第88話 研究者は紙一重

 今日の用事は終わってしまったし、この後どうしようかとブランに相談していると、ソフィアから意外な提案をされた。


「お時間があるのでしたら、この研究所を案内しましょうか?」

「え、いいのですか?」


 先ほど研究途中のものは部外者に見せられないと聞いたばかりだったので思わず聞き返すと、ソフィアがニコリと笑んで頷いた。


「研究自体を見せることはできないけれど、研究所内を見せることは問題ないわ。魔道具を自分で作る貴方なら、きっと興味を惹かれるものがあるはずよ」


 確かにこの研究所の入り口の魔道具も興味深いものだった。他にも面白いものがあるかもしれないと思うとワクワクしてくる。

 期待を隠しきれず顔を輝かせるアルをブランがジト目で見てため息をついた。魔道具にあまり興味がないブランにとっては退屈な時間になるかもしれないので少し申し訳ない。


「後で魔の森に行こうね」

『……仕方あるまい。屋台飯もつけろ』

「はいはい」


 渋々頷くブランを肩に乗せて、アルはソフィアについていった。


 研究所内は白くほとんど繋ぎ目のない壁と床でできている。所々にタペストリーや観葉植物が飾られていることで、辛うじて彩りが生まれているが、それがなければ気が狂いそうな内観だ。


「この壁も特殊なものですか?」

「ええ。これは湖近くで採れる岩を粉々に砕いて、色々なものを混ぜて固めたものなの。この研究所の研究員の成果よ」

「なるほど……こういうのも研究しているのですね」

「この研究所は国の発展に寄与する技術の研究のために作られたものなの。それぞれの研究員に対して予算が組まれて、成果を定期的に国に報告するのよ」

「それは研究者にとってはありがたい環境ですね」


 研究者というものは、研究費を自費で賄っている者が多い。成果が上手く利益を生むものになればいいが、そうでなければ極貧生活の中研究をしている者も少なくない。この国では限られた人だけのようだが国費から研究費が出ている。それは国を発展させるために研究者の能力を重んじているということなのだろう。


「庶民街の屋台には行ったかしら?」

「ええ、一度だけ利用しましたよ」

「ああいうところで使われている使い捨ての食器やフォーク等にもこの研究所での成果が使われているわ」

「え?」

「ふふ、驚いた?」


 隣を歩いていたソフィアが悪戯っ子っぽく笑ってアルの顔をのぞきこんだ。

 アルにはただの木の器にしか見えなかったものも、この研究所の成果だったらしい。一体どういう研究結果なのか分からず首を傾げていると、ソフィアが説明を追加してくれた。


「あの器等に使われている素材は、再生可能なものなのよ。一度使ったものは回収後に洗浄して、特殊な溶液で分解後に再び成形して固められるの。魔の森から木材を得られるとは言え、無駄にしていい資源なんてないでしょう? とても画期的な技術だと思っているわ」

「……確かに凄いですね」


 アルが考えもしない技術だった。専門が違うと言われればそれまでだが、少しはこういう考え方も持つべきかもしれない。


「素材関連を研究しているのはイーサンという研究員よ。助手は……何人いたかしら?」

「四人です。イーサン様は本日外出されております」

「あら、そうなの。紹介できなくて残念ね」


 ヒツジの補足にソフィアが気落ちしたように呟く。

 素材関連の研究にはアルも興味が出ていたのだが、いないのならば仕方がない。


「今日は誰がいたかしら?」

「……ミラ様はいらっしゃるご予定ですよ。なんでも、冒険者ギルドに依頼していたものが今日届いたそうで、それを分析するのに熱中しておられるようです」

「ミラね! では、彼女を紹介しましょう」

「何を研究してらっしゃる方なのですか?」

「彼女は魔物の研究をしているの。これまでの成果としては、魔物素材の有効利用法や魔物除けの薬等が広く知られているわね」


 アルは少し『ん?』と思った。魔物の研究をしている人物については最近聞いたばかりだ。アルがその人物の依頼を達成したのは昨日なので、それが今日ここに届いていてもおかしくない。


「彼女には私の結界についての意見を聞こうと思っていたからちょうどいいわね。魔物除けの魔道具なら、ミラに意見をもらえばより良いものができそうだわ」

「混ぜるな危険……」


 ニコニコしているソフィアに対し、ヒツジはげっそりとした表情で何かを呟いていた。

 ヒツジの表情を見ていると、ミラという研究者に会うのが怖くなってくる。ソフィアの研究に対する熱量は、前評判ほど変人と思うものではなかったが、果たしてミラはどういう人物なのか。


「……ミラ様は伯爵家のご令嬢なのです」

「え、貴族のお嬢様なんですか?」


 疑問が顔に出ていたのか、ヒツジがこっそり解説をしてくれた。


「ソフィア様と同じく社交界では浮いておりますし、ソフィア様を上回る不思議な方です」

「え……」

「会話が上手くできなくても気にしないでください。彼女はとても……頭が回る方なので、会話を先回りしすぎるのか、凡人にはついていくのが難しいのです」

「……天才、ということですね」


 ヒツジの言い回しには多大な配慮が見えた。相手が貴族のご令嬢なので、失礼な物言いは避けたのだろうが、副音声で「天才となんとかは紙一重と言いますので」とついてきそうな言い方だった。


「あ、ここがミラの研究室よ」


 アルの心構えができないうちに目的地に到着してしまったようだ。意気揚々と扉横の魔道具に手を翳すソフィアを見ていると、扉がスゥっと開いた。


「ソフィア様、……今日は新しい方がいらっしゃいますね? 新たな助手の方ですか?」


 扉を開けた女性が首を傾げる。ソフィアがひらりと手を振って否定した。


「違うのよ、レイラ。彼は私が国から請け負った研究の協力者なの。研究所内を案内しているのよ。ミラにも紹介しようと思って来たのだけれど」

「承知いたしました。ミラ様は研究に熱中されておりますが……大丈夫でしょう」


 アルは途中の沈黙がとても気になったが、レイラという女性にソフィアがついて行くので従うしかなかった。

 ミラの研究室内はソフィアのものと似ていたが、この部屋には書物の類よりもよく分からない箱や薬草、魔道具などが多かった。

 その部屋の中央付近にある大きな銀色の机の上には、アルがよく知っている籠があり、暗褐色の髪を無造作に束ねた女性が熱心に覗き込んでは紙に何かを書きつけていた。


「ミラ、研究の邪魔をしてしまって申し訳ないのだけれど」

「邪魔はダメ。どうしてもというなら角兎を持ってきて。生きたものがいいよ」

「……それ、もしかして生きた森蛇かしら」

「ソフィア様、近づいてはなりませんよ」


 ヒツジが一気に緊張した面持ちになってソフィアを背後に庇った。

 アルは予想していた通りの展開に顔を覆いたい気分だったが、ヒツジの精神を和らげるために口を挟むことにする。


「大丈夫ですよ。その籠から出さない限り、森蛇が襲ってくることはありません」

「え?」

「その籠は僕が作ったものなので。依頼を受けて森蛇を捕まえてきたのも僕です」

「……」


 ヒツジの表情が固まった。『うそだろおまえ、うそだといってくれ』と訴えてくる眼差しから、アルは顔を逸らして気づかない振りをする。


「君が依頼を受けた冒険者なのかい⁉」

「うおっ」


 勢いよく近づいてきて肩を掴む女性からアルは必死に体を離そうと藻掻いた。肩に乗っていたブランが迷惑そうに女性を見て、床に下り壁際に走り去っていく。巻き込まれないように逃げたのだろう。


「素晴らしい! 素晴らしいよ! 君が捕まえてきた森蛇は実に生きが良くて観察し甲斐がある!」

「それは、良かったです。……あの、放してくれません?」

「あの猛烈な敵意。私を食い殺してやろうというような眼差し。昨日捕まえられたにも関わらず、ここまで飲まず食わずでずっとあの状態なんだよ!」


 女性がずり落ちそうになった眼鏡を直すために肩から手を放してくれたので、アルは慌てて距離をとった。それに気づかず語り続ける様を遠巻きに見つめる。


「なんで、あんな人の依頼を受けるのですか……」

「……依頼者がどういう方かなんて知らなかったんです」


 次々に繰り出される魔物についての語りを受けて、げっそりとした表情のヒツジから恨めし気な眼差しで見られ、アルは僅かな疲労を隠せず答えた。

 魔道具についてソフィアと語り合うならいくらでもできそうだが、魔物に対しての愛情まで感じられるほどの熱量に付き合わされるのは、アルも勘弁してほしいと思う。


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