第75話 明日への不安と期待
「あ、あれ、なんだろう?」
『どれだ?』
アルは周りの屋台の中から一つを指さした。白い湯気が立ち、周りにいる者は木の器を持ってフォークで何かを掬い食べている。
「美味しそうな感じだし、食べてみる?」
『うむ。良いぞ!』
ブランが頷いたので、アルはその屋台に並んで二つ注文した。すぐに茹でた麺が器に入れられて、上から赤みのあるスープがかけられる。その上に挽き肉と野菜の炒め物がのせられて渡された。これはタンタンメンというらしい。可愛らしい響きの名称とは対照的に、刺激的な香りのする料理だった。
「美味しそう。あっちにベンチがあるから、そこで食べよう」
『汁物だからさすがに片手では食えんしな』
ちょうど人が立ち去ったばかりのベンチを確保して、器を一つ座面に置く。ブランがひょいと下りて、クンクンと香りを嗅いでいた。
「そんなに嗅いで大丈夫? 結構刺激がありそうだけど」
『……ちょっとやられそうだ』
ブランがクシクシと鼻先を擦った。鼻の粘膜がやられたらしい。だが食べるのを諦めたわけではないようで、なんとか安全に食べられないか試行錯誤していた。
「スープを少なめにしてもらえば良かったね」
アルはブランの器からアルの分へとスープを移した。味は多少薄まるかもしれないが、ブランにはこれくらいの味で十分だろう。
『うむ。これなら食いやすいぞ!』
ブランも納得して麺にかぶりついた。一口で麺を食べきるのは難しいようで、口端から飛び出た麺から汁が飛び散っている。アルはブランから少し距離を取って食べつつ、ベンチを綺麗にしてから立ち去らないとなと思った。ベンチではなく地面に置いてしまえば良かったかもしれないが、ブランはそういうのをあまり好まない。
『おお! 辛みはあるが、しっかり肉の旨味もあって旨いぞ! このコクはなんだ?』
「美味しいね。これは……セサミをすりつぶしているのかな?」
アイテムバッグから取り出したスプーンでスープをすくってみると、白っぽいスープ部分が見えた。スープ表面は辛みのある赤いものが覆っていたが、その下はセサミペーストを使ったスープのようだ。だから見た目ほど辛くなくて食べやすく、コクも感じられる。
『旨かった! この国の飯は、独特なものが多いな』
「そうだね。これまで食べたことがないのが多いけど、どれも美味しい。しっかり料理について研究されて改良されているのかな」
国によっては、調味料が塩だけしかないという地域もある。それに比べると、この国の食文化は独特だが、とても複雑で洗練されたものばかりだった。今後の食事も楽しみだし、深く調べてみたくもなる。
「さて、そろそろ宿に戻ろうか」
『なに⁉ 我はまだ食えるぞ!』
「僕はもうお腹いっぱいだし、そろそろ暗くなるよ? ここから宿まで遠いんだからそろそろ帰らないと」
『むぅ……』
ブランは名残惜し気に周囲の屋台を見回していた。この辺の屋台を利用する冒険者は初めの頃よりさらに増えていて、どこの屋台も人が並んで盛況のようだった。
「人も多くなってきたし、ね……」
『お! 最後にあれを食うぞ!』
「えー?」
ブランがアルの肩に跳び乗ってバシバシと叩いて来る。その前に布で綺麗にしていたからいいが、していなかったらコートがスープの汁で悲惨なことになっていたなと頭の隅で思った。
「どれ?」
『あれだ! 甘い匂いがするぞ!』
「甘いもの?」
ブランに示された方に行くと、女性が多い屋台があった。おたまですくいとった白いものを器に入れて客に提供している。見た目はトウフに似ているが、ブランの嗅覚によると甘いものらしい。
「じゃあ、あれをデザートにして、夕食は終わりだよ?」
『良いぞ! あれを食おう!』
ブランが納得したところで、アルはその屋台に並ぶ。周りには女性が多いが気にしない。周りの女性たちも、白い魔物を肩に乗せた少年を微笑まし気に見ただけだった。
「二つください」
「はい、どうぞ」
注文とほぼ同時に二つの器を渡される。この国の屋台はどこもこんなに料理の提供が速いのだろうか思いながら受け取った。見た目は滑らかなトウフだ。アンニントウフというようだから、アルがアカツキのところで作ったトウフに似たものなのだろうか。
「はい、ブラン、先に食べて」
アルは人の邪魔にならない道端に寄って、器をブランに差し出した。さすがに座るところはもうなくなっていたし、片手で食べられるものでもないので、先にブランに食べてもらうのだ。
『うむ。ありがとう』
珍しく礼を口にしたブランが器の中身を舌で掬い取る。ぱくりと食べると、暫く味わった後にこくりと飲み込んだ。
「美味しい?」
あまりトウフを好んでいなかったブランだが、この甘そうなトウフはどうなのだろうかと思いつつ観察していると、ブランの尻尾が盛大に振られて、すぐにその感想を察した。
『旨いぞ! なんだ、この濃厚な甘みと滑らかな食感は!』
「へぇ、そんなに美味しいんだ?」
アンニントウフを気に入ったブランは、パクパクと大事そうに食べ進め、アルの質問にも答えてくれなかった。なんとなくその反応は分かっていたため、アルは黙ってブランが食べ終わるのを待った。
『旨かった! ミルクっぽい濃厚さが癖になるな!』
「じゃあ、僕も食べてみるね」
漸く片手が自由になったので、アルは自分の分を食べ始める。それをブランが羨まし気に見つめていた。自分の分をもう食べきっているのは分かっているので何も言わないが、もっと食べたい気分ではあるようだ。
「あ、美味しい。確かにミルクっぽい感じだね。でも、それだけじゃなくて、このほのかな風味はなんだろう? 食べたことのない味がする」
『だろう? また買わんか?』
「今日はもういいでしょ。また次の機会にでも」
『むぅ。次の機会では、また違うものを食いたくなるかもしれんではないか』
「その時はその時でいいでしょ」
ブランがぶつぶつと文句を言うのを聞き流して、アルはアンニントウフを食べ進める。肉まんとタンタンメンでお腹は満たされたと思っていたが、これはスイスイと口に運んでしまった。滑らかで口の中で噛まずとも溶けていくので食べやすいのだ。
「あー、美味しかった」
『旨かったな』
空には星が輝き出していた。屋台周辺は人で溢れていて、酒を飲みだして大声を出す者もいる。アルは酔っ払いを好まないので、早々にここから立ち去ることにした。
「さて、帰ろうか」
『……うむ』
あれだけ約束したのに未だ名残惜しそうなブランを肩に乗せて、暗くなりだした通りを歩いた。庶民街は上流階級用の街よりも街灯の数が少なく、暗闇が多い。それでも人々の活気で溢れて店からの明かりもあるからか、街全体が明るい雰囲気で包まれているように感じられた。
アルは人ごみは嫌いだが、こういう街の雰囲気は良いかもしれないと思う。少なくとも暗くシンとした街よりはずっと過ごしやすいだろう。だが、それでも――――
「――森での生活の方が好きかな」
人々の賑やかな話し声、笑い声、怒鳴り声。雑多な音が溢れた街を背にして歩いているが、できればその賑やかさの先にある森の方へと帰りたいなと思ってしまう。人としての暮らしなら街中というのが安全であり普通であるというのは分かっているが、どうしてもそう思ってしまうのだ。
『我も森での暮らしが好きだぞ。だが、たまにはこうして人に交じってみるのも悪くはない』
「そうだね」
静かに語るブランの言葉に頷く。
「うーん、明日からどんな感じになるかなぁ。魔の森を探索する時間も取れるといいんだけど。街中で本屋巡りもしたいし、魔道具の店とか薬屋とか色々行ってみたい」
『一日中コメ作りについて教えるわけでもあるまい。それに、会うのはアルが興味津々にしていた人物なのだろう? 新しい知識が得られるかもしれんぞ』
「うん。この街灯だけでも興味深いしね。もちろん会うのを楽しみにしているよ。どんな話をできるかな」
『大公の娘らしいがな』
「……それが微妙なところ」
ブランの言葉にアルは若干顔を顰めた。大公の娘、つまりこの国の正真正銘のお姫様だ。会うときはそれ相応の礼儀が必要だろうし、あまり魔法理論について語り合えないかもしれない。相手が女性というだけで気を使うのに。
「ま、明日会ってみないと分からないけど」
宿に辿り着いたアルたちは、大して準備することもないので早々に寝ることにした。アカツキから長文で送られてきていた手紙の返事は暇なときでも良いだろうか。
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