第87話 研究所

 今日も眩しいくらいの晴天だった。アルたちは宿に寄こされた迎えの馬車に乗り、昨日に引き続きソフィアの屋敷までやって来た。屋敷の前にはヒツジがにこやかな表情で立っていた。


「おはようございます」

「おはようございます。今日は実際にコメを植えるために耕作地に行くんですよね?」

「いえ……。ソフィア様の方からご説明致しますのでどうぞこちらに」


 若干苦い表情を見せたヒツジに首を傾げながらついて行くと、向かったのは屋敷の中ではなく、その隣に立つ研究所だった。入り口はしっかり閉ざされており、扉には魔石が埋め込まれた金属プレートが付いている。ヒツジはその金属プレートに手をかざし魔力を流し込んだようだった。魔石が緑に光り、自動的に扉が開く。


「え? まさか魔道具で扉の開閉を管理しているのですか?」

「ええ。ソフィア様が御作りになったものです。魔力パターンが個人で違うことを利用して、この金属部分に流された魔力を認識・分析し、登録魔力に参照し鍵の役割を果たしています」

「それは凄い……」


 セキュリティに関与する魔道具であるからか、アルたち外部からはその魔道具の魔法陣は一切見えないようにされていた。だからそれがどういう魔法回路を使っているのかは分からないが、この魔道具が画期的な発明であることはよく理解できる。


「どうぞ、お入りください」


 扉脇の部分で何かを押したヒツジに招き入れられる。扉を通る際にちらりと見ると、〈ゲスト〉と書かれたボタンだった。恐らくこの扉は通る人間の人数も感知し管理しているのだろう。基本的には登録に該当する一名だけが通れて、登録していない人を通すにはこのゲストボタンを押す必要があるようだ。アルが通った瞬間にゲストボタンの表示が消えたので、これも一名限定であり、更に通すにはもう一度押さなくてはならない。屋敷の開放的な警備体制とは違い、厳重で閉鎖的なシステムだった。


「この研究所はソフィア様が所長を務めておりまして、他に三人の研究者とその助手が数人おります。研究者たちはほぼここに住み込み状態でいるので、会った時は適当に受け流してください。変人が多いので」

「はあ……?」


 変人が多いとはこれ如何に。研究所に住み込み状態の研究者だから仕方ないのか。研究者と言えば変人なのか。変人だから研究者なのか。

 この国はどうも何か一つに打ち込んでいる人を変わり者とみなしている気がする。研究者たちが多かれ少なかれ変わった部分があるのは事実なのだろうが、変わった部分というのは研究者以外の人も普通に持っているものだと思う。それを表に出すか否かはともかく。アルからしたら、ヒツジも十分に変人であるし。


「ソフィア様は昨日から結界の魔道具の研究に没頭しておりまして、こちらに籠っているのです……」


 ヒツジが苦い表情をしていた理由が分かった。昨日の様子からそうではないかと思っていたが、やはりソフィアは魔の森での作物栽培を諦めていなかったようだ。アルも結界の魔道具は独自に研究して開発しているが、それは広く公開するつもりはない技術だ。だが、ソフィアがどのような結界魔道具を開発するのかは興味がある。何せ天才と言われる人だ。アルの思いもよらない魔道具を作り上げるかもしれない。

 閉まった扉の傍にある魔石にヒツジが手をかざすと、しばらくして扉が開きメイリンが姿を現した。アルたちを見たメイリンは一礼して扉を大きく開く。中に入るヒツジについていくと、たくさんの本や金属、魔石が積まれた部屋だった。ここがソフィアの研究室のようだ。


「ソフィア様、アル様をお連れしました」

「……」


 机に向かって紙に何かを書いているソフィアの背中にヒツジが声をかけるが、何の反応もなかった。ヒツジから漂う苛立ちの雰囲気を感じてアルは距離を取りたくなったが、あいにく後ろにメイリンがいたので無理だった。


「……メイリン」

「はい」


 ヒツジがメイリンに声を掛けると、静かに動いたメイリンがソフィアの肩にそっと手を添える。しっかり目で紙に書かれているものを確認し邪魔にならないタイミングを見計らっていたので、メイリンも魔法陣に関する知識があるのかもしれない。

今日はヒツジが跳び蹴りする事態にならなくて良かったと思いながらのんびり眺めていると、ソフィアがようやくアルたちに気付いて振り返った。


「……あら。お待たせしてしまったかしら。ごめんなさいね、集中していると外の音が聞こえなくなるの」

「ソフィア様は人と話しているときでも、自分の考えに没頭して人の話を全く聞いていないことがありますからね。そろそろ直していただきたいのですが」

「それができたらきっとあなたを怒らせることもないんでしょうけどねぇ」


 全く悪びれないソフィアにヒツジが諦めたようにため息をついた。このやり取りはこれまでに何度もしているものなのだろう。二人の会話には慣れが感じられた。

 立ち上がったソフィアに連れられて談話スペースに移る。席に着いた途端にソフィアがニコニコと微笑みながら何枚かの紙を机の上に置いた。


「貴方も素晴らしい魔道具技術を持っていたからきっと理解してもらえると思うのだけど、これは結界の魔道具の試作魔法陣で――」

「ソフィア様? 今日はその話ではないですよね?」

「でも、アルさんのお話を聞けばもっと良いものが浮かぶかも――」

「ソフィア様。アル様はコメの栽培への協力のために来てくださっているのですよ? 決してこの研究所の客員研究員ではありません」

「でも――」

「基本的に研究中のものは外部に公開してはならないという決まりです。アル様の意見を聞きたいならば、別途依頼を出すべきです。アル様は冒険者なのですから、きちんと依頼料を出して」

「あ、そうね! では、依頼を出しておいてちょうだい」


 ここまでアルの意見は全く聞いていないのだが、何故だか主従の間で話がまとまってしまった。まさか冒険者ギルドを通して魔道具研究への助力という指名依頼が入るのだろうか。アルもソフィアが研究している結界魔道具に興味があるので受けても良いのだが、とても遠回りなやり方だ。


『こ奴らは、何故面と向かっているのに当事者を置き去りにしておるのだ』


 呆れた様子のブランがアルの思いを代弁してくれた。それに無言で頷きながら、メイリンが用意してくれた紅茶を飲む。流石国のお姫様のもとに出されるお茶だ。華やかな香りが鼻を抜け適度な渋みもあって美味しい。これはメイリンの紅茶を入れる技術も相当優れたものだ。


「コメの栽培についてなのだけど」

「はい。何か問題がありましたか?」

「いえ、問題ではないのだけど。いつも私の研究に付き合ってくれている農民に話をしたら、コメは一度温室で苗にしてから耕作地に植える方がいいのではないかと言われたのよ。コメを少し蒔いてみたら、すぐに鳥がやってきて食べてしまうらしくて」

「ああ、そうなのですか」


 どうやらコメの種は鳥に人気の食べ物になってしまうらしい。では、魔の森に蒔いたものも芽が出る前に食べられてしまっているかもしれない。


「その農民にコメの苗を育ててもらうよう依頼をしているわ。だから、コメの栽培は一応進めているのだけど、追加で何か注意事項はないかしら?」

「そうですね……」


 ソフィアに聞かれて改めてアカツキの手紙に書かれていたことを思い返してみるが、特にそういった記述はなかったはずだ。そもそもアカツキは超速で作物が生育するダンジョン内での栽培法しか知らないのであまり当てにならない。


「ないようだったら、農民の経験に委ねるしかないわね」

「お役に立てず申し訳ありません」

「いえ、手探り状態なのは最初から分かっていたからいいのよ」


 アカツキから託されたコメ栽培に関する知識はあまり多くない。ソフィアに協力するよう契約を結んでいるが、あまりアルにできることはない気がする。コメの種提供者としてある程度経過を見守ることは義務かもしれないが。


「では、今後の予定を話しましょう。……昨日はその話を出来なかったから」

「ソフィア様が違うことに注意がいってしまったからですね」

「……それは悪かったとは思っているわ」


 昨日話をまとめずに打ち切ってしまったことは一応反省していたらしい。気まずそうな表情になったソフィアが小さく謝ってくるので、アルはすぐに受け入れた。


「コメ栽培は苗が育つまでとりあえず様子見をして、その後耕作地の状態を一緒に確認してもらいたいの。だから定期的に連絡を入れるわ。貴方も冒険者活動があるでしょうし、コメ栽培ばかりに関わっていられないでしょう? ……結界魔道具の研究には協力してもらいたいけれど」

「……分かりました。では、しばらくはこちらに来なくて良いということですね」

「いえ、だから、魔道具の研究への協力を――」

「それは、アル様に指名依頼を出して、受諾された場合です」

「ここで意思を確認しておけば二度手間にならないじゃない」

「ソフィア様に面と向かって頼まれたら、たとえ嫌でも断りにくいですよ」

「……そうなのかしら?」


 ヒツジが頑なに冒険者ギルドを通して依頼するよう言っていたのはアルに配慮した結果だったらしい。主従だけで会話をして置いてきぼりにされていると思ったのはちょっと申し訳ない。


「呼び出しておいて申し訳ないけれど、コメ栽培についてはこれくらいねぇ」


 本当に昨日のうちに話すか、宿へ連絡を寄こすくらいで済む話しかしなかった。まあ、改めてアルにコメ栽培の知識を聞くという目的もあったようなのでいいのだが。


『……完全に無駄足ではないか。今日は何のために呼び出されたのか』

「耕作地に行ってコメ蒔きを確認するためだったんだろうけどねぇ」


 ぼやくブランにアルも小声で返す。確かに無駄足だった。


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