第82話 にゃんにゃん食堂

 カランコロン――――

 扉を押し開くと、軽やかな音とともにたくさんの視線がアルたちに寄せられた。興味津々に輝く瞳や警戒心を露わにした瞳。様々な感情を向けられる中、アルはその店内の雰囲気に感心した。木の温もりが感じられる内装で、落ち着いた色合いの家具類が置かれている。動物がいるにしては清潔で気になる匂いもほとんどない。ここの店主は清掃に人一倍気を使っているのだろうと分かる。


「いらっしゃいませ。お一人ですか?」

「一人ですが、従魔も一緒です」

「あら、……森狐、かしら? 可愛らしいですね。ご一緒にどうぞ」


 カウンターに立っていた女性がブランを見て相好を崩しつつ、店内の一角にあるソファ席へと案内してくれた。それにつられてたくさんの視線も移動する。アルはその視線の持ち主たちを見て微笑んだ。


「こちらは猫と穏やかな時間を共有するというコンセプトの食堂です。猫たちが自由気ままに近寄ってくることがありますが、大丈夫ですか?」

「はい。可愛らしい猫たちですね」


 女性が説明してくれている間にも、一匹の猫がひょいっとソファに上り、アルの膝に落ち着いていた。その艶やかな黒い毛並みをゆったりと撫でる。


「ありがとうございます。……申し遅れましたが、私は店主のメアリーです。この猫たちは食堂のスタッフたちなので、ぜひ可愛がってください」


 ふわりと微笑んだメアリーは、茶色の瞳を俯けてアルの前に一枚の紙を置いた。そこにはこの店のシステムが書かれていて、下の方に署名欄がある。動物と一緒に食事を楽しむ場所ということで、あらかじめしっかり説明して同意をもらうことでトラブルを防いでいるようだ。


「食事はどのメニューも一律の値段です。猫たちとの触れ合いもサービスの一環になっていまして、この砂時計が落ちきるまでは食事料金だけで滞在できますが、それ以上滞在される場合は、こちらの砂時計一回につき銀貨一枚がかかります。猫たちがともにいることで、この紙に書いてある通りの問題が起こることがあります。ご同意いただけましたら、下の方に署名をお願いします」

「分かりました」

『飯を食う場所なのに、何とも手間がかかるものだ』


 ブランが呆れている声を聞きながら、紙に書かれている文を読んで署名する。ブランは面倒そうだが、食事の場に動物を連れ込むためにはこれくらい念を入れなければならないのだと改めて実感できた。今後はブランを連れて店に入る場合はもっと気を付けようと思う。ブランが肩に乗っているのに慣れすぎて、今まで配慮が足りなかったと反省した。


「ああ……、よかったぁ。なかなか新規のお客さんが来ないから、どうしようかと……」

「そうなんですか?」


 これまでの丁寧な雰囲気が薄れて、安堵感いっぱいの表情で紙を受け取るメアリーを、アルは首を傾げて見上げた。

メアリーは思わず本心が出てしまったのだろう。少し気まずそうに口を手で隠している。だが、既に出てしまった言葉は取り返せないので、諦めたように微笑んだ。


「動物と一緒の食堂を嫌がる方は多いんですよ。食事をとるだけなら、美味しいお店もたくさんありますし、この店はちょっと奥まったところにあるのもあって、なかなか常連さん以外はいらっしゃらなくて」

「なるほど。……猫たち、可愛いのに」

「ですよね! もう猫たちは可愛くてしょうがないですよ! 魅了のスキルを持っているのかもしれないわ」

「そ、そこまでは……」


 急に熱量を増したメアリーから少し身を引く。今日はこんな調子で人に詰め寄られることが多いなと思いつつ、撫でろとばかりに押し付けられた黒猫の頭をクシクシと撫でた。それを見たブランが尻尾をゆらりと揺らし、アルの頬に頭を押し付けてくる。まさか、これは猫に嫉妬した故の撫でろというアピールだろうか。その白いふわふわの頭もいつものように撫でてやると、満足そうに尻尾を振った。


「あらあら、まあまあ……」


 アルたちの正面にいたメアリーにはブランの様子がよく見えたようで、微笑まし気に眺められた。それに気づいたブランがプイっとそっぽを向き、ソファの座面にひょいっと下りる。アルの膝の上にいる黒猫とブランがじっと見つめあった。体格はブランの方が若干大きいが、黒猫に臆する様子はない。なかなか図太い神経の持ち主のようだ。


「その黒猫はノアといいます。怪我していたところを保護した子なんですが、普段はあまり人に懐かないんですよ。こんなに人の膝の上で寛ぐなんて珍しいわ……」

「へぇ」


 メアリーの紹介を聞きながら黒猫を見下ろすと、その視線を感じたのか金の瞳が見上げてくる。軽く首を傾げた後、再び膝で寛いだ。既にブランのことも気にしていない。それを見るブランが不機嫌そうに尻尾を揺らしたが、特に何を言うでもなく、テーブルに置かれたメニュー表を覗き込んだ。


「あら、いけない。ご注文がまだだったわね。今日のおすすめはこの小籠包セットよ」

「ショウロンポウ?」

「ええ。いろんな具材を小麦の皮で包んで調理したものよ。デザートもついているわ」

「なるほど。では、その小籠包セットを……三人前でお願いします」


 二人前と言いそうになったが、ブランの期待に満ちた眼差しを受けて変更した。ブランはアルよりも何倍も食べるので、それでもまだ足りないかもしれない。


「育ちざかりね」

「いや、僕は一人前で、このブランが、二人前は食べると思うので」

「あら、あなたブランっていうのね。素敵な名前。では、二人前はあなた用に用意するわ」


 メアリーの誤解を解くために説明すると、驚いた表情を見せたが、すぐに微笑んでブランの頭を撫でようとした。しかし、ブランはその手を避けるようにソファの奥へと戻ってしまう。アルが慌てて謝ろうとすると、メアリーの方から謝られた。


「ごめんなさいね。不躾に触れようとしてしまったわ」

『我は犬猫ではないのだぞ』

「ふふ、高貴な雰囲気の子ね。……すぐ料理を用意するわ。それまで、ぜひ猫たちとの触れ合いを楽しんでね」


 メアリーが去っていくのを見ることもなく、アルはブランを凝視していた。その視線を受けたブランが不審そうに見上げてくるが、じっと見つめたまま首を傾げる。


「高貴……?」

『我は高貴な生き物であろうが!』


 納得いかない気持ちのままこぼした言葉は、ふわふわの尻尾の一撃と共に否定された。その一撃を受けても、ブランが高貴な存在だと肯定できない。だってこんなに食い意地が張っていて、怠け癖のある生き物が高貴だなんて思えないのだ。


「にゃあ」

「お前もそう思うよね」


 ブランを見て呆れたように鳴くノアに頷くと、今度はパンチがやってきた。思った以上に痛い。本気で機嫌を損ねてしまったようだ。


「にゃんっ」

『なんだっ⁉』


 どう機嫌を回復させようかと考えていたら、突如ブランが跳び上がってソファの背もたれに避難した。その尻尾の先にグレーの毛並みの猫がぶら下がっている。ブランはそれを落とそうと尻尾を振るのだが、予想外に強くしがみついているのか、一向に下りる気配がない。爪もたてられているようで、ブランが顔を顰めていた。


『おりろ! 落ちろ! 離せ!』

「ちょっと、ブラン、あんまり乱暴にしても、余計離れないと思うよ」


 ブランがぶんぶんと尻尾を振るせいで、白い毛が宙に舞っている。さすがに食堂でそれはダメだろうと思ったので、アルはブランの尻尾を優しくつかんで、そこにしがみついている猫をソファに下した。小さな手を掴んで尻尾を離してもらう。


「にゃあ……」


 猫なのにとても感情豊かな表情で残念そうに鳴かれた。その頭を撫でてやるが、灰青の瞳は依然としてブランの尻尾を狙っている。とにかくその尻尾が気に入ったらしい。ブランが尻尾を体に巻き付けて避難した。


『だから猫は嫌なのだ。我に気軽に触れるとは』

「ふふ、よほど気に入ったんだろうね」


 ブランは言うほど嫌なわけでもなさそうで、ちらちらと猫の様子を気にかけている。たまにそろりと尻尾を垂らし、跳びかかってくる猫をさっとかわして遊んでいた。アルの膝にいる黒猫は、その騒がしいやり取りを全く気にせず、緩やかに尻尾の先を振りながら微睡みの中にいる。


「……なんか、平和だなぁ」


 これまでで一番のんびりした時間を過ごしている気がする。カーテン越しに感じる暖かい日差しも相まって、淡い眠気がやってきた。


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