第73話 大公国との契約
リアムの前をオーウェンが歩き、アルはリアムの後ろをついて行く形で歩いていた。エルヴィンはアルの後ろを歩いている。オーウェンとエルヴィンに前後を囲まれて、連行されている気分になった。それは、大公閣下のもとへと連れていかれているという気後れも関係しているだろう。本来、冒険者という身分の者が、大公閣下にすぐに会うことなんてできない。
「そなたの話をエマニュエルにしたら、ぜひ話を聞きたいと言われたのだ。コメについて知りたいようだぞ」
「……そうですか。でしたら、いくらかご説明はできると思います」
リアムが話しかけてきてくれて、ようやく大公閣下に謁見する理由が分かった。リアムはコメを大層気に入っているようだったので、早速大公閣下にコメ栽培を提案したのだろう。それをすぐ受け入れて、冒険者から話を聞こうとする大公閣下は、国を治めるものとして柔軟な思考と抜群の行動力を持っているようだ。
アルは昨夜のうちにこっそりアカツキに手紙を出して、コメを外で栽培することを許可できるか聞いておいた。アカツキからは、コメ栽培の許可とその栽培法らしきものが書かれた手紙が返ってきている。これで、アルが大公閣下にコメについて説明しても問題がないと分かったので、この急展開にもなんとか対応できた。
「……アル殿、あなたはリアム様のお客人なので多少の無礼は許容されるでしょうが、大公閣下の御前ではくれぐれもお気をつけてください。大公閣下の近衛騎士は少々頭が固いお人なので」
大公閣下のいる部屋の前まで来たところで、オーウェンから小声で注意された。ずっと複雑そうな表情をしていたのは、このことを言いたかったかららしい。アルに対してよりも、大公閣下の傍に控える騎士について懸念があるようだ。
「分かりました。僕は基本的にリアム様の後ろに控えて、聞かれたことに答えるようにすれば良いですか?」
「そうですね。あまり目立つことをしない方が良いでしょう。……こんなことを注意してお気を悪くされないといいのですが」
「いえ。あらかじめ教えて頂けて助かりました。ありがとうございます」
オーウェンにこっそりと返答して、頭を下げる。元々アルには大公閣下に自分を売り込む気がないので、リアムに表立ったことは任せるつもりだった。それを徹底すれば良いということだろう。普通の冒険者だったら、最高権力者に自分を売り込むために多少の無礼を犯してしまうかもしれないが。
「従魔は控えの間で待ってもらうことになりますので、こちらに」
エルヴィンが繊細な細工のカゴを差し出してくる。中には柔らかなクッションが置かれ、快適に過ごせるようになっていた。
『……むぅ。我は従魔ではないのだ……』
不満げに顔を顰めたブランだが、多少は人社会の常識も知っている。街中はともかく、偉い人に謁見する際に魔物が傍にいてはいけないくらいのことは理解していた。だから、アルが促すよりも先に自らカゴの中に入っていく。アルは少し申し訳なく思いながら、カゴの中で丸まるその頭を撫でた。
「私が控えの間でしっかり預かっておきますので」
一礼したエルヴィンがカゴを抱えて近くの部屋に入っていった。多少は信用できるエルヴィンが傍にいるのでブランについては心配ないだろう。
「良いか?」
「はい」
リアムに問われて頷く。面倒だとは思うものの、アルは生まれが貴族なので偉い人との対面には慣れている。この国独自の礼儀はあまり知らないが、そう違いはないだろう。
扉の前に控えていた騎士が、両開きの扉をゆっくりと開けた。アルはリアムの後ろに付き従う形で入室する。
入った部屋は謁見の間ではなく、執務室に近い部屋だった。正面に大きな机があり、いくつか書類や書物が積まれている。手前には応接用の重厚なソファセットが置かれていた。
「連れてきたぞ」
「リアム様、どうぞこちらに」
堂々とした様子で入っていくリアムを、秘書官らしき人物がソファセットへと促した。アルは一礼してから、ソファセットに座るリアムの後ろに控える。
「ん? アルもこちらに座れば良い」
「いえ……」
首を傾げたリアムに言われて、アルは素直に困惑を表情に出す。貴族ならば許されないことだが、冒険者ならばこれくらいの感情を表に出さないと変だろうと思ったのだ。
「そなたも座るが良い」
「ありがとうございます」
執務机についていた人物がアルに声をかけてきた。渋く落ち着いた声で促されて、アルはしっかり頭を下げて礼をする。その人物がソファに腰掛けるまでその体勢のままにして、一拍置いてアルも空いていた場所に腰掛ける。
「そなたがアルだな。冒険者だと聞いたが」
「はい。お初にお目にかかります。冒険者をしております、アルと申します」
「そうか。私はエマニュエル・ドラグーン。この国の主だ」
「お会いできまして光栄です」
「あまり堅苦しい言葉はいらないぞ」
大公閣下は僅かに笑みを浮かべて柔らかくアルを見つめた。壮年の整った容姿は冷たく見えるが、予想していた通り柔軟な考え方の人物らしい。その背後に控えている騎士は、事前の忠告通り堅物な人物のようだったので、アルは砕けた態度にならないように気を付けた。リアムの後ろに控えるというのも、大公閣下が直接アルに話しかけてきているので無理だろうから。
「私と長くいるのも冒険者にとっては疲れるだろう? 冗長な挨拶は無しにして、用件を済ませてしまおう」
「うむ。余もそうしたものは好かんからな。早速コメについてだ!」
大公閣下がリアムの気合いの入り具合に苦笑する。おそらく、これまでにコメについて熱く語られてでもいたのだろう。
「アルはコメをこの国で栽培することについてどう思う」
「私はこの国についてまだ詳しく知りません。この地がコメの栽培に適しているかどうかも判断できませんし、コメがどれだけの方に受け入れられるかどうかも分かりません」
「確かに、そうだな……」
アルが正直なところを話すと、大公閣下が何度か頷いて何かを考えこむ。その様子をリアムがじっと見つめていた。無言の圧力をかけているように見える。その訴えを感じ取ったのか、大公閣下が再び苦笑した。
「栽培についてどうなるか不透明な部分が大きいが、見ての通り、リアム様が大層そのコメというのを気に入っておられるのだ。まずは少量から栽培を試みてみようと思うが、そのコメの種を譲ってもらうことは可能だろうか。できれば栽培法も教えてもらえると助かるのだが」
「……少量というのなら可能だと思います。栽培法についても、私が知っていることについてはお話しできるかと」
「そうか! では、そのように契約書を作成させよう」
大公閣下までリアムに敬称をつけるのかと少し驚きつつも、それを表に出さずに、示された提案に頷いてみせる。大公閣下は破顔してすぐに秘書官に指示を出した。おそらく何パターンか契約書を作っていたようで、すぐに一枚の紙がアルの前に置かれる。
「契約内容を確認してほしい」
「失礼します」
促されるままに紙を手に取って、上から順に内容を確認する。上部分には契約に関する基本的なことが書かれていて、真ん中あたりから詳しい条項が記されていた。アルから提供するコメの種の量とそれに対する対価、栽培の指導料など細かく厳密に書かれているのを確認して、アルは一つ気になったことを聞いてみることにした。
「――大公閣下、この試験栽培担当への栽培方法の教授とその期間について詳しくお伺いできますか?」
「ああ。アルはあれに会いに行くのだろう? あれがこの国で一番作物栽培に詳しいから、コメ栽培についても任せるつもりだ。アルの用事ついでにコメ栽培について教えてやってくれ。期間については、とりあえずひと月としているが、そこに書いてあるように、アルとあれとの間で話し合って変えてもらっても構わない。短くなろうとも報酬はそのままであるし、長くなればその分は追加で報酬を支払う」
あれ、と親し気に呼ぶ大公閣下だが、アルにはその言葉が指すものを正確に理解できなかった。
「閣下がおっしゃられる『あれ』とは、どなたのことですか?」
「うん? ああ、すまない。近しい者たちにはこれで伝わるもので、無精してしまった」
笑った大公閣下がアルに軽く謝った。
「――あれとは、私の変わり者娘ソフィアのことだよ。アルはあれに会いに来たのだとリアム様から聞いているぞ」
正直『ああ、やっぱりか』と思った。そして、魔法技術の天才はこの国で作物栽培の第一人者でもあるのだと知り、その多才ぶりに感心する。ただ一点、大公閣下の言葉には気になる部分もあった。変わり者ってどういうことだろう……。
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