第96話 不審な視線
「それにしても、急に来たな。連絡は届いてなかったよな?」
「はい。丁度こっちに用ができたので」
「ふ~ん。まぁいいが……」
ぽつりと呟いたレイが串焼きの肉に嚙みつきながら宙に視線をやっていた。つられてアルも視線の先を追うが、そこには冬から春に変わりつつある青空しかない。
視線をレイに戻すと、串焼きからショウユタレが地面に垂れそうになっていた。その下の地面で口を開けて待ち構えているブランはさすがにあまりに食い意地汚い。肉なしのタレだけでもそんなに味わいたいのだろうか。アルは一応ブランの主ということになっているので、そんな従魔を持っていると思われるのは恥ずかしい。そう思って、レイにブランの様子を気づかれる前に回収しようとしたが一歩遅かった。
アルに視線を戻したレイが自然と地面にいるブランも視界に入れた。レイの視線を受けたブランが口を閉じる。レイとブランが無言で見つめあった。
「……そんなに腹減っているのか?」
『……うむ。だから、その肉寄越せ』
「ブラン? 何を言っているのかな?」
まじまじとブランを見つめているレイの前からブランを搔っ攫って腕の中に確保した。苦笑するレイに笑みを向ける。この狐の食い意地が張りすぎていて大食らいなだけで、ご飯は日頃から十分あげているから、『まさか食いもんケチってんのか……?』という視線は止めてほしい。というか、さっきまでブランが大量の串焼きを食べているところを見ていただろうに、なぜそういう疑いを持つのか。
「……まあ、俺はもう十分食ったしな。これで最後だぞ?」
『やはりお前は良い奴だ!』
「すみません……、この狐にそう気を使わなくていいので……」
生温かい眼差しと共に差し出された串焼きに嬉々として食いつくブランを見て、アルは恥ずかしさの極致に至る。ブランの食い意地の被害に巻き込んでしまうのが申し訳なさすぎた。さりげなくブランを抱きしめる腕に力を込めたら、グウェッと呻いたので多少留飲を下げることができた。
「アルは今日時間があるのか?」
「ええ、もう用は済んだので、レイさんに会えるかと思ってここまで来たんです。ブランが串焼きを食べたがっていたのもあるんですけど」
「そうか、なら、ちょっと秘密会談しようぜ!」
「こんな人通りの多いところで誘われる秘密会談とは……?」
すぐ近くにいる屋台主が苦笑していた。そこで串焼きを買っていた冒険者も苦笑している。普通子どもでもこんな分かりやすく怪しげな誘いなんてしない。あからさまに冗談だと分かる言葉だった。
レイがニヤリと笑って言葉を続ける。
「秘密会談という名のただの近況報告会。つまりはただの茶飲み会?」
「……最初からそう誘えばいいじゃないですか」
冗談めかしたレイの言葉にアルがため息をつきつつ言うと軽く笑い飛ばされた。そのまま歩き出すレイの後についていく。肉をもぐもぐしながら首を傾げているブランがヒョイッと肩に移動した。
『変な雰囲気だな』
「……静かに」
『ふん、どうせ我の言葉はアル以外に届かぬ。何やら奇妙な視線もあるな。あっちか。……ふむ、冒険者染みた装いだが、あれは教育を受けた人間の動きだな。周囲に溶け込みきれておらん。三流か』
「ブラン、どこでそんな観察眼を培ったの?」
『伊達に長生きしておらんのだ!』
ふふんと誇らしげに胸を張るブランと小声で意見を交わす。アルが多少口を動かしたところで従魔に何か言っているのだとしか思われないだろう。ブラン曰く声が届く範囲には怪しい気配はないようなので問題ない。
ブランと同様にアルもレイの態度に違和感を覚えて周囲を警戒していた。だから怪しい気配があることに気づいたので、レイの冗談めかした言葉に自然に見えるようにのったのだ。
「前みたいに食堂で甘いものでも頼むな。話をするのは俺の部屋でいいだろ?」
「はい。ブランもここで食べたケーキを気に入っていたので、ありがたいです」
レイの常宿に着いたところで言われて笑顔で頷く。言った言葉は嘘じゃない。ブランも尻尾を振って嬉しそうにしている。それを見ていた宿の女性従業員が微笑ましげに頷いた。
「今日のおすすめはアプルパイですよ」
「じゃあ、それ三つ、俺の部屋に頼むわ。あと紅茶も」
「はい、かしこまりました」
「紅茶?」
付け足されたレイの言葉に首を傾げる。紅茶はなかなか高価なものなので庶民が口にする機会は少ないはずだ。この宿は町の中では上級なのかもしれないが、紅茶を気軽に提供できるほどの場所だとは思っていなかった。
不思議そうにするアルをつれて自分の部屋へと促すレイがニヤリと笑う。
「おう、その報告はまだしてなかったな」
「報告、ですか」
レイに続いて部屋に入ったアルが再び疑問を口にすると、椅子にどさりと腰を下ろしたレイが首筋を揉みながらアルにも座るよう促してきた。アルが素直に椅子に座り、ブランが机にちょこんと座ったところで、レイが姿勢を正す。
「魔の森での作物栽培だよ。試験的に茶の木の栽培もしていてな。収穫した葉を紅茶に加工する技術はまだそこまで高くねぇからほどほどの味だけど、こういう宿でも提供できるくらいにはなってきたんだ」
「魔の森での栽培、上手くいっているんですね」
「そうだな。色々問題点は多いがな」
「魔物とかどうしているんです?」
「ひたすら冒険者が倒している」
「え?」
「夜は諦める。魔の森の魔物は基本的に植物に興味を示さねぇからな。全滅はしない」
予想外なほど単純な魔物対策だった。最初から安定的な収穫は考えていないのだろう。庶民の食卓に直結するような作物ではなく、茶の木を育てているということからも、魔の森での作物栽培に慎重な姿勢が窺える。
「本格的に魔の森での栽培を始めようと思ったらもっと対策が必要だがな。そこでアルに相談だ」
「なんとなく分かりますけど……なんでしょう?」
「魔物対策に有効な魔道具を開発していたりなんかしないか?」
「やっぱり」
アルは予想通りの言葉に軽く頷いた。暫く考えるが、アルが開発した魔道具はドラグーン公国の未発表の理論を用いたものだ。ここでその魔道具をレイに提供するわけにはいかないだろう。
「うーん、まだ、渡せるものはないですね」
「まだ、ね……。分かった。良さそうなもんができたら教えてくれ」
「はい」
アルの言外の事情をすぐに察して引いてくれるレイは相変わらず良い人だ。アルがそう思って微笑んだところで、扉がノックされた。どうやら頼んでいたものが届いたようだ。
「お、旨そうだな」
「焼きたてですね」
『おお! 良い匂いだ!』
机で大人しくしていたブランのテンションが一気に上がった。盛大に振られる尻尾を見て、レイが相好を崩す。
「相変わらず甘いもんが好きなんだな、狐君」
『うむ! ここの宿の食いもんに外れはないしな!』
「あ、ありがとうございます」
アルたちの目の前にアプルパイと紅茶が置かれる。甘酸っぱい香りが食欲を誘った。アルが礼を述べている間に、ブランは既にアプルパイに食いついていた。さすが食い意地が張っている。素早い。
『旨い! アプルは甘酸っぱくて旨いし、中にトロッとしたものが入っているぞ』
「いただきます。……うん、美味しいね。これは卵を使ったクリームかな?」
「おう。たぶん魔物の卵だな。魔の森の魔物は魔力で生まれるくせに、なぜか卵があるんだよなぁ」
「何故でしょうね?」
レイと魔の森の不思議について話しながら甘味を味わう。早々と食べ終わってしまったブランからパイを守るのは至難の業だったが、なんとかやり遂げた。拗ねるブランを転がして適当に撫でながら紅茶を口にする。グリンデル国でたまに飲んでいたものほどの深みも香りもないが、常飲するには十分な出来だ。この質のものがカントで手に入るなら定期的に戻ってきて購入してもいいかもしれない。だが、できれば茶の木を譲ってほしい。新たに築く拠点で育てるのに挑戦してみたい。
「それで、何があったのですか?」
「やっぱり気づいていたか」
周囲に自分たち以外の気配がなくなったところで問いかけると、レイが笑って肩をすくめた。アルが察していることにレイも気づいていたようだ。
「どうもグリンデル国の奴ら、最近この町に常駐しているみたいなんだよな」
「……ああ、追手の話ですか」
一体何の話が出てくるのかと秘かに緊張していたのだが、アルにとってはあまり気にしていないことだったので少し脱力した。それを見たレイが不満そうに唇を歪める。
「なんだ、全然気にしてないな。俺はわりと冷や冷やしていたんだぞ?」
「それはご迷惑をお掛けしました?」
『あれか、町中の不審な視線。国が寄越したにしては程度が低いな』
「俺がアルと多少付き合いがあったっていうのをあいつらも把握していたみたいでな。最近視線が鬱陶しいんだよ」
「本当にご迷惑をお掛けしています。すみません」
軽く流していいことではなかった。アルにとってはどうでもいいことだが、レイの方に実害が生じていたとは。姿勢を正して頭を下げると、レイが慌てた様子で言葉を続けた。
「いや、俺は多少探られたところで、グリンデル国の興味を引くようなことしてないから問題ないんだがな。たぶん、俺のもとにアルが来たことで、グリンデル国の上の方に報告がいって、お前がこの町で過ごしにくくなるんじゃねぇかと思ってな」
ノース国で諜報染みたことをしているのは十分興味を引かれることではないかと疑問に思うが、監視をしているのが練度の低い者たちだ。レイにとってはその目を誤魔化すことくらい問題ないことなのだろう。
「あまりここに来ない方がいいですかね?」
「まあ、頻繁に来なきゃ問題ねぇとは思うがな」
「そうですか……」
レイと話すのは楽しいので、あまり会えなくなるというのは少し寂しい。転移箱でやりとりをするにしても、やはりたまには顔を合わせたいものだ。その機会が追手などという者のせいで妨げられるのも腹立たしい。
「ひとつ提案なんですが」
「ん? 何だ?」
首を傾げるレイに、アルはあらかじめ考えていたことを伝えた。
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