第84話 実は知らない
冒険者ギルドの前までやってくると、昼過ぎであるからか中にはほとんど人がいなかった。カウンターの奥で暇そうにしていたギルド職員が、ギルド前で足を止めたアルを不思議そうに見ているのに気づいて中に入る。
「こんにちは。当ギルドは初めてのご利用ですか?」
「はい。従魔も一緒で大丈夫ですか?」
「そのサイズでしたら大丈夫ですよ。中型以上はギルド横の馬等の預け所でのお預かりになりますが」
カウンターに向かうとにこやかに微笑まれた。まだ若い女性だ。冒険者ギルドの受付に女性がいるのは珍しい。彼女は動物が好きなようで、ブランを見て愛想笑いではなく笑んでいた。
「私はリンシェイです」
「D級冒険者のアルです。リンシェイとは珍しい響きのお名前ですね」
「よく言われます。この国の昔ながらの名前の響きなんですよ」
リンシェイはそう言って肩をすくめた。どうやら彼女の父がこの国の昔の名前が好きで、こだわってつけた名前らしい。
アルのギルド証を確認したリンシェイは、出身国のところに目を止めて少し驚いた表情になった。グリンデル国からここまでくる人間は珍しいのかもしれない。
「このギルドの説明は必要ですか? 他の国との違いはあまりありませんが」
「そうですね……。この地方での薬草や魔物についての図鑑などはありますか? 依頼を受ける前に確認しておきたいのですが」
「ああ、それでしたら、あちらの図書スペースに用意してあります。ギルド外への持ち出しは厳禁となっておりますのでお気を付けください。ついでにご説明しますと、こちらのカウンターが依頼受付とギルド登録用で、この隣が依頼完了報告、その隣が解体依頼用になっています。解体依頼用のカウンターでも依頼完了報告は可能ですので、どうぞご利用ください」
「ありがとうございます」
それなりに大きなギルドなので、それぞれ二つずつ窓口がある。それでも夕方などはだいぶ混みあいそうだなと思いながらリンシェイに礼を伝えた。依頼をまだ選んでいないので、とりあえずカウンターから離れることにする。
リンシェイに教えられた図書スペースまで行くと、いくつか本が並んでいた。初心冒険者用の教本や周辺の魔物図鑑、薬草図鑑など興味深いものがそれぞれ数冊ずつ置いてある。どれも読み込んでみたいものだが、肩に乗っているブランが尻尾でバシバシ叩いてくるので断念した。
『早く依頼を受けて魔の森の探索に行くぞ』
「でも、知識を持ってから行った方が効率よくない?」
『ノース国では全く気にしていなかっただろうが』
「それは依頼を受けて特定の魔物とか薬草とかを探したわけじゃないし、定住するつもりもなかったし」
『本ならいつでも読めるだろう。今日はとりあえず魔の森に行くぞ。難しい依頼を受けなければ問題ない。そもそも探索できるのもあと数時間ほどだろう? 本を読みたいなら、ここにある本くらい、ソフィアの元にあるんじゃないか? それを借りれば良いだろう』
確かに……と納得して、アルは図書スペースから離れて依頼書が張られた掲示板に向かう。こういったところの依頼は早朝に張り出されて、良い依頼はすぐになくなることが多い。今残っているのは冒険者たちが選ばなかった余りものだろう。良い依頼がなければ、今日は依頼を受けずに探索だけするというのもありだなと思いつつ眺めると、一つの依頼がアルの目を引いた。
「これは……なんだろう?」
『うむ?』
アルは依頼書を手に取って、詳細を確認してみた。依頼書には〈魔物の生け捕り〉と書かれていて、詳細部分に〈森蛇、あるいは角兎の生け捕り。生態観察のため〉と書かれている。依頼者は匿名。
「……魔物を生け捕りって、誰がこんなことを?」
『あれだな。ソフィアのような研究馬鹿がいるんじゃないか?』
ブランが心底呆れたように言う。アルはその言葉に苦笑しつつ、内心で頷いていた。そんな人間でないと、魔物の生け捕りなんてこと考えないだろう。アルがブランを連れているように従魔にするならいいが、野生の魔物を生きたまま捕まえるなんて本来難しい。
「……でも、気になるな。どういう研究をしているんだろう」
『ソフィアに聞けば何か分かるかもしれんぞ。同族同士付き合いがあるかもしれん』
「ソフィア様は一応この国の一の姫だからね? 本来そう簡単に会えないんだよ?」
『知らん』
ブランは本気でどうでもよさそうだ。それよりも、アルがその依頼を受けるつもりなのかと、正気を疑うような眼差しで見てくる。
アルはその視線に完璧な笑顔を返して、依頼書を手にカウンターに向かった。
『……本気か。本気でそんな奇天烈な依頼を受けるつもりか。大体、どうやって魔物を捕らえるつもりなのだ。なんの準備もしていないだろう』
準備をしさえすれば魔物の生け捕りくらい楽にこなせるだろうという信頼が暗に感じられる言葉に、アルは少し嬉しくなりつつアイテムバッグから一抱えの籠を取り出した。
「実はね、アカツキさんのところでスライムに会ったでしょ? その子たちを外に連れ出せないかなって思って、魔道具を作ってみていたんだよね。でも、スライムを連れ出しても騒ぎの元になるかもって思って実行していなかったんだけど」
『……なぜそんなことをしようと考えるのだ。連れ出すにしても、そもそも従魔にすれば良かろう』
ブランがため息をついた。その息が耳をくすぐってこそばゆい。カウンターが近づいてきたため、リンシェイに聞こえないくらいの小声になってブランに答える。
「……実はね、ブランのことを皆に従魔って思われているから言えなかったんだけど、僕魔物を従魔にする方法を知らないんだよね」
『……は?』
実に間抜けな表情だなとブランを観察した。口をぽかんと開けて、目を見開いている。でも、アルが言ったことはそこまで不思議なことではないはずだ。そもそも従魔を連れている人が珍しいのは、その方法があまり知られていないからなのだ。従魔を得る方法は、師から弟子に伝えられたり、親から子に伝えられたりと、基本的に狭いコミュニティーでしか知る術がない。生まれが貴族であるアルには、当然そういったコミュニティーとの接触はなく、従魔術も知らなかった。
「だから、これで捕まえるの」
『……お前、我を従魔にした方法を聞かれたらどうするつもりだ?』
「えー? 秘匿事項です、でいいんじゃない? これまでそういうこと聞いた人いなかったでしょう? それは従魔術には秘密がたくさんあることを知られていて、それを聞くのはマナー違反だってことも知られているからなんだよ」
『そうなのか……』
なんだか納得しがたいという表情で頷かれたが、もうすぐカウンターに着きそうだったので会話を打ち切った。
「この依頼を受けます」
「……この依頼、ですか?」
「はい」
リンシェイからも正気を疑うというような眼差しを向けられた。遺憾の意。ギルドがきちんと受け付けた依頼を、冒険者が引き受けるというのになぜそんな眼差しを向けられないといけないのか。
アルが片手に持っている籠を見てリンシェイが首を傾げた。この依頼を受けるのかと再び確認してきたので、当然というように頷いた。
「……従魔術ではなく、その籠で捕らえるのですか?」
「従魔にした子を提出するって酷すぎません?」
「それは、確かに……」
でも、そんな籠で魔物を捕まえられるのかと不審に満ちた眼差しを向けられる。ギルド側も危険性がある状態で魔物を持ち込まれても困るのだろうと理解はできた。でも、今日は時間もないし、魔道具について詳しく説明する時間は取れそうもない。魔の森を探索するなら、暗くなる前に帰ってきたいのだ。
「これは魔道具なんです。仕組みについては帰ってきてから説明するので、とりあえず依頼を受け付けてください」
「……もし生け捕りにされた魔物を連れ込んで周りに被害が出たら、アルさんの責任になりますよ?」
「承知しています」
「……わかりました」
なぜこの子はこんな地雷依頼を受けるのかと言いたげな表情だが、そんなことを思うならそもそもこの依頼を張り出さなければ良いのにと思う。依頼者からの依頼を断ることはギルドに許されている権利だ。その権利を執行していないなら、この依頼は問題ないと判断されたもののはずだ。もしかしたら、依頼者があまりに強い権力を持っていて、依頼を断れなかったという可能性もあるが。
「……依頼を受理しました。お気をつけていってらっしゃいませ。一応、魔の森側の門兵には、魔物を生け捕りした冒険者が来るかもしれないと通達しておきますね」
「ありがとうございます」
騒ぎにならないように配慮してくれるというリンシェイに感謝して、アルはようやく魔の森探索に向かうことにした。
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