっぽい味もするぞ?』
「街で仕入れた香辛料とミソを混ぜたタレだよ。辛みは控えめにしてみたけど、大丈夫そう?」
『うむ。旨いぞ!』
「これは回鍋肉に近い……? とにかく美味いっすね!」
アカツキの異変は美味さ故だったらしい。非常に紛らわしい。アルも食べてみて満足のいく出来に頷く。一から自分で考えて調味料を合わせたが、天才的な仕事をしてしまったかしれない。
「アルさん、マジで店出せますよ! 日本の店でアルさんの料理出てきたら、たぶん毎日のように通っちゃいます!」
『アルは料理人になるつもりなのか……?』
アカツキの興奮気味な言葉を聞いたブランがピタリと動きを止め、アルを窺うように見てくる。一体何を心配しているのやら。
「料理人になるつもりはないですよ。僕は食事が好きなので、美味しいものを食べたくて料理を研究しますが、不特定多数に提供する考えはありませんからね。ブランやアカツキさんが美味しく食べてくれるならそれで十分です」
『そうか! うむ、これからも精進すると良い』
「アルさんが店を始めちゃったら、俺が食べれなくなっちゃうかもですもんね。いつまでも、今のままでいてください!」
ブランの偉そうな言葉とアカツキの切実さに満ちた言葉に苦笑する。両極端な態度だが、言っている内容は似たようなものだ。
「はいはい、美味しいものを作れるように頑張ります」
『夕飯はショウユを使った肉料理がいいぞ』
「ショウユか……」
「醤油? 何の話です?」
アカツキがブランの言葉を聞き取れないのを最近もどかしく感じるようになってきた。ブランに視線を送っても素知らぬ顔だ。まだ、アカツキと直接言葉を交わすつもりはないらしい。
「夕飯はショウユを使った肉料理にしようと思ったんですが、何を作るか考えものかな、と」
「醤油を使った肉料理……。あ、もうだいぶ温かくなってきちゃいましたが、鍋料理なんてどうですか? すき焼きって言うんですけど」
「すき焼き?」
料理名を呟くと、アカツキがキラキラした表情で語りだした。これまで聞いたことがなかったが、随分と気に入りの料理だったらしい。
アカツキ曰く、すき焼きとはショウユと砂糖で作った甘めのタレで肉や野菜を煮込んだものらしい。それだけでも十分に味が効いて美味しいのだが、溶いた生卵にくぐらせて食べるのが贅沢で幸せの味なのだとか。
「……生卵?」
「あ、やっぱりそこで引っ掛かります? うちのダンジョンで採れたての卵を使えばお腹も壊さないし美味しいですよ!」
「そうですか……」
『我はその生卵付きで食ってみたいぞ!』
ブランの尻尾が激しく振られている。アカツキの説明を聞いてよほど食欲が誘われたのか、口の端から涎が落ちそうになっていた。手巾で拭いてやると、恥ずかしさを毛繕いで誤魔化しだす。
「卵なくても美味しいみたいだし、とりあえず作ってみるかな」
「やったぁ! すっき焼き~。すき焼きって何故かワクワクするんですよねぇ」
「へぇ、何か思い出の味なんですか?」
「……それは思いだせないんですけども」
配慮のないことを聞いてしまった。ちょっと気まずい空気になったので、誤魔化すために調理場で冷やしていたものを取りに行く。
「食後のデザートに作ってみたんですが」
『お、見覚えがあるぞ?』
「こ、これは、杏仁豆腐様! 俺これ好きです~」
一瞬で空気が変わった。デザートは偉大だ。アルは改めて実感して、笑顔で取り分けた。
『おお、屋台で食ったのよりミルク感があるな! 我はこちらの方が好きだぞ!』
「う、美味い……。やっぱりアルさんは天才。回鍋肉でちょっとこってりした口に染み渡るような優しい甘さ。完璧なメニューですね!」
「気に入ってもらえて良かったです」
暫し甘味を楽しみながら歓談し、そろそろ食べ終える頃に言い忘れていたことを思い出した。
「あ、午後からは森を探索する感じで良い? そろそろお肉補充したいし」
『もちろんいいぞ! 旨い肉を狩ってやろう!』
アルの提案に上機嫌になったブランとは対照的に、アカツキは微動だにせず固まった。アカツキにとっては思いもよらない提案だったらしい。だが、折角自分の領域外から出られるようになったのだ。もっと世界を楽しんでもいいと思う。
「お、俺は、戦えるかも分かりませんし」
「そうですね。でも、魔物の退治なら僕もブランもできますし、観光気分でいいと思いますよ?」
「魔物退治は観光じゃないぃー! ダンジョン内では俺がマスターだから、いかに人望がなかろうと、魔物に襲われたことないんですよ!? いきなり生死の現場に居合わせるのは、精神的に無理ぃー!」
ダンジョンでは冒険者が亡くなることもあっただろうに何を言っているのだろうか。アカツキの倫理観がちょっと理解できなかったが、生死の現場を客観的に見るかどうかの違いなのだろうかと考えて、今日の探索に連れていくのは諦めた。別にいないならいないで全く問題ないのだから。むしろ足手まといがなくて楽である。
探索への同行は、アルの純然たる好意からの提案だったのだが、アカツキにとって余計なお世話だったようだ。最近頭の中で作った『アカツキ取り扱い説明書』に追記しておく。
「あ、でも、街中へのお出掛けは大歓迎です!」
キラキラとした目を向けてくるアカツキに、アルは首を傾げた。
「街に行く時も、魔物との戦闘は避けられませんけど?」
「……は!」
アカツキが絶望の表情で固まった。初めてその事に思い至ったらしい。
「せ、世界は、俺に厳しすぎる……。俺が一体何をしたと言うんだ……」
『魔物と対峙するくらいで何を言っているんだ。精神赤ん坊か』
ブランが呆れた表情でアカツキを叩き出す。
「ちょ、いたっ、なんで、俺、叩かれてるの?」
『軟弱な精神を叩き直してるんだ!』
「ウグッ、それ以上は、吐く……!」
「ブラン、掃除が嫌だからそのくらいでね」
『これくらいじゃ矯正できまい』
不満そうながらも手を止めたブランから、アカツキが一目散に逃げだした。
「俺ダンジョンに行ってきます! 夕飯時には帰ってきますね!」
慌てた感じで言い、すぐに転移で消えたアカツキの残像に思わず呟く。
「いつからここがアカツキさんの帰ってくる場所になったんだろう?」
『ここは我とアルの家だぞ! 勝手に帰ってくる場所にするな!』
怒っているブランの声は、果たしてアカツキに届いたのだろうか。
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