第80話 振り回される者の嘆き

「継続して魔道具を発動させないといけないとなると、国内で新たな耕作地を用意するのは難しいですね。さすがに僕も何年もこの計画に関わるつもりはありませんよ?」

「分かっているわ。元々は既に魔道具を設置して開墾されている土地で栽培を試みようと思っていたのだけど、コメというのが思ったより特殊な土壌を必要としていそうなのよね。水分を多く含んだ耕作地はさすがに国内にはないわ」


 ソフィアが困った様子で頬に手を添えて首を傾げる。魔道具研究だけでなく作物栽培にもこれまでに多く関わっていたようなので、作物栽培の研究用の土地も持っていたのだろう。コメ栽培もその土地のうちのいずれかを用いるつもりだったようだが、水場という条件が適合しないようだ。


「では、その既に開墾されている土地を井戸水か魔法による水を用いて適したものに変えればよいのでは?」

「そうね……。どの程度の水分量が必要かは分からないけれど、小規模なものであればできるわね」


 ヒツジの提案にソフィアが小さく頷く。だが、アルの目には、彼女があまり納得していないように見えた。


「この国で用いている水源のほとんどは湖のものなの。その周囲の耕作地は既に他の作物栽培に使われていて空きはないのよね。井戸水は生活用のものばかりで栽培用に大量に使える量はないし、魔道具で水を確保するのもたくさん数が必要になってしまうわ。そこまで手を掛けたら、栽培にお金がかかりすぎてコメを国内で普及させるのは難しいわね。父様はリアム様が所望の分だけ栽培できれば良いとお考えなのかもしれないけれど」

「なるほど。試しに作ってみる程度のことはできますが、その後のことを考えると、より安価で栽培できる方法を考えた方が良いということですね」


 アルの疑問に気づいたソフィアが、正直に心情を教えてくれた。彼女はコメ栽培をリアムの為だけでなく国民に普及させる形でやりたいと思っている。それには、コメを作る過程もその後の流通を想定して試みなければならないのだろう。


「水源となる湖近くに空いている耕作地はなく、他の耕作地では大量の水を調達するのが難しい。……コメを麦などと同じように水分量の少ない畑で育ててみますか?」

「それでコメの種を無駄にしてしまったら勿体ないけれど……。でも、やってみないと分からないものね。できる限り水やりをするようにして試みてみましょう」


 妥協の結論だが、ひとまず一般的な畑を使って少ない水分量でコメを育ててみることにした。

 ソフィアの目は依然として地図上の文字だけが書かれた空白地帯を見つめていたが、アルは気づかないふりをする。王侯貴族としては変わり者と言われるソフィアが何を考えているのかはなんとなく分かる。ソフィアの隣にいるヒツジが渋い表情をしていることからも、アルの予想は外れていないだろう。


「では、明日から畑での栽培ということでよろしいですか?」

「僕は構いません。今回ご用意した種を、その試作用にお使いください」

「ありがとうございます。明日の朝、宿の方へと迎えを送りますので、今後もご協力宜しくお願いいたします」


 ヒツジと明日の予定を話して、今日のところはここで話し合いを終えることにした。


「魔の森での魔物対策……。作物栽培をするなら、安定的にその被害を防がなければならない……。結界の魔道具かしら。でも、あれは強い魔物の攻撃を凌げるほどの強度を生み出すのは難しいわよね……。いえ、そこを研究するのが面白いのよ」


 ブツブツと呟いていたソフィアが瞳を輝かせて立ち上がった。既に視界にアルの姿が入っていないようだ。身を翻したソフィアがメイリンを連れて本棚の奥へと消えていく。

 アルはその姿をぽかんとして見送った。ヒツジが頭痛を堪えるように手を頭にあてている。


「頭痛が痛い……」

「頭痛がする、ですよね?」

「――はあぁぁ……。ソフィア様が失礼いたしました。ですが、こうなったのも貴方のせいですからね? 魔の森での作物栽培なんて、ソフィア様が興味を惹かれるようなことをおっしゃるから……」


 大きなため息をついたヒツジがジトリとアルを半眼で見つめる。よほどアルの提案が気に食わなかったようである。アルも少し反省した。生粋のお姫様に提案するべきことではなかったと改めて思ったのだ。


「申し訳ありません。ソフィア様がそこまで興味を持たれるとは思わなくて。でも、魔の森を作物栽培に活用できるようになれば、貴国の食糧事情の改善にも役に立ちますよね? ソフィア様が実際に魔の森に赴かれなくても、冒険者等を使って試みることを考えてみては如何でしょう?」


 何やら事情があって特殊な性質の国土であるようなので、アルが提案したことはこの国にとって有用なことのはずなのだ。魔の森はこの国の土壌とは性質が違うようで自然豊かだ。作物も良く育つだろう。ソフィアという魔道具研究に優れた人物がいるならば、レイが行っているよりも大規模にかつ安全に作物栽培が可能になる確率が高い。

 アルが窺うように提案すると、ヒツジが複雑そうに表情を歪めた。彼もその提案の有用性はしっかり分かっているようである。しかし、受け入れがたいものが大きいようだ。


「確かにそれは試みる価値があるでしょう。しかし、そのためにソフィア様が新たな魔道具を開発したとします。その結果、ソフィア様が魔の森に赴くことを妨げられるとお思いですか?」

「いや……、ヒツジさんたちが止めれば大丈夫では?」

「甘い! あまりにも想定が甘すぎる! アル様は知らないのですよ。ソフィア様が一度魔道具に熱中した結果どうなるかを!」

「はあ……?」

『こやつ、なんなのだ。急におかしく興奮しおって』


 急に拳を握って熱弁しだしたヒツジにちょっと引いた。ブランも奇妙なものを見る目でヒツジを眺める。そのあとすぐに机上に残されていたソフィアの分のお茶菓子をくわえてもぐもぐと食べだした。さっきから何かを狙っているなと思っていたが、お茶菓子を食べたかったらしい。ヒツジの熱気の被害にあっているアルを少しは気にしてほしい。


「ソフィア様は魔道具を作られたら、それがどういう風に作動するか確認せずにはいられないのです。かろうじて発動は我々に任せてくれますが、魔道具の作動を観察することは譲ってくれません。それがどこで使われるものであってもです。耕作地用の畑で金気除去魔道具を発動させたときは、わざわざ馬車から降りて、土を握って、更にサンプルを回収して……。それを見る私の気持ちが分かりますか⁉ 大公閣下の一の姫ともあろう方が、土を踏みしめその御手で土を握るんですよ? 私は切腹して大公閣下に詫びねばならないと覚悟を決めました」

「はあ……」


 今生きているのだから、その覚悟は必要なかったんじゃないかなと思うが、ヒツジの話す勢いは衰えず、アルは口を挟む隙を見つけられなかった。


「そもそも、本来姫君が魔道具を作るなんてこと許されないのですよ⁉ その御手で魔法陣を刻んだり、舞踏会にも出ずに研究所に籠ったり……。何度姫君らしくしてほしいと願ったことか。そうしたことをなさる度に、私は大公閣下になんと詫びれば良いのかと苦悩してきたのです」

「ソフィア様が魔道具を研究されることがお嫌ですか? 絶対に許せないこと?」

「姫君ならばっ」

「僕が聞きたいのは、一般的な常識に基づいた意見ではなく、貴方の思いです。貴方はソフィア様が魔道具研究をすることを心底厭っているのですか?」


 ヒツジが目を見開いて口を閉ざした。思いもよらないことを聞かれたと表情に書いてある。

 だが、アルとしてはソフィアが魔道具を作るというだけでここまで言われるのが少し納得いかなかったのだ。彼女は姫君としては破天荒でも、しっかり国の利益になるような功績を残し、国に貢献している。姫という身分だけでそれを周囲の人間に認められていないのはあまりにも可哀想だ。


「……いいえ。ソフィア様の才能は素晴らしいものです。姫という身分にさえ生まれなければ、もっと自由に研究し活躍できたことでしょう。それを申し訳なく思うこともあります」

「生まれた環境は変えられません。大公家に生まれたからこそ、ソフィア様の才能は芽生えたのかもしれませんし。でも、せっかく素晴らしい才能に恵まれたのです。姫君なのだからと咎めるよりも、活躍の一助となることを考えても良いのでは?」


 ヒツジが何か言いたげな表情で口ごもる。彼だって、ソフィアの才能は認めているのだ。おそらくずっとその才能に振り回されてきたから簡単に褒め称えるということができないだけで。


「……ソフィア様は社交界で爪はじき者です。多くの貴族たちから変わり者と思われて、嫌厭されています。私はそれが許せないのです。どの貴族よりもソフィア様はこの国貢献しておりますのに、貴族たちはそれを理解しません」

「別にソフィア様は貴族たちの理解を欲していないのでは? 大公閣下はソフィア様を認めているのでしょう?」


 さすがに大公閣下がソフィアの在り方を否定していては、ソフィアの現在の活躍はなかったと思うのだ。研究所を造り、城ではなくこの屋敷で暮らすことも許している。それは大公閣下からソフィアに贈られた応援でもあるはずだ。


「大公閣下は……変わり者姫とお呼びになりますが、ソフィア様の才能を大切にしてくださっています」

「分かってくれる人が分かっているならばそれでいいのでは?」


 首を傾げるアルにヒツジが顔を歪めた。


「……最も大きな問題があります」

「なんですか?」

「ソフィア様の嫁ぎ先がまっっったく見つからないのです! 私はいつまでソフィア様のお世話係をしなければならないのでしょうか⁉」


 アルは正直、「え、そこなの?」と言いたくなった。アルにそんなことを言われてもどうしようもないのだが、王侯貴族の令嬢にとっては大きな問題なのかもしれない。その御付きの者にとっても。


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