第95話 帰還と再会

「――変化なし、だね」

『うむ。見た限りではそうだな』


 木を抜いたところに変化はなかった。流石に一夜にして木が育つということはなかったようだ。だが、掘り起こしたはずの地面には青々と草が繁茂しているので、魔の森の成長速度は凄まじい。アカツキ曰く、森や草原などのフィールドでは設定しなくても自然と雑草が生えてくるものらしい。木々はある程度設定しなければいけないようなので、ここに再び木が生えてくるかどうかは魔の森の管理者次第ということだろう。


「ここはもう暫く観察するとして、今日はノース国に向かおうか」

『うむ。久しぶりにあそこの串焼きを食いたいぞ! レイのところの甘味でも良いな!』

「ブランは食べることばかり言うねぇ」


 アルは呆れつつため息をついた。

 ブランが言っている串焼きとは、ノース国カントの町で最初に食べた森蛇のショウユダレ串焼きのことだろう。レイのところの甘味は、恐らくレイの常宿の食堂のデザートのこと。ブランは大層気に入っていたようだから仕方ないかもしれないが、アルはノース国に遊びに行くわけではないのをブランは忘れているのだろうか。


『レイに会うんだろう? ならば飯を楽しむ時間くらいあるだろう。急いでここに帰って来なければならない事情があるわけでもあるまいし』

「う~ん、でも、この国のギルドに時々顔を出さないと、ソフィア様たちからの連絡も受けられないしなぁ」

『……ふん。さようなことに縛られる必要はあるまい。あれらが好きに生きているように、アルがあれらに行動を縛られる理由はない』

「そう言われればそうなんだけど」

しがらみを捨ててここまで来たのだ。我は人間のことはあまり知らぬが、アルのことは知っている。お前がしたいことは、国のことに関わることではあるまい』

「……そうだね」


 ブランに言われてアルは目を瞬いた。リアムに関わってから、何故か国の中枢にいる者たちに接することが多くなった。そして当然のように彼らに配慮して行動していたが、アルは大した身分を持たないただの冒険者だ。現状、国から請け負っている依頼については様子見の段階なのだから、過剰に行動範囲を狭める必要もないだろう。行動を制約されるような契約は交わしていないことだし。


「自由に生きるつもりで国を出たのに、無意識のうちに周りに配慮しすぎていたかも……?」

『ふん。人嫌いの傾向がなくなるのはいいが、それで自分がしたいことを我慢するようになるのでは意味がない。人の思いに流されるな。状況に流されるな』

「……ブラン、凄く偉そう」

『アルが気づいていないようだから言ったまでだ。我は国の役人となったアルの傍にいるつもりはないぞ?』

「いや、さすがに、国に仕えるつもりは全くないけど……」

『分かっているならばよい』

「やっぱり偉そう……」


 フン、と胸を張って尻尾を振るブランの顔はどう見てもアルを馬鹿にしているようだった。ソフィアたちとの交流を見て、アルが状況に流されて国に取り込まれるのではと危惧していたのかもしれない。アルには全くそのつもりはなかったが、客観的に見たらありえることだった。


『……アルがそうなったら、我が寂しいではないか』

「うん? 何か言った?」

『何も言っておらん』


 アルがこれまでを思い返して少し反省していたら、ブランが何か呟いたのを聞き逃してしまった。聞き返してみたがプイと顔を背けられる。何やら拗ねているようだが、その理由が全く分からない。アルは首を傾げながらもノース国へ行く準備を始めた。




 転移の魔法は本当に便利だ。瞬く間に目的地に辿り着く。

 ドラグーン公国に接する魔の森に転移の印を置いた後、アルたちはノース国の拠点へと転移してきた。視界にあるのは見慣れた殺風景な部屋。ベッドと机だけが置かれた部屋だが、何故かとても落ち着く。中央に置かれた魔道具を見ると、魔石はほとんど残っておらず、なかなかギリギリな状態での帰還になってしまったようだ。


「なんでこんなにホッとするんだろう……」

『ここが、アルが一から築いた居場所だからだろう?』


 自分の気持ちに疑問を持つアルに、ブランが当然のことのように言う。その言葉にアルは瞬きを繰り返して再び部屋を見渡した。グリンデル国の屋敷にあった部屋とは雲泥の差がある簡素な部屋だ。だが、ここには思い出がある。アルが自分とブランのためだけに築いた最初の居場所だ。旅生活を一度休んで、落ち着く場所にしようと作り上げた。


「……そうだね。落ち着くのは当然か」

『なんだ。おかしな奴だな』


 思わず微笑んでブランを撫でると、変なものを見る目で距離をとられた。そんなにおかしなことをしたつもりはないのだが。


「あっちに作る拠点も、これくらい落ち着くものにしようね」

『うむ。我はふかふかの寝床を求む』

「ベッドの質は大切だよねぇ。炊事場とかもどんな感じにしようかなぁ」


 新たな拠点についてブランと意見を交わしながら、サクサクと設置している魔道具を取り換えていく。と言っても、新たに魔道具を設置して、元々あったものを仕舞うだけだ。


「これでよし、と」

『では出かけよう!』


 アルが作業を終えた途端に、盛大に尻尾を振ったブランがヒョイと肩に跳び乗ってきた。自分で歩くつもりは全くないらしい。その頭を撫でながら外へと歩く。


『だが、この小屋は細かな気候に対応させておらんがよいのか?』

「え?」

『結界、切っておるのだろう? 雨や雪が降ったら、部屋が水浸しになるのではないか?』


 ブランの指摘を受けて、アルはピシリと固まった。自分が作った魔道具に関することなのに、完全に頭から消えていた。新たな拠点を作るときはそれを考慮して建物を作ろうと思っていたが、この小屋は結界頼りで作ったものだ。どの程度の雨風に耐えられるかを全く考えていない。そう思ったところで、ふいに冷たい空気が頬を撫でた気がした。


「……出かける前に、小屋の改造だね! 屋根と壁の補強をしないと」

『すっかり忘れておっただろう、お前』


 ブランの呆れた眼差しには気づかない振りをする。よくよく見れば、壁には少し隙間がある。そこから外の冷たい空気が入ってきているのだろう。


「ノース国はあっちよりまだ寒いんだねぇ」

『……そうだな。雪も降るかもしれぬ。さっさと作業をしろ。我は今日の昼飯は串焼きと決めておるのだ!』

「ブランも手伝って~」

『……仕方あるまい。串焼きのためだ』


 いい笑顔で頼むと、ブランは渋々と頷いて、アルが渡した板切れをくわえて外に駆けて行った。途中戸口に阻まれてグウェッとなっていたので、外に出てから渡した方が良かったかもしれない。まさか板の長さを忘れて真っ直ぐに戸口に向かうとは思わなかったのだ。どう見ても板切れは戸の幅より長いのに。

 ちょっとお馬鹿なブランを見てアルはクスリと笑い、板の端をくわえなおしたブランが外に出ていくのに続いた。ブランの希望通りに昼ご飯を町で食べようと考えたら、作業を急がなければならない。




『昼飯は~、串焼きだ~。甘~いショウユダレ~は絶品だ~』

「ご機嫌だね、ブラン」


 とりあえず屋根と壁を板で補強し終えたアルたちは、慣れたように魔の森を歩いて町に入った。門番は白い狐を連れた冒険者のことを覚えていたようで、特に誰何すいかされることもなかった。普段は従魔用の首輪で機嫌を悪くするブランだが、串焼きに心を躍らせているからかあまり気にした様子がなく、アルは少し安堵する。自由に生きるブランに首輪をするのは、アルもあまり気が進まないのだ。


「あのおじさんの屋台は――」

『あっちだぞ!』


 アルが周りを見渡し探す必要はなく、匂いを嗅ぎとったらしいブランが尻尾を振りつつ指し示してくれた。その方へと歩いて行くと、見慣れた姿が視界に入る。


「レイさん! お久しぶりです」

「お? アルじゃないか!」

『そういえば、こ奴の匂いもしていたな。だが、それより飯だ! 串焼きだ!』


 懐かしく感じる姿を目にして笑みを浮かべるアルの様子も、予想外の再会に目を見開くレイの様子も全く気に留めないブランは、良い匂いをさせて焼かれている串焼きに目が釘付けだった。レイと話すことを優先させたいアルだったが、肩を涎まみれにされるのは許容できない。今にも落ちそうになっている涎を拭ってやりながら、レイに苦笑して見せた。


「色々話したいこともあるんですけど、まずは昼ご飯を優先しますね」

「おう。狐君の食い意地は相変わらずだなぁ」


 相変わらず気のいいレイが串焼きをアルたちの分まで大量に注文してくれた。屋台主もアルのことを覚えてくれていたようで、久しぶりだなとおまけをつけてくれる。


「これは俺の奢りだ! 断らんだろう?」

「はは、ありがとうございます」


 出会ったときはあまり人と関わるつもりがなかったため遠慮したのだが、このくらいの奢りを受け取るくらいには良い関係性を築いていると思う。ニヤリと笑ったレイに笑顔で礼を言って受け取った。


『相変わらず良い奴だな、レイ!』

「ブランは少し遠慮とか配慮を考えなさい」


 この狐、やはり食い意地が張りすぎだ。もっと久々の再会を楽しませてほしかったのに。アルはため息をついて、身を乗り出して落ちかけているブランに串焼きを差し出した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る