第93話 楽しい魔道具作り

 すっかりアルの作業に興味をなくしてしまったブランは、寝ると言ってテントに戻ってしまった。アルは一人で魔道具作りを行うことになり少し寂しい。


「……まずは、魔法陣から書くか」


 魔道具を作るためには、魔力の流れを考えた魔法陣を考える必要がある。いきなり魔軽銀に刻み込めるほど、最初から完璧な魔法陣を作れるとは思っていない。だから、紙に書いて試行錯誤を繰り返すのだ。

 まずは結界の魔道具から考える。アルは結界の魔道具は基本的に働かないようにしようと思っている。現在は雨などの天候の影響をなくすために弱い結界を常時展開しているが、これはテントや小屋の構造自体を変えて影響を受けないようにすれば問題ないだろう。食事を作るのを今までは野外でしていたが、新たに建てる小屋には内部に調理場や寛ぎスペースを作ろうと思っている。


「結界は魔物が迫ってきたときにだけ展開するようにしよう。魔石は備え付けておかないといけないけど、魔物除けがあれば結界が展開する機会はあまりないだろうし」


 普段使っている結界の魔法陣を書き換える。魔物を察知する機能の部分だけ強化し、常時弱い結界を展開する機能を削除すると、なんだか魔法陣が不格好なものになった。


「えー、なんか変。あぁ、ここの魔力の流れが乱れちゃっているのか。これじゃ、想定より魔力効率が低くなるな。うぅん、……あ、ここをこうして――」


 独り言を呟きながら魔法陣を調整していくと、紙を十枚以上消費したところで漸く納得できる出来になった。


「これだよ、これ! 美しいね。魔力が少しも滞りなく流れて、魔石からの魔力をほぼ無駄なく活用できる。ここが滞ると、魔力が無駄に流出しちゃって、魔力効率が落ちちゃうんだよねぇ」


 美しい流れの魔法陣を前に自画自賛し悦に浸っていると、テントから出てきていたブランに奇妙なものを見る目で見られた。とても気まずい。


「……起きたんだね?」

『……ああ。散策に行ってくるぞ。結界の範囲からは出るなよ? お前は作業に夢中になると魔物への警戒を怠りそうだ』

「気を付けます……」


 今まさに魔法陣に夢中になりすぎてブランの気配に気づけなかったアルには、その小言に反抗する言葉はない。粛々と頷いて見せると、呆れかえったため息をついたブランが、ビュウッと森の奥へと走り去っていった。今日の獲物はなにかな、と楽しみに思いつつアルは作業に戻る。帰ってきたブランに夕飯を強請られることを考えたら、早めに作業を進めておいた方が良いだろう。


「とりあえず、魔軽銀に魔法陣を刻むのは後でまとめてやることにして――」


 アルが次に紙に書きだしたのは、迷いの魔道具の魔法陣だ。この迷いの魔道具の機能を視覚と聴覚に影響を与える部分だけに絞って強化し、その他の機能は削除する予定だ。こうすれば魔力消費量は格段に少なくなる。アルが普段使っている明かりの魔道具くらいにまで抑えるのが目標だ。


「ここを削って、あ、ここもか……。いや、ここを削っちゃダメでしょ。これは残す機能にも関わっている部分だから……、お? こうしたら必要なところだけ残して綺麗に他の部分を削れるな!」


 魔法陣を組み替えるのは頭を使う作業だ。一つの部分が実は他の部分の基礎になっていて、削ってしまったら一切効果を示さなくなることはよくある。魔法陣というのは繊細で複雑に絡み合ってできているので、それを解しつつ切って結び付けてという作業を繰り返すのだ。一つのミスが全体に影響するので、作業には慎重を要する。


「後はこの部分か。ここを丸っと削れたら大分魔力消費量を抑えられるだけどな。そう上手い事いかないか……。うぅん、ここを削ってここと繋げて――」


 必要な機能だけを重視して魔法陣を組み替えていると段々と魔法陣の見た目が悪くなる。満足のゆく機能にできたところで、アルはその見た目を整える作業に入った。見た目にこだわるのは、アルが魔法陣好きだからではない。不格好な見た目というのは、総じて魔力の流れが滞り易いということを示しているのだ。最大限に魔力効率を良くしようと思うと、見た目にこだわるのは当然のこと。魔道具作りをする人間なら理解できる感覚だと思う。


「――あぁ、美しいねぇ」


 魔法陣を愛でるのは、最大効率の魔法陣ができた達成感からだ。何度も言うように、魔道具作りをする者としては当然のこと。アルは他の魔道具作りの職人をあまり知らないが、ソフィアも魔法陣の美しさを愛でていたので、きっと当然のことなのだ。


「よぉし、やっと新しい魔道具に取り掛かれるね」


 迷いの魔道具の魔法陣ができたところで、アルは再び白紙と向き合った。新たな魔道具の設計図は頭の中でできているが、紙に書き出してみると意外と修正点がたくさん見つかるものなのだ。

 アルが考えている新たな魔道具は、ミラの論文を基にしたものだ。特有の周波数の魔力波を放つ魔道具を作れば、先ほど迷いの魔道具から削った魔力感知を妨げる機能を補うものになる。


「魔力波は極めて弱いものでいいから、魔力消費量は少なくて済むしね」


 早速魔法陣を描く。必要なのは魔力波の周波数を固定する機能とそれを一定の強さで放出する機能。それに加えて、より遠くまで魔力波が届くように工夫できたら最高だ。放出するのは魔道具を中心にした円状で、距離によって魔力波が減衰していくのを極力抑えるように魔法陣を組んでいく。


「あれ、意外とこの部分が難しい。周波数を固定するには魔石から供給される魔力も調整しないといけないのか」


 思いがけない障害にぶつかりつつ、それをなんとか解決させて一応の魔法陣を完成させた。


「うーん、流れが良くない。ここで流れが滞ってしまうのか……。でも、ここは重要な部分だし、大きく変えるわけにもいかないなぁ。この前段階の部分からミリ単位で調整していって、ここにゆとりを持たせればいいのかな?」


 あまり納得いかない出来の魔法陣を少しずつ分析していって、より良いものを目指す。ソフィアに見せると約束しているので、生半可なもので妥協するつもりはない。天才と言われる人にこの程度かなんて思われたくないから。


「うんうん、ここはこれでいいね。ここはもうちょっとこっちかな」


 調整を繰り返していくと、漸く満足の出来のものができた。


「完璧!」


 にんまりと笑って魔法陣を眺める。だが、作業はこれで終わらないのだ。出来上がった魔法陣を魔軽銀のプレートに僅かなズレもなく刻み込まなくてはならない。


「ちょっとお茶を飲んで休憩しよう」


 集中しすぎて疲れてきた目を瞑って、お茶の香りを楽しみつつ休憩する。あまり疲れた状態で作業を続けると思わぬミスを招くことがあるので、適度な休息は大切だ。

 暫くゆったりと過ごしてから、気合を入れなおした。


「魔軽銀はラトルさんにたくさん用意してもらっているから、プレートと箱を魔道具に使う分だけ取り出して――」


 ラトルはアルが普段使っている精霊銀製の剣を作った人物だ。ノース国を出る際に、商業利用できるくらいの量の魔軽銀を注文したので、アカツキのところで色々と魔道具を作ってもまだまだたくさん残っていた。

 必要分だけ魔軽銀を取り出したアルはプレートに魔法陣を刻んでいく。慎重に狂いなく一定の太さ深さで魔法陣を刻む作業をしていると、時間の概念を忘れてしまっていた。


『……まだしていたのか』

「え……あ、ブラン、お帰りなさい」


 魔道具を作り終えた頃には、ブランが呆れた表情でアルの傍で立っていた。ジト目のまま、鼻先を空へと向けるので、アルが空を見上げると、茜色に紺が混ざり始めている。視界が見えづらくなったとは思っていたが、これほどの時間になっているとは思っていなかった。


『明かりもつけず、よく作業を続けられたな』

「あはは……集中しすぎていました……」


 何とも返す言葉がなく、笑って誤魔化してみる。ブランはため息をついて小言を打ち切った。


「すぐ夕飯の準備をするね」

『うむ。よいものを狩ってきたぞ!』

「何だろう?」


 ちょうど魔道具も仕上がっていたので、夕飯の準備をしようと立ち上がると、ブランに誇らしげに言われる。探索ついでに獲物を獲ってきたようだが、ブランの近くにはその姿は見えなかった。

 首を傾げるアルに、ブランが闇に沈み始めた木々の合間を指し示す。木々とは違う岩のような影が見えた。


『あれだ!』

「あれって――」


 不思議に思いながら近づいていくと、ようやくその全体像が分かった。


「――大水蟹グランヴォダクラッベ?」

『食いでがありそうだろう?』


 期待に満ちた表情のブランに納得できるくらい巨大な蟹の魔物が力なく横たわっていた。


「確かに食べる部分は多そうだけど、どう調理しよう……?」


 果たしてあの硬そうな殻に包丁は刺さるのか。いや、まずは解体の魔道具で解体するべきか。蟹の調理をしたことがないので戸惑う。


『アルなら、きっと旨い飯にしてくれるだろう?』


 ブランのキラキラとした期待に満ちた眼差しと楽しそうに揺れる尻尾を見てしまうと、頑張るしかないだろう。アルとしても食材は美味しく調理したいと思うので、ここはあれに頼るべきとすぐに判断する。


「よし、鑑定!」


 よく分からないが、アルに都合の良い情報を教えてくれる鑑定は、本当に頼りになる能力だ。もしかしたらブランより頼りがいのあるものかもしれない。


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