第97話 甘いものにはご用心

 木漏れ日が差す森の中。アルがレイを連れてきたのは魔の森に築いた拠点だった。


「……おお、マジで家がある。家っつうか小屋? でも生活環境は整っているな。俺としては、何もなかったところに急にこの光景が広がって、意味が分からないんだが。なんなんだよ、これ。結界じゃねぇよな?」

「色んな魔法を使っています」

「その色々を聞いているんだけどな⁉」

「ちょ、うわっ」


 レイが肩を掴んで揺さぶってくる。相当動揺しているようだ。頭がガクガク揺れてちょっと辛い。以前に魔の森で過ごしていることは話していたのでこれほど驚くとは思わなかった。事前に説明しなかったのは少し申し訳なかったかもしれない。

 アルの頭に上っていたブランの尻尾がレイの頭に叩きつけられたところで、漸くレイは揺さぶるのを止めてくれた。


『この程度で動揺しすぎだ』

「いってぇ、狐君容赦ねぇな……」

「えっと、うちの狐がすみません……?」

「いや、動揺しすぎた俺が悪かった。それで、なんで俺をここに連れてきてくれたんだ?」

「町中で人目が気になるなら、魔の森の中の方が安全でしょう?」

「安全……? 安全ってなんだっけ……? 確かに魔の森の中まで追っかけてくる奴はほとんどいないし、俺さえ騙されるくらい完璧に隠蔽されている場所だけど、ここ、魔の森だよな……? 魔物が蔓延る森の中だよな? やべぇ、俺ちょっと安全の概念を勉強しなおしてこねぇと……」


 漸く本題に戻れたのでニコリと笑って説明すると、何故かレイが遠い目をして何事かを呟いた。よく聞き取れなかったのだが、魔物について危惧しているようだったので、説明を追加することにする。


「十分に魔物対策をしているので、この範囲にいる限りは魔物を警戒する必要はありませんよ。あ、レイさんがここを視認できるように設定しておきますね」


 結界を張られる範囲を地面に棒で描いておく。アルやブランは感覚的に理解しているが、レイには分かりやすくしておいた方がいいだろう。ついでに迷いの魔道具にレイの魔力を記録して効果の対象外に設定しておく。


「……よく分かんねぇけど、俺はアルの言葉を信頼する。ここは警戒を解いていい場所なんだな」


 ため息をついたレイの雰囲気がふっと和らいだ。これまでずっと魔物の気配探知を続けて神経を張り詰めさせていたらしい。アルが用意した椅子にドカッと腰掛け肩をほぐしていた。


「ここなら、人目を気にせず会えますよ。レイさんが魔の森に行くのは冒険者として当然のことで、何ら怪しむ要素はないでしょうし」

「……そうだな。確かに便利な秘密基地だ」


 落ち着くとこの拠点に興味が湧いたようで、レイは面白そうに小屋の内部や外の環境を観察しだした。


「いいな、ここ。魔の森の中とは思えないくらい落ち着く」


 眩し気に細めた目が湖や木々に向けられ、そっと閉じられた。冷たさの和らいだ風が頬を撫でていく。アルも椅子に座ってほっと息をついた。人の声が聞こえず自然の騒めきだけが響く空間は心地よい。


『何を落ち着いているのだ。今日の夕食はどうする? 我は肉を食いたい』

「……まだそんな時間じゃないでしょう? 少しくらい寛がせてよ」


 つまらなそうな顔をしたブランが尻尾で机を叩く。無視をしていたら、頬をちょいちょいと前足で叩いてきた。痛くはないが鬱陶しい。


「ん? どうしたんだ?」

「ブランがご飯を強請ってきているだけなので気にしないでください」

「ああ、日が沈むまであと三時間くらいか。夜の森を好き好んで歩く気はねぇから、俺はもうちょっとしたら帰るな」

「え?」


 レイが当然のように言った言葉にアルはきょとんと目を瞬いた。そんなアルをブランが呆れたように見ている。


『阿呆か。普通の人間は夜に森を探索するのは避けるものだぞ』

「そういえば、そうだね……」


 アルは夜に森の中にいるのが普通だったから気にしなかったのだが、たいていの冒険者は、夜は町中で過ごす。暗くなった森を歩くのは、余程やむにやまれる事情がある場合だけだ。


「じゃあ、すぐに夕ご飯を作るので、一緒に食べましょう」

「お、いいのか? お前が手紙で飯について書き送ってきたから、気になっていたんだよな」

「そうだったんですか? では、特別美味しいものを用意しますね」


 期待で目を輝かせるレイを見て、アルは気合いを入れる。ブランとアカツキ以外に料理を振舞うのは初めてだ。レイは高位冒険者なだけあって、美味しいものを色々と食べてきているだろう。そんな人に満足させられるだけのものを作れるか少し不安なのだが、ここは珍しいもので勝負すべきだろうか。


「よし、あれにしよう」


 珍しいものと言えば、アカツキのダンジョン産の食材を使ったものだ。色々なレシピを思い出しながら、アイテムバッグから食材を取り出した。




「本日のメインは森豚フォレストピッグのジンジャーショウユタレ焼きです。ミソスープ、オムレツ、コメと一緒にどうぞ」

「おお、なんか分かんねぇけど旨そうだな」

『我も気に入りのメニューだぞ! この森豚のジンジャーショウユタレ焼きは絶品なのだ!』


 何故かブランがドヤ顔で自慢している。その頭を軽く撫でてから、アルも椅子に座ってフォークを手に取った。


「っ、この肉うめぇ! シュウユを使った料理は色々食ってきたが、このジンジャーがいいアクセントになっているな! この白い粒々がコメってやつか。肉とコメは絶妙な組み合わせだな。つうか、このコメだけでもうめぇ」

「ありがとうございます。コメはダンジョン産ですよ」

「ああ、あれな」


 食事に集中しているのか、レイの返答がだいぶおざなりな感じだった。それに苦笑しつつアルも食べ進める。ちょっと早い夕食になってしまって大丈夫かと心配だったのだが、美味しいものはいつでも食欲をそそるのだと実感した。


「このオムレツも旨いな。普通のやつとは違う風味がある」

「ダシというのを使っているんですよ」

「ダシ、か。この辺じゃ作るの難しそうだな」


 この辺りでは馴染みのないものなのだが、レイはダンジョン産なら仕方ないとすぐに諦めて食事に集中していた。レイが望むなら手持ちのものを譲っても構わないのだが、恒常的に供給することはできない。レイ自身が料理をするようでもないので、アルが時々料理を振舞うくらいで十分だろう。


「この茶色いのがミソスープか……。うん、旨いなぁ。この辺で出されるスープとは全く違うな。コクはあるけどさっぱり飲める」


 ミソスープを飲んだレイが微かに微笑んで呟いた。相当気に入ったようだ。


『旨かった! 甘味はないのか?』

「ないよ。今日はお昼に甘いもの食べたでしょ?」

『あれはあれ、今は今。甘味食いたい!』

「作ってないもの」

『簡単なものでいいぞ?』

「簡単なものでも手間はかかるんだからね?」

『むぅ、甘味……』


 ブランがシュンと項垂れるがアルは無視をする。だが、そのやり取りを見ていたレイが軽く笑って、自身のアイテムバッグから何かを取り出した。


「狐君はよっぽど甘いものが好きなんだな。これでいいならやるぞ?」

『おお! やはりお前は良い奴だ!』

「……ブラン、ちょっとは遠慮しなよ。レイさんも、これを気遣う必要なんてないですからね?」

「いやー、どうも小動物がしょぼくれているのは放っておけなくてな」


 レイが取り出したのはアルが見たことのない果物だった。外側は茶色で硬そうだが、レイがナイフで半分に割ると、一気に甘い香りを放つ白い果肉が現れる。


「これはなんという名前の果物ですか?」

「アケブって名前だ。最近この魔の森で見つかった新種の果物さ」

『旨いぞ!』


 早速果物に噛りついたブランが、尻尾を振りながら絶賛する。その様子をレイがじっと観察していた。アルは違和感を覚えて首を傾げる。


「どうしたんですか、レイさん」

「……鑑定してもらってたぶん安全だろうとは言われているんだが、これをちゃんと食ったのは狐君が初めてだ」

「え?」

『……は?』


 アルとブランがレイを凝視した。その視線の先でレイがにこりと笑む。


「生きている魔物の口に放り込んでみたことはあるから、魔物に害はないはずだ。その魔物はすぐ倒しちまったから、遅効性の毒があったら分かんねぇけどな!」

『っ、酷いぞ! 我を実験台にしたのか⁉』

「ブランって実験台には相応しくない気が……。聖魔法使えるし、毒耐性もあるよね」


 アルはまじまじとブランを観察する。今のところブランは元気にレイに抗議していた。レイに跳びかかってパンチを繰り出している。レイは慌てて避けていた。

 机の上に残された半分の果物に対して鑑定眼を発動する。アルの鑑定眼は常識外れなくらい詳細に結果を教えてくれた。


「……よぉし、ブラン、もう半分いってみよう!」

『何故アルが乗り気になっているのだ! 我が未知の毒にやられてもいいのか⁉』

「そのときはそのとき」


 にこりと笑ってブランの口元に果物を差し出す。甘いものを差し出されているというのに、ブランの拒否具合が面白い。これまでに見たことがない光景だ。


『はっ、アルは鑑定を使えるだろう! 早く鑑定しろ!』

「あー、気づいちゃったか」


 必死に首を振っていたブランが、アルの鑑定の能力を思い出して睨んでくる。どうやら悪戯するのもここまでのようだ。

 レイをちらりと見ると、面白そうに笑っていた。そもそも、レイがアルたちに対して害があるものを差し出してくるはずがないのだ。アケブの安全性はしっかり確認されていて、アルたちをからかっただけだろう。


「狐君、これに毒はねぇよ」

「ただの美味しい果物だよ」

『……騙したな! お前たちには良心というものがないのか⁉』

「いたっ!」

「いってぇ!」


 目にもとまらぬ速さで尻尾がアルとレイを襲った。避けられなかった二人が呻く横で、ブランがプイッとそっぽを向く。


「ブラン、ちょっとした遊び心じゃないか……」


 思っていた以上に機嫌を損ねてしまって、アルは新たにケーキを作ることを約束させられた。それで機嫌を直すブランは本当に甘いものに弱い。ちょろすぎる。


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