第110話 計画は進む
目の前に草原が広がっている。剣や革鎧を身に纏った者たちが木を倒したり土地を耕したりと賑やかに作業をしていた。
「……随分と行動が早いですね」
「それだけ、食糧確保は切羽詰まった問題だったということよ」
隣に立っていたソフィアが計画の進捗状況を確認しながら答えてくれた。メイリンは日傘をソフィアに傾けじっと静止している。ヒツジは現場責任者との細かな調整のために忙しそうに駆け回っていた。
ソフィアたちと魔道具の効果を確認しに魔の森に来てから僅か数日。魔の森内での開墾作業は急ピッチで進んでいるようだ。
「町中を見ていても、それほど危機的状況にあるとは思えなかったのですが」
「国民に不安感を抱かせるのは、最大の失策よ。大公閣下も他の貴族たちも、自身が粗食になろうと国民を飢えさせないよう調整していたの。それでも貯蓄していた食糧は目減りする一方だったから、あなたがこの時期に現れてくれてとても助かったわ」
どうやら帝国からの食糧供給はだいぶ前から危ういものだったようだ。国が国民に不安感を抱かせないように細心の注意を払って町中の賑わいを保たせていたらしい。国民が不安を抱けば、土地を捨て出国する者が増える。人の流出は即時的な影響は僅かであろうが、長期的に考えれば大きなマイナスになる。
「僕がいなくても、あなたが同様のことをしたのでは?」
秘かに思っていたことを問いかけた。ソフィアがしようと思えば、アルが提案したことくらいすぐに思いついただろうし、わざわざ冒険者を身の近くにおいてまでこの計画を進める必要はなかったはずだ。
視線を向けた先のソフィアが手元に下していた視線を上げてアルを見つめた。その真っ直ぐな目にアルが少したじろぐと、口元に小さな笑みを浮かべる。
「やっぱり気づいてしまうのね」
「……どういう意味です?」
ソフィアの言葉の真意が分からず素直に問うと、ソフィアの目が作業を続ける冒険者たちに向けられた。
「確かに私一人でもこの計画は実行できたと思うわ。魔の森での食糧栽培を提案し、そのために基礎研究と成果発表をすれば自ずとこの計画は国家主導で行われたでしょう」
「そうですね」
「でも、それには長い時間がかかったでしょうね。多くの貴族たちは国民思いだけれど、それだけではないから。帝国本土に思想が寄っている者は、この国が独立への一歩となる食糧自給率を高めることを良しとしないし、魔の森に大きな恐怖心を抱く者は、開墾が齎す魔物暴走への影響を看過できない」
元貴族であるアルにとっては理解しやすい話だった。だが、それが何故アルの存在によってクリアできるのか分からない。
首を傾げるアルに、キラキラとした瞳が向けられた。希望と決意に煌めいた目だった。
「あなたの成果は本当に素晴らしいものよ。……まず、本来国政に関わらないリアム様を表に引っ張ってきた。私にはできないことだわ」
「リアム様、ですか……」
『ふんっ、あれは本来人間に深く関わるものではないからな』
足元を見下ろすとブランがそっぽを向いて緩やかに尻尾を振っていた。これまで説明を受けていなかったのだが、やはりブランはリアムが何者か知っているようだ。
「リアム様が食糧となりえるコメに関心を抱いたことで、計画は一足飛びに進んだわ。帝国本土もリアム様には強く出られないから、帝国派の貴族は自ずと計画の妨害はできなくなる。そして、この計画に冒険者である貴方がいることで、ギルドからの協力が得られやすくなり、魔物暴走への事前対策についてギルドに任せることができたわ。冒険者というのは自由主義と言うのかしら。あまり国主導の計画に協力的でない者が多いけれど、冒険者同士の仲間意識は強いのでしょう? 計画を立案した一人が冒険者だと知られると、ギルドの態度が軟化して、交渉がスムーズに進んだわ」
「……なるほど」
上手い具合にアルは利用されていたようだ。不利益は被っていないからいいのだが、多少釈然としない気持ちになる。
「ソフィア様、指定範囲の土地の開墾が終わったようです。範囲を拡大しますか?」
「いいえ。リスク軽減のためにも、畑はこの広さで決まっているの。開墾要員は次の開墾地に移動させてちょうだい。ここには警護要員と耕作人を残すわ」
「かしこまりました」
ソフィアの指示を受けたヒツジが再び現場責任者の元に向かい、冒険者たちの移動を指示する。結界魔道具の出力や魔物の影響を考えて、畑は離れた場所に複数用意するのだ。
「貴方の果たした役割は、貴方が思っているよりも大きなものよ。貴族や国のいざこざには巻き込まれたくないでしょう? これで納得してくれたら嬉しいわ」
「……僕は自分が負える以上の物に関わるつもりはないので、深く追求しませんよ。どうやら土地の権利が得られることは決まったようなので、それで十分です」
「もちろん、報酬は十分に用意しているわ」
ソフィアの作り物めいた笑みから目を逸らして、コメや麦を植えていく人々を見守る。説明された以上に面倒くさい事情もあるようだが、アルは一切関わりたくない。ブランと二人、自由にのんびりと過ごすことが最優先なのだ。
それにしても、魔道具愛に満ちた同類だと思っていたソフィアだが、アルの予想以上に為政者としての意識が強いようだ。公女なのだから当然だろうか。研究に身を投じているように感じられていたが、貴族たちの思想や力関係、冒険者ギルドとの関係など、非常に冷静に見極め、国を第一に考え策を練っているようだ。ソフィアの研究そのものも、国を良くするための手段の一つに過ぎないのかもしれない。魔道具に注ぐ愛情に間違いはないだろうが。
「……貴方は一国の主になれる人ですね」
「ふふ、この国を継ぐのは弟よ。この国では女性の継承は認められていないの。私は変わり者と呼ばれながら、にこにこしているくらいがちょうどいいわ。継承問題がこじれれば、国を疲弊させるもの。確かな実績を否定するほど頭が悪い貴族はそう多くないから、私にとってはそれで十分よ」
「それは……とても惜しいものですね」
誰にとってとは明言しないけれど、国への思いが強く、才能もある人が、女性だというだけで直接国政に関わることができないのは非常に勿体なく思う。
「私は私のやり方で国を守ると決めているから、それで良いのよ」
力強い眼差しで言い切ったソフィアがパチリと手を合わせる。これでこの話は終わりのようだ。
「ここでの作業は終わりそうね。継続的な警護要員はギルドに準備させているから、私は帰るわ」
「分かりました」
食糧栽培計画は既にアルの手を離れて進んでいる。これ以上アルが関わることはないだろう。つまり、ソフィアと会うこともなくなるということだ。公女と冒険者。思いがけない縁により会話を交わすようになったが、その身分の差は大きい。
「報酬については城の方からギルドを通して渡されると思うから、後日確認してちょうだいな」
「はい。短い間ですが、ありがとうございました。ソフィア様との魔道具談義は楽しかったです」
「あら……」
別れの言葉くらいは告げておくべきだろうと真面目に言うと、立ち去りかけていたソフィアが立ち止まり振り返った。小さく首を傾げ、楽しそうに笑みを浮かべている。
「私、これでお別れするつもりはないわよ? どうぞいつでも研究所にいらして、私と魔道具談義をしましょう。貴方の中にはまだまだ私が知らない知識が詰まっていそうだわ」
アルは思わず苦笑してしまった。ソフィアの言葉をどこまで本気に捉えるかと一瞬考えたが、ソフィアがアルとの魔道具談義を楽しんでいたのは事実なのだから、言葉通りに受け入れればいいのだろうと納得した。身分を気にせず、有用な人間を逃さないのも、公女として優秀な能力だろう。ただアルは自分の知識も能力も搾取されるつもりはない。
「有難いお言葉です。……一つ、ずっと疑問に思っていたことをお聞きしてもいいですか?」
「なにかしら?」
アルの問いが今後の関係を継続させる条件だと判断したソフィアが、スッと姿勢を正して穏やかな笑みを浮かべた。
「リアム様とは一体何者なのですか? 大公閣下もソフィア様もリアム様をとても重視しておられる。そればかりか、先ほどの話の通りならば、帝国本土でさえリアム様の意思を無視できないようですね」
『おい、アル、余計なことに関わるな!』
ブランが慌てて静止してくるが、一度放たれた言葉はもうなかったことにはできない。アル自身なかったことにするつもりもない。アルは面倒事が嫌いだが、知的欲求も強いのだ。ブランは一切教えてくれるつもりがないようなのでこれまで問い詰めたことがなかったが、ソフィアはどう答えるだろうか。
「……好奇心が齎すものが何なのか、貴方はよく知っていると思っていたけれど」
「ええ、言葉の責任は放棄しませんよ」
揺らがない眼差しがアルの目を刺した。しかし、ゆっくり瞬きをすると柔らかな眼差しに変わる。
「貴方は何故だかリアム様にとても気に入られているようだから、私はこう答えるしかないわね。――直接問うといいわ。リアム様に答える気があるのなら、貴方は真実を得るでしょう」
「ソフィア様は教えてくれないということですか」
「私にはその権限が与えられていないもの」
「分かりました。直接問う許可を得られただけでも嬉しいですよ」
「ふふ、果たして私の許可が貴方に必要だったのかしらね」
首を傾げたソフィアが背を向ける。これで終わりのようだ。文句を言い募るブランを抱き上げて宥める。
「――貴方とはこれからも付き合いが続きそうで嬉しいわ」
「え?」
風に乗って届いた言葉に顔を上げた時には、ソフィアはもう離れたところにいた。言葉の真意を問うには遠すぎる。
『……全く、普段は面倒事を避ける癖に、何故自分から厄介なことに関わろうとするんだ。国が公表していない事実を知れば、国に関わり続けることになるぞ』
「……でも、知りたいんだ。何故だか分からないけど」
『ふん。それは、我が――』
何かを言いかけたブランが言葉を止めた。気になって見下ろすと、プイっとそっぽを向いて『何でもない』と言う。
「そういう、ブランのちょっと秘密主義な所が僕の好奇心をくすぐる原因でもあるよね」
『むぅ、我は秘密主義ではないぞ! 生きとし生ける者、語らぬことがあるのは当然ではないか。あまりそれを探るのは褒められた行為ではないぞ!』
「はいはい、ごめんね」
『謝罪が軽い!』
喚くブランを受け流しながら、アルは視線を魔の森の奥へと向けた。一際目立つ魔力がそこにある。
「……彼も、問われるのを待っていると思うんだ。それを無視することは、僕にはできないや」
『ふん。魔力まで鬱陶しい奴だ』
アルと同じ方に視線を向けたブランが忌々し気にぼやく。アルは苦笑してその頭を撫でた。
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