第79話 特殊な国土

 ソフィアがコメを試食して納得したところで、漸く実際のコメ栽培事業についての話に入ることができた。ソフィアがコメの種となる、殻を被った状態のものを手に取ってじっと見つめる。


「これを植えるのね……。土壌がどういったものが良いかは教えてもらえるのかしら?」


 ソフィアから期待に満ちた眼差しを向けられるが、アルは少し困った。アカツキから聞いた栽培方法はあまり詳しいものではないし、ダンジョン外で上手く育てられるかはまだ分からないのだ。


「これを育てている方の環境は少し特殊なもので、どういった土壌が適しているかは分からないのです。水場等の水分が多い土が適しているのではないかとは聞いています」

「そうなの……」


 戸惑った表情を浮かべたソフィアがヒツジに指示を出して国内地図を持ってこさせる。ヒツジが持ってきたのは驚くほど緻密に線や文字が書かれた地図だ。土地の起伏やその土地の性質などが細かく記されている。はたしてこれほどの地図を部外者のアルが見てもよいものかと躊躇っていると、それに気づいたソフィアが微笑みかけてきた。


「この地図は私が作ったものなのよ。所々で私しか分からないように誤った情報も混ぜているから、どうぞ貴方も遠慮なくご覧になって」

「そうなのですね」


 ソフィアのおかげで躊躇いは消えたが、これほど緻密な地図を描くというのはどういう技術によるものだろうかと新たに興味が湧いてくる。おそらく何らかの魔道具を使って描いたものだろうが、アルにはその方法が全く分からなかった。


「水場というと……近くに大きな湖があるわ。国内で食べられる魚介類はそこで獲られたものが多いのよ。でも、こうした作物を育てる場所があるかしら。湖周辺は大公の直轄地になっているから申請するのは簡単なのだけど、許可が下りるかは難しいところね……」

「なるほど」


 アルも地図を見せてもらったが、確かにこの都のすぐ近くに大きな湖が描かれていた。その他にめぼしい水場は見当たらない。湖周辺を大公閣下の直轄地としているくらいだ。その湖で獲れる魚介類はこの国において大きな価値があるものなのだろう。

 そこまで考えたところで、アルはふと湖とは都を挟んで反対側にある場所に目を止めた。そこは詳しい地形等は描かれておらず、文字だけで様々な情報が書かれている。その中の一文に『浅い水場で葦科の植物が自生』と書かれたものがあった。


「ここは魔の森ですか?」

「ええ。魔の森は地形を読み取ることができなくて、詳しい情報がないのよ。そこに書いているのは、冒険者に調べてもらった情報ね」


 ソフィアが不思議そうに教えてくれるが、アルの中では様々な思考が巡っていて、返答するのが遅れた。


「――ちなみに、ソフィア様は、魔の森で作物を栽培することについて、どう思われますか?」


 アルがそう口にした瞬間に、ソフィアの目が大きく見開かれた。ハッと息をのみ、そのあと地図上の魔の森が位置する場所をじっと見つめる。ソフィアの傍にいるヒツジがギョッとした様子でアルを凝視して、顔を真っ青にした。口をパクパクと動かして手をさ迷わせている。動揺させてしまったようだ。アルはその理由を察して少し申し訳なくなる。


「……いいわね。魔の森で作物栽培。丁度良く水場もあるようだもの。でも、この水場の正確な位置は分からないし、魔の森という場所で作物を育てられるかも分からないわよね」

「魔の森での作物栽培は可能だと思います」


 自問自答している様子のソフィアにアルはそっと助言した。ソフィアが驚いてアルを見つめる。

 そもそもコメはアカツキが管理するダンジョン内で創られ育てられていたものだ。魔の森もダンジョンという性質を持つ場所であるのだから、コメを栽培することができないということはないだろう。それにレイのもとからも手紙が届いていて、魔の森内で作物栽培をすることは小規模であれば成功しているということも知っていた。


「――ですが、ここで大きな障害になるのは、魔物という存在です」

「そうね……」


 魔の森がどうして人によって開拓されないのか。その最も大きな理由が、魔物が多く生息していることだ。そしてその魔物たちは積極的に人を襲う。昼夜なく魔物が襲ってくる中で森を開拓するのは困難だ。

 ソフィアが静かに考え込む。その瞳は知性で輝き、自身がこれまで得てきた知識全てを動員して、この難問に立ち向かおうとする強い意思を感じられた。


「ソフィア様、駄目ですよ。貴女を魔の森なんて場所に赴かせることはできませんからね」

「……私、まだ何も言っていないわ」


 不意に顔を上げたソフィアがヒツジに視線を向けると、ソフィアの言葉を先回りするようにヒツジが険しい顔つきで告げた。ソフィアが拗ねた表情になってヒツジを見つめる。しかし、ヒツジは慣れた様子でその眼差しを受け流していた。


「きっとソフィア様は魔の森での栽培なんて考えたら、まずは魔の森について自分の目で確かめたいと言うだろうと思っておりました。ですが、絶対にそれはなりませんよ。貴女は大公閣下の一の姫。そのような場所に行かれることなど許されるわけがありません。それならば、この湖周辺の土地を利用する許可を得る方が容易です」

「……それはそうだけど」


 厳しいまなざしにソフィアは不服そうに呟き再び地図に視線を落とす。アルはそんな二人の様子を見て、やはり王侯貴族という立場は面倒なものだなと改めて思っていた。


『魔の森に行くことの何がいけないのか分からん。この娘の防御魔道具は良い出来のようではないか。魔の森の浅地を探索するくらいなら、魔物が出てきたところで支障はあるまい』


 不可解そうにソフィアとヒツジのやり取りを見つめるブランの頭をそっと撫でた。アルにはヒツジの気持ちが分かる。王侯貴族の令嬢が、冒険者が闊歩する魔の森を探索するなんて忌避されることだからだ。基本的に令嬢たちは自分の足で外を歩くことはほとんどない。歩くのは屋敷や城の中などであり、それ以外の場所は馬車を使うのが当たり前だ。


「……では、魔の森での栽培はひとまず置いておいて、国内での栽培について考えましょう。湖近辺を第一候補として、後は井戸水や魔法で生み出した水などで作り出した人工的な水場も利用可能かと思います」


 アルがヒツジの思いを汲み取って提案すると、ソフィアが僅かに眉を顰めた。どうやらアルの提案は気に食わなかったらしい。魔の森での栽培をもっと後押ししてほしかったのかもしれない。だが、ヒツジがほっと表情を緩めたので、アルは苦笑した。その直前まで敵を見るような目で見られていたからだ。


「国内での栽培は、それはそれで問題が多いのよ。新たな耕作地を作るとなれば、年単位で時間が必要かもしれないわ……」

「え?」


 ソフィアが沈んだ表情で呟く。アルがそれに疑問を示すと、ヒツジが困った様子で解説をしてくれた。


「この国は国土全体が金気を帯びており、作物のみならず、木々や花々も生育しにくい土壌です。都内で生育している木々の多くは鉢植えで土壌を人工的に改良してあるものであったり、地植えの木々はソフィア様が作り出した魔道具を用いて土壌を改良したものだったりが多いのです」

「国土が金気……」


 リアムもそのようなことを言っていた気がする。そのせいで国内での穀物栽培もままならないのだと。そうであれば、新たな耕作地を作るには、その土壌改良に時間をかけなければならない。鉢植えという手もあるが、その場合でも多量の土が必要となる。それも難しいだろう。


「馬車の中から見たのですが、街路沿いの木々の根元付近に魔道具が刺さっているものがありましたね」

「ああ、それがソフィア様が作り出した魔道具です。土中の金気を除去して木々の生育に適した土に変質させる作用があるのです」

「魔道具で土壌を改良しているならば、ずっとそれを置きっぱなしというのは何故なのですか?」


 魔道具で一度土壌を改良させたならば、それをずっと作用させるのは魔力の無駄遣いだと思う。定期的に魔道具を使って土壌を調整するくらいで十分だと思うのだが、アルが見た魔道具は常時発動型のように見えた。

 アルがそのことを指摘した途端、ヒツジが困ったように眉を下げた。


「……この国の国土は、常に金気を帯びるように変質し続けるの。一度魔道具を発動させて金気を除去したところで、すぐに土壌は元に戻ってしまう。ですから、魔道具は常時発動させなければ、植物の生育に適さないのよ」

「金気を除去してもすぐに元に戻る……? そんなことが起こりえるのですか?」


 口ごもったヒツジの代わりにソフィアが静かに返答する。その言葉にアルは更に疑問を抱いた。金気を人工的に除いたとして、土壌がすぐに元に戻ることは常識的に考えてありえないからだ。


「……ええ。この国は特殊な土地だもの」


 ソフィアはそれだけ言って口を閉ざした。それ以上の理由を語るつもりはないようだ。アルはソフィアたちが隠す事情が気になったが、自分が足を踏み入れてよい所ではないと判断して、話題をもとに戻すことにした。


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