第76話 現実は予想を超える

 柔らかな日差しがレンガ造りの建物が立ち並ぶ街に降り注ぐ。

 アルはブランと共に宿の前で待っていた。今日は大公家の姫、『魔法技術の天才』と呼ばれる人に会う日だ。リアムが宿まで迎えに来てくれるらしいので、宿の前でぼんやりと街を眺めている。


『来ないな……』

「そうだね……」


 約束した時間は過ぎているが、馬車がやってくる気配はない。リアムは相当偉い立場の人のようなので、時間にルーズなのかもしれない。

 しばらくぼんやりとしていると、城がある方から一台の馬車がやってくる音がした。


「どうも、お待たせして申し訳ありません」

「あ、エルヴィンさん、おはようございます」


 馬車の隣をついてきていた馬上から、エルヴィンが申し訳なさそうに頭を下げた。馬車の窓は開いていて、中に誰も乗っていないのが見てとれる。リアムが迎えに来るはずだったのだが、結局来なかったのだろう。


「おはようございます」


 挨拶を返しながらエルヴィンが馬から下り、馬車の扉を開けた。そのまま言葉を続ける。


「すみません。リアム様の予定が合わなくて、迎えに来られなくなりました。代わりに俺がご案内します」

「ああ、そうなんですね。僕は全然問題ないですよ」


 やはりリアムは来られなかったらしい。そもそもソフィア姫を紹介してもらうだけならリアムがいなくとも問題ない。代わりの人もきちんと用意してくれているのだし、文句もなかった。迎えが遅れたのはリアムが駄々をこねたからだろうかと思いつつ、アルは馬車に乗り込む。


「姫様のところへご案内しますね。姫様は研究所とそれに付属した屋敷で暮らしていますので、向かうのは城ではなく都の外れになりますが」

「分かりました。よろしくお願いします」


 馬車の窓から覗き込んで話しかけてきたエルヴィンに頭を下げると、エルヴィンはニコッと笑って再び馬に騎乗した。そこから御者に指示を出す。

 アルはエルヴィンも一緒に馬車に乗ればいいのにと思ったが、一応客人である人物と騎士が同乗はできないのだろうと納得しておいた。


『ふむ。奴は来なかったか』

「そうだね。リアム様も忙しいのかもね」

『魔の森で昼寝をするような奴がか?』

「それは関係ないんじゃないかなぁ? ほら、リアム様って、大公閣下より偉い人みたいな雰囲気だったから」

『ふ~ん?』


 ガタゴトと揺れる馬車内でアルはブランとのんびり話す。そういえば、誰もリアムについて説明してくれないのだが、これはアルのほうから聞くべきなのだろうか。大公閣下より偉い人というのがどういうものなのかいまいち分からないし、知ってしまうと余計に面倒なことになりそうで躊躇っているのだが。


「う~ん、今日は良いお天気だし、魔の森探索したかったなぁ」

『そうだな。我は食べ歩きでもよいがな』


 馬車は賑やかな街並みを抜けて、再び閑静な雰囲気の区域にやってきていた。このへんは町中だが木や花々があり、自然が豊かだった。その木の根元には何か魔道具らしきものが刺さっているのがちらりと見える。


「あれ、なんだろう……?」

『どれだ?』

「もう過ぎちゃった」


 一瞬で過ぎ去ったものを確かめる時間もなく、アルは疑問を抱えたまま目的地に到着した。窓から見えるのは大きな屋敷とその隣に立つ灰色の建物だ。灰色の建物はレンガで造られたものではないようで、アルはそれを物珍しく思って眺めた。


「どうぞ、こちらへ」


 エルヴィンが馬車の扉を開けてくれたので、さっと降りる。目の前は屋敷の玄関だった。そこは大きく開け放たれていて、警備兵らしき姿も見えない。大公の姫がいるにしては、あまりに不用心に思える。


「こちらに、大公閣下の姫君がいらっしゃるんですか?」

「はい。この建物自体に姫様が施した警備用魔道具があって、こう見えて警備は万全、らしいです。俺は魔道具についての知識があまりないので、詳しいご説明はできないのですが」

「なるほど……」


 アルがよく使う結界魔道具のようなものなのだろうかと思うも、外から見ていてもどういう魔道具が使われているのか全く分からない。でも、人に対して警戒するなら、それくらい分かりにくいものの方が警備に向いているのかもしれない。

 エルヴィンが玄関扉の近くにあるボタンらしきものを押す。しばらくすると、玄関の奥の方から執事服を着た男が出てきた。


「いらっしゃいませ。お出迎えが遅れまして申し訳ございません」

「一の姫様はいらっしゃるか?」

「もちろんでございます。……冒険者のアル様ですね。お待ち申し上げておりました。私、執事のヒツジでございます」


 一瞬思考が止まった。この慇懃な雰囲気の男は今なんと名乗っただろうか。


「ヒツジの執事……?」

『羊のヒツジ?』

「いえ、執事のヒツジです」

「執事のヒツジさん」


 頭の中で白いモフモフの羊が執事服を着ている姿を思い浮かべてしまったが、無理やり追い払った。その様子をヒツジは変わらない笑みで見守っている。エルヴィンはアルの反応を予想していたようでただ苦笑するだけだった。


「……珍しいお名前ですね」

「そうですね。皆様戸惑われます」


 アルの言葉をさらりと受け流したヒツジが屋敷内へと入るよう促してくる。こうして出迎えられた時点で、警備用の魔道具を抜けることができるようだ。


「ソフィア様は今は屋敷内の図書室にいらっしゃいます」

「そうなのですね」


 ヒツジの後ろをついて歩く。エルヴィンはもう案内は終わったが、アルについてきていた。城からの仲介人としての役割が任されているのだろう。手には何か書類も持っているし、騎士なのに文官のような仕事までさせられているようだ。本人に不満がなさそうなのでアルは気にしないことにする。


「昨日契約を交わしたばかりなのですが、急な訪問になりまして、ご迷惑をお掛けしていませんか?」

「アル様が気になさる必要はございませんよ。閣下がお決めになられたことです。むしろ、冒険者であるアル様の方が、こうしたことは苦手ではございませんか?」

「いえ……、まぁ、堅苦しいことは苦手ですが、元々『魔法技術の天才』と呼ばれる方に興味があってこの国まで来たので」

「ああ、なるほど……確かに、ソフィア様は天才と呼ばれておりますね。……だいぶ紙一重な気もしますが」

「え?」


 ヒツジが最後の方に小声で何かを言った気がしたが、アルは上手く聞き取れなかった。聞き返しても笑顔で誤魔化されて、アルは首を傾げる。


『……紙一重とは、なんだ?』


 聞き取れていたらしいブランが不審げに呟くのが聞こえて、ようやくヒツジが言ったことをなんとなく理解した。大公閣下も自分の娘であるソフィアを『変わり者娘』と評していたし、傍で仕えている者でさえ『紙一重』と評するとは、一体どういう人物なのかと少し不安になる。しかし、世に天才と評されるものは、変人であることも多いと聞く。つまりソフィアもまたそうであるということだろうか。


「こちらです」


 ヒツジが大きな扉を開けると、その先には溢れんばかりに本が並んでいた。本棚にきちんと収まっているものもあれば、床に積み上げられているものもある。どう見ても客を招く空間ではないが、本好きなアルにとってはとてもワクワクする場所だった。ちらりと見える題名は、絶版本なものである気がする。正直、今すぐ手に取って読んでみたい。


「……今朝片づけたばかりですのに」


 凍えるような怒りがこもった声が鼓膜を揺らし、アルはビクッと一歩後ずさりした。ヒツジの背中から、怒りの波動のようなものが放たれている気がする。


『……こいつ、戦闘も結構やれるやつだな?』

「……今、そういう問題じゃないでしょ」


 感心したように呟くブランの頭を撫でる。そういえば、大公の姫に会うのに、ブランをどこかへ預けるよう要求されなかったのだが良いのだろうか。ヒツジの怒りから目を逸らして今更なことを考える。こうして咎められていないのだから問題はないのだろうけど。


「ソフィア様!」


 ヒツジがズカズカと進んだ先には、本に埋もれるようにして椅子に座る、簡素なドレス姿の女性の後ろ姿があった。金の巻き毛が朝の陽ざしで煌めいている。


「あら」


 呼びかけでようやくアルたちの存在に気付いたようで、女性が振り返り立ち上がった。空色の瞳がアルを捉えて柔らかく弛む。そのまま視線がヒツジの方に移った。


「メェー君、もうお客様が来ていたのね!」

「俺はメェーでもバァーでもねぇっていつも言ってんだろっ! 家畜の羊じゃねぇんだよっ!」


 ヒツジの姿がフッとぶれたと思ったら、いつの間にか女性が飛んでいった。……意味が分からない。しかも、ヒツジの話し方が変わっていた気がする。


『……こやつ、女に飛び蹴りしおったぞ』


 ブランがドン引いて口をぽかりと開く。

 いつの間にか女性はふわりと浮かびながら床に倒れていった。飛び蹴りされても、女性に怪我をした様子はない。蹴られる一瞬前に膜のようなものが女性を包み、衝撃を吸収していたようだ。あらかじめ女性は対応策を持っていたのだろうが、だからといって躊躇いなく飛び蹴りする執事は許されていいのだろうか。


「衝撃吸収結界……? 対物理結界かな? 蹴られる一瞬前に作動して、衝撃を和らげているのか……」

『今注目するべきはそこではないと我は思う』


 ブランに言われるが、アルだって分かっている。だが人間というものは、予想だにしない現実を前にすると、現実逃避したがるものなのだ。


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