第77話 類は友を呼ぶ
「ごほん、……失礼いたしました」
「いえ……」
『アレは咳払い一つで誤魔化せるものではないと思うぞ』
ブランが呆れたように言う。アルも内心で同意した。大公の姫が執事に飛び蹴りされるなどという衝撃は、咳払い一つで誤魔化されるものではない。
「……噂では聞いていましたが、本当だったとは」
背後からエルヴィンがボソッと呟く声が聞こえたが、アルはそれにも一言物申したい。そんな噂があったなら、ここに来るまでに教えてもらいたかった。
「どうぞ今のことはお忘れください」
『無理だろう』
にこりと完璧な笑顔で宣うヒツジだが、そんなことを言われたところで忘れられるものではない。ただ、口外するなという意味なのだろうと受け止めておく。
「もう、メェー君ったら、いつまで経ってもやんちゃね」
「ぁあ?」
「ごめんなさいね、この人、ガラが悪くって」
メイドらしき女性に抱き起されたソフィアが、変わらない柔らかな表情でアルに微笑みかけてくる。冷静な執事らしい顔を忘れ去ったヒツジの怒気のこもった眼差しとは対照的な表情だった。
「いえ、お怪我は?」
「大丈夫よ。心配をおかけしてしまったわね。魔道具でちゃんと防御しているのよ。いつものことだから、気にしないでくださる?」
『執事も変だが、こいつもおかしいぞ』
いつものことなのは何となく分かっていたが、貴族令嬢そのものの見た目の少女に言われると何とも言えない違和感が拭えない。ブツブツと呟くブランの頭を撫でて心を落ち着けた。
「私、ドラグーン大公家のソフィアと申しますわ。以後お見知りおきを」
「僕は冒険者のアルと申します。コメ栽培についてお話しするために参りました」
「ええ、楽しみにしていたのよ。リアム様がお気に召した食べ物なのでしょう?」
上品に微笑むソフィアが瞳をキラキラと輝かせる。心から楽しみにしていたというのが伝わってくる表情だ。その横で乱れた髪やドレスを綺麗に整えるために無表情でテキパキと動くメイドを気にする様子はない。
「そうですね、リアム様にはとても気に入って頂いたと思います」
「私も味わってみたいわ。それで、そのコメというのは――――」
「ソフィア様、お話はどうぞ落ち着いたところで」
「あら、そうね。では、お茶の用意をお願い」
「畏まりました」
ソフィアの言を遮ってヒツジが進言すると、その言葉で初めて立ったまま話し続けていたことに気付いたようで、メイドに指示を出した。ソフィアの身支度を整えたメイドは完璧な姿勢で一礼してお茶の準備へと立ち去る。
「アル様、どうぞこちらへ」
「はい」
ヒツジの指示について行くと、図書室の一画に設けられた応接セットに案内された。ソフィアが座るのを見てから、アルは下座に座る。エルヴィンはアルの後ろに立ったままでいるようだ。騎士が大公の姫のいる場でソファに座るわけにはいかないのはアルにも理解できるので、それについては何も言わない。執事のヒツジもソフィアの傍に立ったまま控えていた。
場が落ち着いてから間を置かずに、メイドがソフィアとアルの前に紅茶の入ったカップと上品なお茶菓子を置く。ソファの座面に下りたブランの前にも水の入った皿とお茶菓子が置かれた。無表情ながらもブランを凝視している様子なので、このメイドはモフモフした生き物が好きなのかもしれない。
「あ、ブランにまで、ありがとうございます」
「いえ、お気に召して頂けると良いのですが」
『うむ。この菓子は旨そうだぞ』
微かに微笑んだメイドがブランに視線を注いだまま隅の壁際へと下がる。ブランは尻尾を振りながらお茶菓子を食べていた。どうやら甘い蒸しパンのようなものらしい。
「メイリンは小鳥とか栗鼠とか、ふわふわした可愛い生き物が好きなのよ。その子はブランというのかしら。ぜひメイリンと仲良くして頂戴ね」
『……我は気軽に触れられたくはないが、眺めるくらいは許すぞ』
ソフィアが紅茶を一口飲んだ後、おっとりとブランに話しかける。メイドはメイリンという名らしい。メイリンだけでなくソフィアも動物好きなようで、ブランが魔物であることも気にしていない様子だ。
ソフィアの言葉に何故かブランが偉そうに言って頷く。その様子をソフィアやメイリンが微笑まし気に見ているので、アルはブランを叱るのはやめておいた。どうせブランが言っていることは聞こえていないはずである。
「それで、コメという作物のことなのだけれど」
「はい」
「一度、私たちで試食することはできるかしら」
「ええ、もちろん。栽培を試みる前に、どういうものか知ってもらうためにも当然のことですね」
アルとしてはむしろ大公閣下が味わうことなく栽培を決めたことに少し引っ掛かりを感じていた。リアムが熱心に進めたからだとしても、一度それがどういうものか実物を見るのが当然のはずだと思うのだ。その手順を省くくらいリアムの意見を重視していたのかもしれないし、大公閣下にとってはコメ栽培というのは手間をかけるほど重要なことではなかったのかもしれないが。
「ここに実物を出しても?」
「ええ」
十分な大きさの机なので、アルはその上にコメが入った麻袋を置いた。もっと上品な入れ物に入れて準備しておけば良かったと少し反省しながら、ソフィアに中身が見えるように袋を大きく開く。
「まぁ、真っ白な……粒々ね? 小麦に似ているかしら。少し小さいし、線も入っていないけれど」
身を乗り出してコメを見たソフィアが首を傾げながら手を伸ばす。手に取る許可を求められたので、アルはコメを小皿に移してソフィアに差し出した。
「硬いわね。これを食べるの?」
「これを煮ると食べられるようになります。食べ方としては、麦粥のようなものでしょうか」
「ああ、麦粥。あれ、私は好きじゃないのよね……」
ソフィアが若干テンションを下げる。余程麦粥が嫌いらしい。だが、すぐに首を傾げて不思議そうに呟いた。
「でも、確かリアム様も麦粥をお嫌いだったはずだけれど……? お気に召したということは、これは味が違うのでしょうね」
「そうですね。調理法は似ていますが、味も食感も違うと思います」
「ぜひ食してみたいわ」
期待に満ちた笑みでねだられて、アルはヒツジへと視線を向ける。ヒツジはアルの意を読み取れなかったようで首を傾げた。
「僕が調理して構わないのですか? 姫様が口にされるなら、専門の方に調理をお願いするべきでは?」
「あら、でも、それの調理法を一番わかっているのはアルさんなのでしょう? どうぞ貴方が調理してくださる?」
「……ソフィア様がお望みのようなので、よろしくお願いします」
ヒツジが微笑むソフィアをちらりと見てから仕方なさげに頷いた。アルが予想していた通り、外部者が調理したものをソフィアが口に運ぶのは想定していなかったらしい。だが、ソフィアの意思を尊重することにしたようだ。
「では、ここで調理しますね。とはいえ、魔道具に入れるだけなのですが」
「魔道具?」
調理場へと案内しようとするヒツジを止めて、アルはコメを炊く用の魔道具を取り出した。ヒツジの目の前で調理した方が、彼らも安心だろうと思うのだ。
「これは僕がコメを炊くように作った魔道具です」
「まあ! 専用の魔道具まで開発なさったの? 素晴らしいわね!」
目をキラキラと輝かせたソフィアが身を乗り出して魔道具を観察する。その背後で眉を顰めたヒツジが咳払いをした。はしたないという注意のようだ。しかし、ソフィアはそれに気を留めず、アルが取り出した魔道具を上から横から熱心に調べている。
「ああ、なるほど。加熱用の魔法陣ね。この線は……分量。私、料理はしたことがないけれど、分量が大切だというのはちゃんと知っているわ。う~ん、この外装の金属、これは何かしら? 見たことがない金属のようだけど。内側は熱伝導率が良さそうね。でも、やっぱり、この魔法陣が大切よね。他の人が作った魔法陣を読み取るのって難しいのだけれど、これはあの論文に書かれていたものを応用したものかしら――――」
「ソフィア様!」
何度か咳ばらいをしても無視されたヒツジがしびれを切らして、ソフィアの肩に手を掛けてソファへと引き戻す。強引なものだったが、飛び蹴りさえ気にしないソフィアはヒツジのそんな態度も気にしないようだ。
「あら、ごめんなさいね。私、専門は作物栽培ではなくて、魔道具研究なの。つい目新しい魔道具を見ると集中してしまって」
「いえ、その気持ちは僕も分かりますから」
目をキラキラと輝かせながらおっとりと微笑むソフィアにアルも微笑んだ。アルだって見たことのない魔道具にはどうしても興味をそそられるし、研究したくなる。ソフィアの気持ちはよく理解できた。同類を見つけて嬉しいくらいだ。
「うふふ、貴方も魔道具好きなのね。作った魔道具も一般の魔法陣をただ転用するのではなくて、効率的に使えるよう改良されているのでしょう? 私、このように美しい流れの魔法陣を見たのは久しぶりよ」
「ありがとうございます。『魔法技術の天才』と呼ばれる方にそう言って頂けるととても光栄です」
「まあ、その呼び方を知っていらしたのね? 恥ずかしいわ。私はまだそのように言われるほどの域まで達していないと思うのだけれど。貴方はご覧になったことがあるかしら? 古代魔法大国時代の遺跡に残された魔法陣。あの美しさは何物にも代えがたいものがあるわ」
「分かります。僕は論文に書き写された魔法陣しか見たことがなくて、いつか実物を見てみたいと思っているのです」
「ぜひ、見るべきだわ! 実物を見た時のあの感動は忘れられないわ……」
ついソフィアとの会話が弾んでしまった。ここまで魔法陣や魔道具に関して話が弾む人に会ったことがなかったのだから仕方がないと思う。だが、ヒツジから信じられないものを見る目で見られているのに気づいて、咳払いして姿勢を正した。横からはブランにジト目で見られている。
『この女もおかしいが、アルも相当変だな』
魔道具を好きなことの何がいけないのか。反論したいが、ヒツジやブランだけでなく、エルヴィンやメイリンからも引かれている雰囲気を感じて、アルは沈黙を選んだ。
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