第83話 ツンデレさん

 アルがうつらうつらとなりかけたところで、人が近づいてくる気配を感じた。目を開けると微笑まし気な眼差しのメアリーがトレイを手にやってきていた。


「お待たせしてしまったかしら。小籠包セットよ」


 薄い木板で編んだような入れ物の中にいくつも白いものがあった。湯気が立ち上り、良い匂いがする。その他にスープやサラダなども並べられて、思っていたよりボリュームがあった。


「うちのメニューはちゃんと専属の料理人が作っているから味の保証はするわ」

「確かに美味しそうです。……ブラン、結構熱そうだから気を付けてね」


 メアリーの他にも料理専属の人がいるらしい。アルがいる位置からは調理場が見えなかったからどういう人かは分からないが、奥に人がいる気配は感じていた。この店はその人と二人で切り盛りしているのだろう。客は今のところアルしかいないようだし、新規客もなかなか来ないとメアリーが言っていたから、なかなか経営が大変そうだなと思う。


「ブラン君の方はちょっと冷ましているわよ。熱いと危ないと思って」

『うむ。丁度良い感じだな。肉汁たっぷりで旨いぞ!』


 早速食べていたブランが満足そうに尻尾を振る。ブラン用のものは皿にのせられていて、手が使えなくても食べやすいようにしてくれていた。熱調整までしてくれていたようなのでアルの方から礼を伝えておく。


「にゃー」

「こら、これは君の分じゃないよ?」


 メアリーに小籠包の食べ方を教えてもらう。小さなトングを使ってスプーンに小籠包をのせ、タレと薬味を添えて口に運ぼうとすると、膝で微睡んでいたはずのノアがにゅーんと伸びて首元に寄りかかってきた。口を小籠包の方に向けているので、これは確実に盗み食いをしようとしている。


「あらお腹が空いたのかしら?」


 メアリーが手を伸ばして、ノアの抵抗をものともせず抱き上げた。じたばたと暴れているノアには悪いが、今は小籠包を味わうのを優先させてもらおう。そうしないと自分の分を食べきったブランに横取りされてしまう。


「あ、美味しい……」


 口に入れた瞬間に広がる肉汁。小さな皮の中に、これほどの旨味がつまっていたのかと驚くほど、芳醇な肉の旨味と野菜の甘みが口の中を満たした。少し熱いが食べられないことはなく、むしろもうちょっと冷えてしまったら旨味も減少してしまいそうだと思って、その後は無言で食べ進めた。

 皮に包まれているのは肉が主のものやエビなどの魚介類が主のものがあり、一つとして同じ味ではなく、どれを食べても新鮮な驚きがあった。メアリーが自信を持って味の保証をしただけあって、一品ずつに料理人のこだわりが感じられる。

 添えられたスープも少しの辛みがありつつも卵でまろやかにしてあり、奥深い旨味があった。これは肉を煮込んで出汁をとっているのかもしれない。サラダは魔の森産の山菜などをメインにしてあり、少し癖のあるものもあったが、セサミオイルを使ったドレッシングで美味しく食べられた。


「美味しかった……」


 ぽつりと呟くころにはほとんどを食べきり、残すのはデザートのみ。白くプルンとしたものに品良くフルーツが飾られた器に手に取る。それは屋台で食べたものと似ていた。


「アンニントウフ?」

「ええ。杏仁豆腐と言う人が多いけれど」

「屋台で食べたことがあるんですが、これは……より美味しい……」


 滑らかな舌触りに濃厚なミルク感、少し癖のある風味。屋台で食べたものより数段質の高い絶品スイーツだった。


『旨いな!』


 ブランもこの店での食事にだいぶ満足しているようで、ご機嫌に尻尾を振りながら杏仁豆腐を味わっていた。


「すごく美味しかったです」

『旨かったぞ! もっと食えるが……』


 ちらりとブランから向けられた視線に気づかないふりをしてメアリーに微笑みかける。


「もしかして、ここの料理人さんは名の知れた方なのですか?」

「ふふ、分かっちゃうかしら? 以前は城で働いていたのよ。私が猫たちと食堂をすると言ったら、城での仕事を辞めて来てくれたの」


 幸せそうなメアリーの表情を見て、その料理人との関係性を察した。


「素敵な方ですね」

「ええ。私には勿体ないくらい」

「でも、これだけ料理が美味しいと分かればお客さんも増えそうですけど」

「そうねぇ。私は猫たちにストレスなく過ごしてほしいから、料理目当てだけの人に来てもらいたいわけじゃないのよね」


 困った表情をするメアリーは、店の中で思い思いに寛ぐ猫たちを見て微笑む。店の経営より、店の料理が認められることより、猫たちと過ごすこの空間を愛しているのだとその表情が物語っていた。

 アルはこの店の部外者でしかないのでそれをどうこう言うつもりはない。だが、これほど癒される空間と美味しい料理があまり知られていないのは少し勿体ないと思っただけだ。


「じゃあ、時間があるときはまた来ますね」


 再び膝に戻ってきたノアを撫でながら言うと、嬉しそうに微笑まれた。


『ここの飯は旨いからな。猫どもは鬱陶しいが仕方あるまい』


 フンっと言い捨てるブランだが、グレーの猫がその背に乗りダラッと寛いでいるのを見て、アルは思わず噴き出した。偉そうな物言いと相反するなんとも和む可愛らしさだ。食事に集中している間に上に乗られてしまったらしい。


「グレイ、お客様の上でそんなに寛いじゃって……。ブラン君、重くない?」

『重いぞ! さっさと退けろ!』

「懐いているから移動させるのも可哀想ねぇ」

『何を言うのだ⁉ 我はベッドではないぞ!』


 微笑まし気なメアリーの言葉を聞いて、ブランが衝撃を受けたように固まり、その後すぐにキャンキャンと鳴きながら猫を振り落とそうと体を揺らした。だが、猫に怪我をさせないように躊躇いがちであったので、猫は不思議なほどの安定感でブランの背にくっついている。


「しょうがないなぁ」


 次第に揺れが大きくなってきて、さすがに猫が危ないだろうとアルが手を伸ばすと、その手に向かって猫パンチが炸裂した。爪を立てていないので痛みはないのだが、ぺちっと叩かれて動きを止める。ブランのパンチと違って、なんて可愛らしい威力なのだろう。


「にゃお」

「にゃー……」

「にゃん」

「みー……」


 アルがグレイに叩かれたことをどう思ったのか、膝で寛いでいたノアが立ち上がり、グレイに向かって一鳴きした。グレイがシュンと尻尾を垂らし名残惜し気に鳴くが、更にノアに鳴かれると、諦めたようにブランから下りる。ノアは猫たちの中ではボス的な立場なのだろうか。グレイが離れたのを見ると、ノアは再び膝で寛ぎだした。


「……あらまぁ、猫が説得されているのを見たのは初めてよ」

「僕もです。というか、これは説得でいいんですよね? そうとしか見えなかったんですけど、猫ってこんな風に鳴き声で会話するものでしたっけ?」

「そうねぇ、私も猫語は分からないから何とも言えないけれど、そうとしか見えないからそれでいいんじゃないかしら?」

『我は離れてくれればそれで良い』


 メアリーとアルの会話を聞いて尻尾を振ったブランは、グレイが再び遊んで欲しそうにしているのをかわすためか、アルの肩に跳びのってきた。そういえば、だいぶ長居してしまった気がする。


「じゃあ、そろそろ行こうか」

『うむ』

「あら、そうなの? もっとゆっくりしていってくれても構わないのに」


 残念がるメアリーに滞在の礼を告げて立ち上がる。


「あ、もしよければなんですけど、料理人さんにお時間があるときに、この国の料理を少し教えてもらえませんか?」

「え? 料理を?」

「はい。すごく美味しかったので、ぜひ自分でも作ってみたくて。この国の料理ってちょっと不思議なものが多いので、どこかで調べようと思っていたんですけど、できれば今まで食べた中で一番美味しい料理を作っている方に教えてもらえれば嬉しいなと」

「まあ! そんなに彼の料理を気に入ってくれたのね。きっと喜ぶわ。……そうねぇ、絶対とは約束できないし、いつとも今のところ分からないけれど、時間があるときに教えられるかもしれないわね」

「本当ですか⁉ ありがとうございます!」


 不意に思い立ってお願いしてみると、期待が持てる答えをもらえた。この国の料理をもっと知りたいと思っていたからとても嬉しい。満面の笑みで礼を伝えると、メアリーに茶目っ気のある表情で微笑まれた。


「だから、絶対にまた来てちょうだいね! ここの猫たちともっと触れ合ってもらいたいわ」

「分かりました。絶対に来ます」


 結局今日はノアとグレイとしか触れ合っていないが、アルたちを好奇心いっぱいの目で見ていた猫たちは他にもいた。次の機会ではもっと時間をとって触れ合おうと思う。


『アルが作れるようになれば、ここに来なくとも旨いものを食えるな!』

「そう言って、実はグレイともっと触れ合いたいくせに」

『そんなわけがなかろう⁉』


 キャンっと鳴いて抗議されるが、アルはブランがグレイを尻尾で優しく撫でていたのを見逃していなかった。あまりくっつかれるのも懐かれるのも嫌なようだが、その存在自体を嫌っているわけではない。ブランは強い魔物だが、高い知能を持っていて、弱いものを慈しむ心も持っている。

 抗議し続けるブランの頭を撫でて宥めながら、アルはメアリーに別れを告げて店を出た。


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