第107話 突然の訪問者

 一度ダンジョンに帰ってみると言うアカツキを送り出して暫く経つ。アルはブランと食後のクッキーとお茶を楽しみつつ、アカツキが戻ってくるのを待っていた。


「やっりましたー! 戻りましたー!」

「わっ⁉」

『おお?』


 パッと光が散る中に突然アカツキが現れた。どうやら領域支配装置の効果範囲内ならば、アカツキはどこにでも現れられるようだ。

 意気揚々とした口調のアカツキをまじまじと見つめる。ブランも首を傾げて不思議そうにしていた。


「えぇっと……、戻って、います?」

『我の目がおかしくなければ、獣のままのようだが』

「……え⁉」


 アルたちから少し離れた床の上に黒い獣が仁王立ちしていた。どこからどう見ても人間の姿には見えない。まさか、これがアカツキの本来の姿だとでも言うのだろうか。

 嬉々としていたアカツキも冷静に自分の姿を見直し、固まってしまった。ギギッと音がしそうなほどぎこちなく動き、自分の姿を一つ一つ確認した後、アルに視線を向けてくる。アルが思わず身を引いてしまうほど切実な眼差しだった。


「な、んじゃこりゃー‼」

「戻っていませんよねぇ」

「なんで! どうして⁉ 向こうではちゃんと人間の姿に戻っていたのに‼ アルさん、どうにかしてください!」

「う~ん?」


 どうにかしてと言われても、アルにだってこの現象は理解できていない。元々、ダンジョンの能力はアルの常識を超えているものなのだ。この現象がダンジョン独自のものならば、アルにはその解決法は分からない。


『ふ~む。向こうでは元に戻っていたと言うならば、領域支配装置の範囲内でアカツキの姿はそれに固定されてしまったということじゃないか?』

「そんなことってある?」

『我も仕組みはよく分からんが、領域支配装置はアカツキだけがマスターとなって使える物だろう? 最初にこっちに転移してきた時点で、その姿がマスターとして登録されてしまったなら、あり得るだろう』

「そう言われてみれば、そうかも」

「どういうことです⁉」


 パニックを起こして部屋中を走り回っていたアカツキが、ぴたりとアルたちの前で立ち止まり、膝に縋り付いてきた。


「ここで過ごす間は、その姿でしかいられないかもってことです」

「えー⁉ なんで、どうして……」

「僕には解決法の見当がつかないので、姿を戻したいならご自分で頑張ってください。僕が何かできるものだとは思えません」

「そんなぁ……。俺、ダンジョンの能力で物を創ることはできても、その解析とかできないって、アルさん知っているじゃないですかぁ」


 小動物の姿でシュンと落ち込まれると、いかにも哀れげに見える。とりあえず頭を撫でてやった。艶やかでふわっとした毛並みは撫で心地が良い。


『……我の毛並みの方が良いぞ?』


 何故か対抗心を燃やしたブランがアルの懐に飛び込んできた。アルの表情で思いを察したらしい。毛並みに自信を持っているブランにとって、負けられない部分だったようだ。

 競うようなことじゃないだろうと思いつつ、ブランの背中を撫でる。ふわふわとした毛並みは慣れた感触で落ち着く。わしゃわしゃと撫でて毛並みを乱したくもなるのだが、そんなことをしたらブランに絶対に怒られる。


「なんか和んでません? 俺、切実に悩んでいるんですけど」

「その姿でいることの不都合がありますか? 人の姿に戻りたければ、ダンジョンに帰ればいいだけで、おしゃべりとかに姿は関係ありませんよね?」

「……はっ、確かに! 別に姿にこだわる必要はない……?」


 適当に言ったら何故だか納得されてしまった。器用に腕を組んで頷くアカツキは、随分とその姿に慣れてきたようだ。この分だと早いうちに食事等にも不具合がなくなりそうだ。

 アルは自分が獣の姿になったら必死に元の姿に戻る術を探すだろうなと思ったが、アカツキがこのままの状態に納得できるなら、アルは何をするつもりもない。正直、アカツキが人間の姿だろうと獣の姿だろうとアルにとってはどうでもよいことなのだ。


「明日は魔の森探索をする予定なんです。今日は早めに寝ますね」

『うむ。そろそろ寝るか』

「え、俺の寝床は?」


 アカツキの潤んだ眼差しを受けてため息をついた。ダンジョンに戻って眠ればいいのに、寂しいらしい。この様子だと、もしかしたらほぼこちらに居つくつもりなのかもしれない。




 燦燦と日差しが降り注ぐ眩しさでアルは目を覚ました。ベッドに起き上がって辺りを見渡すと、ブランは日差しを避けるようにブランケットに潜り込んでいた。アカツキはどこだと探すと、寝床から離れてベッドの影に転がり、大の字になって寝ていた。


「……カーテンつけ忘れた」


 初歩的なミスに朝からぐったりとしつつ、窓を開ける。朝の澄んだ空気が入ってきた。


「さて、今日は」

「やあ、起きたか?」

「うわっ」


 窓際から跳び退く。今この場にいるべきじゃない人の声が聞こえた。


「なかなか良い結界だな。魔物避けもあるのか? うむ、素晴らしい技術だ」

「……なんでここにいるんですか、リアム様」


 窓からひょっこりと顔をのぞかせたのはリアムだった。あまりにも当然のようにいるが、アルの魔道具によりこの場所を感知するのも侵入するのも難しいはずだ。


「ふっふっふっ、余にかかればこれしき簡単なことよ」

「少しも説明する気ありませんね?」

『……なんで見た目詐欺爺がこんなところにいるのだ』

「何とも無礼なことを言うものだ、獣が」

「なんでいきなりけんか腰なの?」


 アルの声で起きてきたブランがリアムをじっと睨んでいる。相変わらずあまり気が合わないようで、交わす言葉が刺々しかった。


「ソフィアにコメ栽培について聞いたら、そなたと連絡が取れぬと嘆いておったのでな、探しに来たのだ」

「あ、忘れてた。……それは失礼いたしました。すぐソフィア様にご連絡を」

「うむ。頼んだぞ。魔道具ができたとか、これで魔の森内で栽培ができるのだとか言っておったぞ」

「そうなんですね、分かりました」


 まさかリアムは伝言のためにここまで来たのだろうか。探るように見つめると、その視線に気づいたリアムがほのかな笑みを浮かべた。感情が窺えない表情だ。


「それはそうと、奇妙なものを作ったものだな」

「奇妙?」


 リアムが何を言いたいのか分からず首を傾げる。ブランが僅かに警戒するように体勢を低くした。


「急に現れたこの建物、素晴らしき効果の魔道具、そして――」


 一つ一つ確認するように指していたリアムの人差し指が、アルの背後に向けられた。


「奇妙な生き物、不思議な空間の匂いがする」


 リアムは何の感情も浮かばない真顔だった。友好的な笑みも敵意もなく、まさに無の表情。それが向けられた先にいたアカツキが飛び上がって物陰に隠れた。

 アルはこれまで感じたことのない圧力にも似た何かに思わず身構える。


「……あれは、僕の友人です」

「そうか。それならばいい。……と言いたいのだがな」


 握りしめた拳が湿った。どうやら緊張しているらしいと頭の隅で冷静に分析している。


「余はこの森を含めて、この国の守護するのが務めなのだ。侵略者は排除しなければならん」

「……」

 

 手を下ろしたリアムが小さく首を傾げた。視線はアルの背後に向いている。


「そなたは侵略者か? 人の後ろに隠れて、身代わりにしてのうのうと逃れるつもりか?」

「ち、違います! そんなつもりは全くありません!」


 アルが口を開くより先に、アカツキが飛び出してきた。窓枠に跳び乗り、緊張で強張らせた体でアルを背後に庇う。

 アカツキの思わぬ行動にアルは目を瞬かせた。


「であれば、この場所の有様はどういうことなのだ。これはそなたの仕業だろう」


 獣が喋るということに一切動揺を見せなかったリアムが冷静に問う。重みがある口調だった。


「そ、それは、俺の領域にしないと、俺はこちらに来られないから……」

「ふむ」


 途切れがちに弁解するアカツキをリアムがじっと見つめた。何かを見定めるような眼差しだった。

 緊迫した時間が続く。アルは口を挟むべきか迷いつつ事態を見守った。


「侵略するつもりなんてないんです! この場所だけ、アルさんの住処だけ、俺が来られるようにしただけで」

「……よかろう」


 言い募るアカツキを遮るようにリアムが頷いた。その瞬間、ふっと空気が軽くなる。アカツキが拍子抜けしてぺたりと座り込んだ。アルも突然の雰囲気の変化に目を瞬いてぽかんと口を開けた。

 そんな二人の横でいつの間にか警戒の体勢を解いていたブランが大きく欠伸をする。


『傍迷惑な奴め。朝から脅すなど、少しはか弱い人間を労われ』

「傲岸不遜な獣よ。余は脅すつもりなんぞ欠片も無かったぞ。ただ確認しただけだ」

『それならばそれなりの雰囲気をつくれ』

「それなりの雰囲気にしたつもりなんだがなぁ」


 攻撃的な口調だが、仲良さげな言い合いに思えるのは、先ほどまでの威圧感のせいだろうか。一度深呼吸して気を取り直したアルは、脱力したアカツキを抱えて踵を返す。


「どうやら挨拶は終わったようなので、どうぞお上がりください。朝食を用意しますよ」

「おお、余はコメを所望する!」


 パァッと輝いた笑みがリアムの表情に浮かんだ。機嫌が悪くないようで何よりである。

 アルの肩口に顔を寄せていたアカツキが脱力した雰囲気でボソボソと呟いた。リアムの空気の変わりように適応できなかったようだ。


「なんなの、このおっかない人。意味わからん、殺されるかと思った。雰囲気変わりすぎかよ」


 アルは苦笑しつつアカツキの頭を撫でた。アルもリアムの雰囲気の変わりようには驚いていた。だが、その威圧感に溢れる空気の方が何故かリアムの本来のものだとも感じられて、しっくりきていたのも事実だ。

 果たして、リアムは何者なのか。暫く頭の隅に追いやっていた疑問が、再び脳裏に浮かんだ。


「……ワクワクするって言ったら、不謹慎かな」


 のんびり生活を好んではいるが、時には刺激があるとより楽しいものだ。



ーーーーーーーー

年内最後の更新です。


この場を借りて皆様にご挨拶を……


この作品をお読みくださり誠にありがとうございます。

皆様と物語の世界を共有できる経験は本当に嬉しくて楽しいものでした。

まだまだ物語は続いていきます。

来年ものんびりお付き合いいただけますと嬉しい限りです。

どうぞよろしくお願いいたします。


寒さが続く日々です。皆様ご自愛くださいませ。

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