第89話 画期的な理論

「知っているかい? この森蛇というのは、両目の間に魔力感知器官があって、非常に高精度の感知が可能なんだ! 魔法を使えないほどの魔力しか持っていない者でも感知するんだよ! 凄くないかい⁉」

「スゴイデスネ……」


 ミラの熱量に押されながらも話を聞いていると、徐々に落ち着いた様子になってきた。ヒツジは完全に離れて、関わりあいたくないという様子を全面に出している。


「ミラ、森蛇については分かったわ。それより、私の話を聞いてほしいのだけど」

「あ、そうだ、レイラ!」


 ソフィアが声を掛けるも、ミラは全く気付かず助手のレイラに何か指示を出した。レイラが静々と革袋と一枚の紙を持って来る。


「君がこの籠の製作者なら、きちんと費用を払わねばならないのに、ギルドが横着したようだね」

「え、ああ、そうですね。……籠の返却ではなく?」

「この籠はそのまま欲しいのだけど?」

「……まあ、いっか。どうぞ、差し上げます」


 レイラから手渡された革袋には金貨が数枚入っていた。紙に書かれているのは魔道具の譲渡証であり、金貨と引き換えに魔道具を譲渡したことを証明する契約書だった。その下部にアルが署名することで、正式に譲渡が完了する。


「この籠は素晴らしい魔道具だよ! 今後、この籠をギルドに貸与して、魔物を捕まえてきてもらうつもりだ。可能なら、籠を追加で頼みたい。対価は今回と同額だが構わないだろう?」

「……いいですよ」

「レイラ、ギルドに依頼を頼むよ」

「畏まりました」


 今後もギルドには魔物生け捕りの依頼が出されることになったようだ。ギルド側の混乱具合を思うと少し申し訳ない。


「私としては、その籠の魔道具にも興味があるのだけど、そろそろ私の用を聞いてもらってもいいかしら」

「うん? 私に何か用か? 研究費の削減は断固拒否、助手を減らすのも断る。大体、この国は金にうるさいね。もっと研究費があれば効率的な魔物除けの開発もできるだろう」

「そう。それは国に伝えておくけれど。私は結界の魔道具についての意見を聞きたいのよ」


 ミラの独り言のようなボヤキは綺麗に受け流して、ソフィアが魔道具の設計図を机に広げた。すぐ傍で森蛇が暴れているのを気にしていないようだ。


「結界? あんな効率の悪いものを君が研究しているのか? 君なら魔力効率を上げられるのかもしれないが、強度が下がれば無用の長物になる。あまりに成果が出にくいものを今研究するのは、国が許さないだろう。……この設計図は何ということだ! 今までより魔力効率が二倍、強度はそのまま! 十分に実用可能だろう。森の浅い所ならね。そうだ! この森蛇を使ってこの結界の強度の測定を――――」

「ミラ。私は魔の森の中に畑を作りたいの」


 ミラの言葉を遮るようにソフィアが言うと、ミラはぴたりと停止した後にソフィアに顔を向けて首を傾げた。


「魔の森。とても魅力的な場所だ。畑にするには実に条件が良い。魔物がいなければね。君の解決法は非効率的だ」

「……結界では駄目なのかしら?」


 ソフィアが少し不服そうに表情を歪める。

 魔の森が畑として条件が良い場所だと言ったので、そこでの植物の成長速度の速さをミラも知っているのだろう。でも、結界が魔物対策として効率的でないと断じられるのはアルも不思議に思った。アルは魔の森での野営時には必ず結界の魔道具を用いている。確かに魔力はたくさん使うが、十分実用的だと思うのだ。


「畑としての条件を整えるなら、結界は一時的なものでしかない。長い目で見れば金がかかりすぎて、一般の作物を育てるには不向きだ」

「それはそうね。でも、より魔力効率を上げれば――」

「その研究にどれだけの時間と金がかかる? この国は実に金にうるさい」


 再びブツブツとぼやきつつ、ミラが積まれた本から一冊を取り出した。途端に上に重ねられていた本がドサドサと床に落ちていくが、それを気に留める様子はない。レイラがすかさず拾い集めて、本棚に収納しなおしていた。


「これを使うと良い。魔物除けに関する最新の論文だ」

「魔物除け?」


 ソフィアに本を渡したミラは、もう用は済んだというように森蛇の観察に戻っていた。


「魔道具に応用できる魔物除けの理論ですか?」

「ミラが言うには、そのようだけれど」


 アルがソフィアの手元の本を見ると、作者欄にミラの名前が書かれていた。日付はついひと月前で、手書きの論文をまとめたもののようだ。


「そちらの論文はまだ公に発表していないものです。取り扱いにはお気を付けください」

「あら、そうなの。では大事に読ませてもらうわ」

「そちらは私が書き写したものですので、ソフィア様のお手元に残していただいて構いません」

「分かったわ」

「……もう一冊ご入用ですか?」


 アルが興味津々にしているのに気づいたのだろう。レイラが同じ表紙の本を持ってきた。


「これはこの研究所からの持ち出しは禁止ですよね?」

「はい。研究所の規則において、発表以前の研究成果の外への持ち出しは禁止されております」

「私の研究室で読むといいわ。読み終わったら、ぜひ意見を交わしましょう!」

「そうですね」


 結界の魔道具について意見を交わすのは冒険者ギルドに話を通してからということになっていたはずだが良いのだろうかと思いつつ頷く。ソフィアの後ろの方でヒツジが諦めた表情でため息をついていた。



 早々に研究所内の案内を打ち切ってソフィアの研究室に落ち着く。メイリンがお茶とお茶菓子を用意してくれているのに礼を言って、ソフィアに続くように文字の世界に没入していった。


『結局こうなるのか。この本好きめ』


 アルが座るソファのひじ掛けにだらりと伏せたブランが呆れたように呟く。それでも読書の邪魔はしないのだから優しい。アルの分のお茶菓子を横取りしてむしゃむしゃと食べているのは気にしないことにする。


 ミラに渡された論文に書かれているのは、魔物の魔力感知器官を誤魔化すことで魔物除けを可能にするというものだった。魔物の魔力感知器官は、ある一定の魔力波を感知すると麻痺して一時的な機能不全に陥る可能性が高いのだという。冒険者に試してもらったところ、その魔力波は弱い出力のものでも凡そ半径五十メートル以内の魔物に作用するようだ。まだ確信に至るほどの実験は行えていないようだが、これが本当なら画期的な論である。

 これまでの魔物除けと言えば、魔物が嫌う匂いの薬草などを用いたものが主流であった。しかし、匂いだけでは魔物の本能を抑えるほどには至らず、馬車等で移動する際の補助的な使われ方をしていた。使っていてもいくらかの魔物は気にせず襲ってくる。


「……これは凄い。それに、十分に魔道具に使える論だ」


 実験の際は一定の魔力波を放つように調整した魔石を使っており、使い捨ての上に調整の手間がかかることで数を用意できなかったようだ。しかし、アルならこの論を魔道具に落とし込む方法を幾通りも考えることができる。それは、満足げな笑みを浮かべているソフィアも同じだろう。

 ほぼ同時に読み終わり顔を上げたアルとソフィアは、視線を交わしてニコリと微笑んだ。魔道具好きとしては、こんな論を読んでは作らずにはいられないだろう。


「私、もう魔道具の設計図が頭に浮かびましたわ」

「僕もです。ですが、工夫次第ではより効率的な設計にできるかもしれません。試行錯誤が必要ですね」

「それもまた、魔道具作りの醍醐味ですわね。ワクワクしますわ」


 言葉通りに煌めく瞳は楽しそうで、アルも同じ目をしているだろうという確信がある。視界の隅でヒツジが疲れたようなため息をついているのが見えた。


『似た者同士め。我はもう飽きた! 森に行くぞ! 屋台飯を食うぞ!』


 それなりの時間読書に勤しんでいたので、もう昼に近くなっている。流石にブランも痺れを切らしたようで、抗議するように腕を甘噛みされた。


「分かったよ。今日はここまでにしようか」

「あら、もうお帰りになるの? 考えた魔道具の設計図について話しましょうよ」


 ブランの頭を撫でつつ言うと、ソフィアに残念そうに言われた。それに首を緩く振って断る。


「今日は長居し過ぎました。また今度お話ししましょう。その時はより良い形に魔道具の設計を仕上げておきます」

「……そうね。その方が有意義なお話ができるかもしれないわ。では、冒険者ギルドに依頼を出しておくわね」

「……分かりました」


 冒険者ギルド経由で、魔道具開発に関する意見交換会というお茶会の依頼が入るのは避けられないことだったようだ。

 また冒険者ギルドの人に変な顔をされそうだなと思いながら、アルは辞去の挨拶をして冒険者活動に赴くことにした。

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